第5話

「今日は暇だね。そうだ。太宰。妾と買い物にでも行かないかい」

「いいの?」

 本を読んでいた太宰が顔をあげる。きょとんと首をかしげる目はきょろきょろと探偵社の様子を見る。みんな席に座って書類仕事に精を出していた。敦や谷崎などは血走った目をしている。

「いいんだよ。妾の分はもうすんでるんだ。たまの暇。出掛けなきゃ損だよ。あんただって出掛けたいんだろ」

 書類仕事をしている探偵社員達を見ていた目が与謝野を見る。じっと見つめていたかと思うと少しばかりその目がぱぁと輝いた。そしてこくりと頷く。

「よし、じゃあ行こうか」



 ぐったりと椅子の上に倒れ込んだ太宰の背を撫でながら与謝野は青白い肌に浮かぶ汗を拭き取っていく。心配げに覗き込んでくるのに太宰の眉が寄った。

「ごめんなさい」

 しょんぼりとした声が聞こえるのに与謝野の目が見開く。

「何であんたが謝るんだい。体調崩したのはあんたのせいじゃないだろう。むしろ悪かったね。辛かっただろう」

 首を横に振られるのに苦笑が浮かんだ。

「痩せ我慢しなくてもいいんだよ」

「……ごめんなさい」

「いいんだよ。人混み初めてだったんだ。疲れちまうのも無理ないよ」

「ん……」

 申し訳なさそうに太宰が顔をあげる。見上げる目が色んな意味で辛そうに歪むのに酷いことをしてしまったと思いながらも安心させるように頭をなで微笑み続ける。

 久しぶりの買い物。電車に乗ったのまでは良かったのだが、普段福沢の家と探偵社付近しか出掛けたことのなかった太宰には人混み、それも満員電車は初めての経験で乗って直ぐにその顔色を変えた。怯えるようにぎゅっと与謝野の足にしがみついてくるのに急いで抱き抱えたのだが、その後の人の多さに降りたときには完全に人酔いをして動けない状況にまでなっていた。それでも僕大丈夫と動こうとする太宰を横たわらせて良いからと与謝野は繰り返す。悪いことをしてしまったと云う顔をするのに休んでからいけばいいからと少しでも太宰が気にしないですむように声がけをした。



「あーー、可愛いねー」

 とろとろの声が聞こえる。キャーと周りからも歓声が出ていた。その中央で太宰は大きな目を丸くし不思議そうに自分の体を見下ろしていた。太宰が来ているのはふわふわのヒラヒラがついた不思議な服。くるっと回ってくれるかいの言葉にくるっと回る。そうするときゃーと云う声がさらに上がった。彼方此方から可愛いという声が聞こえてきて太宰がそちらを向く。数めーとる離れた所に知らない女性達が沢山並んでいて……。

 きょとんとまた首をかしげるのに与謝野が声をかけてくる。

「次これ着てみてくれるかい」

 彼女が手に持っているのはゆったりとしたサイズの上に膝丈までのズボン。手に取ってから今さっき出てきたばかりの更衣室に戻っていた。その首が深く傾けられる。

 回復してからデパートにまできた二人。

 何故か与謝野は自分の服ではなく太宰の服を選び続けていた。ざぁとカーテンを開けて太宰が出てくる。きゃーとまた周りが叫んだ。与謝野もほうと息を吐き出した。

 何故か試着していたうちに集まってきた人々。きゃーきゃーと云ってくる彼女らに最初はびっくりし、怯えていた太宰もいつの間にか慣れてしまっていた。

 それでもどうしてこんな状態になっているのか分からなかった。その首はずっと傾けられ続けている。

「よし、次はこれを着よう」

 また服を差し出されるのを受け取りながら太宰は大きな目で与謝野を見上げる。

「ねぇ、与謝野さん。服買うんじゃなかったの?」

「んー、だからこうして選んでいるんじゃないかい」

「??」

 傾けられた首がより深くなった。僕のなのと幼い声が聞くのにあんたの以外何があるんだいと与謝野は答えて太宰の頭に?が舞う。

「僕お金ないよ? それに与謝野さんのを買うんじゃないの」

「お金は妾が出すからいいんだよ。妾のも後で買うよ。でも今はあんたのだ」

「僕もう服沢山あるから必要ないよ? それにそんなに買ってもらったら悪いよ」

 太宰の目が見つめるのは与謝野の横につまれた太宰の服だ。着せられたすべてを買うつもりはないようだがそれでもこんもりと山になっている。

「いいかい、太宰」

 次の服を手にしていた与謝野が太宰の頬を挟んで覗き込む。僅かに低くなった声。

 真剣そのものの目に太宰の背が自然と伸びていた。真剣な顔をするのに与謝野の口が開く。

「可愛いは正義なんだよ」

「へ?」

 小さな口から出た音。ぽかんと口を開いたまま見上げられるのに与謝野は真剣な顔のまま繰り返した。

「可愛いは正義なんだよ」

「?」

「可愛いもの見たら人は癒されるものなんだ。そして太宰。今のあんたは凄く可愛い。凄く癒される。そして可愛いものに可愛いものを足したら凄く可愛くなるんだよ。数字の勉強しているだろう。一に一を足したら二になる。それと同じ。寧ろ掛け算かもしれないぐらいだ。可愛いものがより可愛くなったらそのぶん癒される力も上がる。

 つまり何が云いたいかというと私は今癒されてるんだよ。

 着せ替えして可愛いを沢山見て癒され、今後も癒されるために買うんだ。全部私のためなんだよ。わかったかい」

 太宰はじっと固まっていた。一つ一つ丁寧に説明されていくのに固まりながら目だけが上下左右目まぐるしく動いていた。考え込みながら余程分からなかったのか何十分も固まる。

 数十分後ぱっと目を輝かせた。

「僕見てると疲れが取れるってこと」

「そうだね。そういうことだよ。だから着てくれるかい」

 何度も頷いて太宰は試着室へと消えていく。



「はぁーー、楽しかったね」

 満足そうな与謝野の声に太宰もちょっこんと頷くがその姿は何処か疲れているようだった。

「妾に合わせなくてもいいんだよ。疲れたなら疲れたっていいな」

 大量の紙袋を両肩に持ちながら与謝野は太宰の頭を撫でた。見上げた太宰はこくりと頷く。疲れたと声が出るのにだろうねと与謝野がいいすまなかったねと謝った。首が横に振られる。

「それより与謝野さんは疲れ取れた」

「ん、ああ、バッチリだよ」

 良かったと笑うのにまた癒されながら与謝野は声をかける。

「どこかで休もうか。何か食べたいものとかあるかい?」

 問いかけられるのに太宰は首を横に振った。何でもいいと云われるのに微妙な顔をする。まあ、フードコートでもいいかと行こうとしたときあっと太宰が声をあげた。きゅと与謝野の裾を掴んだかと思うとまっすぐある場所を指してくる。

「ナオミちゃん」

 呟かれるのに確認した与謝野はそうだねと答えた。少し離れた所にナオミがいる。

「そういや今日は休みだったね。話しかけるかい」

「うん」

 与謝野が提案すれば太宰は少し嬉しそうに頷いた。それを嬉しく思いながら見掛けた背中に手を振り、名を呼んだ。

「ナオミ!」

「ナオミちゃん」

 太宰も与謝野を真似して大きく手を振る。二人の声に気づいてナオミが振り向いた。その顔に笑みが浮かぶのに太宰の笑みがより深くなった。

「与謝野先生! 太宰さん! どうしたんですか」

 たったと駆け寄ってきたナオミが太宰の頭を撫でる。にこっと太宰の口許があがる。

「買い物だよ。久しぶりに暇になったからね。

 あんたこそ一人かい」

「ええ、実は兄さまと観ようと思って前に映画のチケットを買っていたのですが中々時間がとれなくて、なので一人で見にきたんですよ。

 あ、そうだ。丁度チケット二枚あるので太宰さんと与謝野先生どうですか? 動物ものなので太宰さんも楽しめると思うんですの」

 話している途中にナオミが取り出した二枚のチケット。はいと、差し出されるのにきょとんと太宰は首を傾けて固まった。恐る恐る伸ばされた指先がぴょんぴょんとチケットに触れる。じっと見つめてから太宰は与謝野を見上げた。どうすれば良いのと云いたげな目にうーーんと与謝野は頭をかく。

「そりゃあ、悪いよ。あんたのだろう」

「そこまで観たかった訳じゃありませんから。是非太宰さんに……」

 ねぇと笑いかけられるのを太宰は真っ直ぐな目で見返す。与謝野をもう一度見上げると与謝野も太宰を見ていて問い掛けてくる。

「太宰観たいかい」

 きょとんとまた太宰は首をかしげる。考えるそぶりを見せながら差し出されたままのチケットに触れる。ぴょんぴょんと指先で触れながら与謝野とナオミの二人を見比べた。深く首をかしげうーーんとやはり口を尖らせる。

「? 映画ってなに?」

 疑問を呈する声に与謝野とナオミは固まった。じっと太宰を見つけてああと納得する。

「ああ、太宰は知らなかったか」

「なら、是非観に行ってください。テレビで見るのとはまた違って楽しいですよ。ポップコーンを食べるのも美味しいですしね」

 はいと太宰の手に押し付けられたチケット。紙のそれをじろじろと見つめ太宰はナオミをみた。

「でもナオミちゃんが」

「そうだね」

「私は気にしなくていいですから」

 困ったように太宰が呟くのに与謝野も同じような声を出す。ナオミは気にしなくても良い是非太宰さんにというのだが素直に受けとることができなかった。どうしたら良いのだろうと考えているとあ、と与謝野が声をあげた。良いこと思い付いたよと太宰に向けて笑う。

「妾の分は妾が買うよ。チケットは太宰にだけくれるかい」

「でも……」

「三人で見ようじゃないか。太宰だってその方が良いだろう」

 なぁと、笑いかけられるのに太宰はぱぁと目を輝かせる。

「うん。ナオミちゃんもみよ」

 力一杯頷くのにナオミの顔も輝く。

「いいんですの。ありがとうございます。あ、もうそろそろですから急がなくては」

 映画館は此方ですよとナオミが歩き出すのを太宰は見つめる。一歩足を動かそうとしてから太宰は与謝野を見上げた。ほら、行こうかと見上げられた与謝野が促せばうんと頷いてナオミの後を追い掛けた。



「面白かったかい」

「うん。動物かわいかった」

「そうですね、とても可愛かったですわよね」

 映画終わり問い掛けられるのに太宰はうんと頷いた。拙いながらも何処が面白かったかなど初めての映画の体験を伝えてくるのに与謝野とナオミ二人はうんうんと楽しげに頷いていた。良かったねと云うのにうんと太宰は明るく頷いた。だがその笑みが途中で固まった。

「あ、でも」

 呟いて手の中のものを見つめる。折角だからと与謝野が買ってくれたポップコーンと飲み物。館内で映画を見ながら食べるものなんだよと教えてもらったのに映画をみるのに夢中になりすぎて殆ど手をつけていなかった。どうしようと困ったように見上げてくるのに覗き込んだ二人もあーと声をあげる。

「ああ、大量に残ってますね」

「ずっと観ていたからね」

 きょろきょろと辺りを見渡してああと指を指した。指を指したさきにあるのな三人で座れそうな長椅子である。

「彼処で食べていくかい」

「うん」


 少し時間が掛かったが食べ終わった三人。その後もお喋りを楽しんでいたがうとうととし始めた太宰にナオミが声をかけた。そろそろ帰ろうかと立ち上がった所だった。

「太宰さん、眠いんですか」

 ふるふると太宰は首を振るがその目はうすく閉じかけており、何度も首が縦に落ちた。その度にハッとして顔をあげるのだが数秒後にはまた同じことを繰り返す。どう見ても後少しで眠ってしまいそうであった。ふらふらと歩くのを与謝野が止める。

「痩せ我慢はしなくてもいいよ。ほら、妾がおぶってやるからおいで」

「でも」

「いいから」

 背中を見せるのに太宰はううんと首を振るがほらいいからと与謝野は促した。それでも太宰が迷うのにナオミが動いた。

「荷物大変でしょ。お持ちしますわ」

「悪いね。太宰」

 与謝野が大量に持っていた荷物を持ちナオミもまた太宰にほらと促した。ぎゅっと見上げるのにはやくきなと云う。迷いながらではあったが太宰はぼすっと与謝野のせに抱き着いてきた。


「寝ちゃいましたね」

「ああ」

 歩いている途中ナオミが太宰を覗きこんで呟いた。少し前から重くなった体にそうでないかとは思っていたが云われてそりゃあ、良かったと笑みを浮かべる。人混みで疲れそれゆえとは思うが自分でも眠ってくれて喜びを感じる。おぶっている故見えぬ太宰。どんな感じかと聞くと安心してますわ。可愛らしいですと聞こえてきてますます嬉しくなった。起こさないように気を付けなければねと思ったときにそうだとナオミが声をあげた。

「今日はこんなに何を買ったんですか」

 興味深そうに覗きこんで来るのにニヤリと笑う。

「太宰の服」

「まあ、是非今度着ている所を見させてくださいな」

「ああ。そのために買ったんだ」

 きらきらと見つめてくるのにまた今度ファションショーでもしようじゃないかという。にやりと二人が笑った。

 


「与謝野は何処だ」

 低い声が聞くのに聞かれた国木田は一瞬固まった。いつも以上に深く皺を刻んだ福沢が見詰めてくるのにぞわりと背筋に冷たいものが走る。脂汗が流れ舌が縺れるが尊敬する師が聞いてくるのに必死に答えようとした。

「よ、与謝野先生ですか? 与謝野先生なら数日分の仕事をもって出掛けていきましたよ。二日後ぐらいに帰ってくるって……」

 ちっと舌打ちが聞こえてくるのにびっくりと肩が震えた。一体与謝野先生は何をしたんだと聞かれている国木田だけでなく傍にいた全員が思った。

「帰ってきたら呼んでくれ」

「はい」


*********


「……めでたしめでたし」

 ぱたんと閉じた本。本から顔をあげて国木田が覗き込むとすやすやと布団の上、太宰が寝息をたてている。眠ったなと声が掛かるのに慌ててはいと答える。

「すまなかったな。太宰の我が儘に付き合って貰って。与謝野やナオミに教えてもらったらしいんだが、私がやるとどうにも怖いと云われてしまって」

 まあ、確かになと福沢の話を聞きながら国木田は納得してしまう。師であり上司でもある福沢を尊敬しあまり悪く云いたくはないのだけど、それでも本を子供に読み聞かせるには向いてないと思ってしまう。低い声は普段からして威圧感が強い。その声で読み上げられても恐いだけだろう。とはいえ国木田も国木田で何度も固いもっと柔らかく読んでよと云われていたので似たようなものではあろうが。

「大変だっただろう」

「いえ、そんなことは……」

「無理はいい。お前はどうにもこの太宰にはまだ慣れていないだろう」

 ぴくりと国木田の動きが固まった。いえ、と云いにくい言葉を出すのに無理はするなと返ってくる。

「お前は太宰と一番近かったからな。受け入れられないのも仕方ない」

 福沢の言葉にギィリリと唇を噛み締めてしまう。受け入れているつもりではある。だけどそれができていないのも分かっていた。へらへらと笑う顔が浮かぶ。国木田がずっと見てきたものだ。それが作られたものであることは気付いていた。

「お前の気持ちは私にも分かる。社の長としてそれなりに太宰の事を見ていたつもりだったが、だが今の太宰と暮らすようになって何も見えていなかったことに気付いた」

 他のものたちもそうだろう。だからこそ色々と皆世話を焼く。聞こえてくる言葉を聞きながらかつて太宰と過ごした日々を思い出す。云いように扱われては怒鳴るばかりだった日々。能力を認めていたからこそあの性格はどうにかならないものかとずっと考えていた。どうにかまともに更正させてやろうと意気込んだいた時もあった。だけど今の太宰を見ていると思う。必要だったのはそんなものではなかったのではないかと。もっと別のものだったのではと。

「俺は此奴の相棒として乱歩さんを覗いた探偵社の中では此奴の事を一番理解しているつもりでした。ですがそんな事はなかった。大切な事を見えていなかった。だから相棒として太宰に何をしてやれるのだろうかとずっと考えていますが、答えはでません」

「私もそうだ。多分皆そうだろう。今は精一杯太宰に愛情を注ぐことを考えているがだけどこれが正解なのか分かっていない。記憶を思い出したとき太宰がどう思うのか正直恐い。だが今はこの子に穏やかに過ごしてもらいたいと願うから兎に角今できることをしたい。お前もそうしていけばいい。色々考えてしまうがそれでも分からないのだから、今できることをやるしかないだろう」

 福沢の手が眠っている太宰の頭を撫でるのを見つめる。その手にすり寄りふふと口許を綻ばせる姿は幼く穏やかで太宰だとはとても思えない。太宰が太宰から離れていく度、思うことがある。本当は太宰も……。

「お前は少し考えすぎなところがある。そう色んな事を考え背負い込むな」

「はい」

 国木田を見ていた福沢の目が太宰に移った。その頭を撫でながらもう少しここにいようかと声にしてきた。幼い寝顔みながら福沢のほんのり口許が緩む。そうですねと答えた国木田の口許も緩んだ。



 ガバッと国木田が起き上がるともう既に日が沈む時刻であった。昨夜福沢と話した後からの記憶がどうにも曖昧で知らぬ間に寝入ってしまっていたようだった。福沢がかけてくれたのだろう布団が体には掛けられていた。

 起きたかと云う声に隣を見る。そこには畳の上横になっている福沢の姿と笑顔を浮かべている太宰の姿。

「すまないな。よく眠っていたもので昨夜はそのままにしてしまった」

「いえ、社長は何を……」

「私も二人を見ていたらすぐに寝入ってしまってな。起きたものの」

 福沢が太宰を見る。クスクスと笑う太宰は朝から大変楽しそうだった。こんなに上機嫌なのはこの姿になってからも滅多に見たことがない

「僕知ってるよ。こないだ見たの。こう云うの川の字って云うんでしょう。家族がするの何だか家族みたいで楽しいな」

 ん、とその言葉に固まってしまう。数秒考え込んで国木田はもう一度横になる。太宰がまた眠るのと聞いてきたのにもう少しだけなと答えた。


*********


「お邪魔します」

 福沢の家、谷崎とナオミが挨拶をすると太宰がたったと駆け寄ってきた。ぎゅと足元に抱きつくのを不思議に思い見つめながら、福沢は何時ものように居間の方に彼らを案内する。

「適当に座っていてくれ」

 福沢が厨に行こうとするのにあと二人の声が重なる。んと振り向いた福沢に谷崎とナオミは笑みをみせた。その足元で太宰が隠れながら福沢を見ている。

「それなんですが」

「今日は私たちも夕食作るのお手伝いいたしますわ」

 云われた言葉に目を見開く。最所こそみなから何度も云われてきた言葉であるが折角太宰のために来てくれているのだからと何度も断り今では誰も云わなくなっていた言葉である。

「いや、太宰の」

 相手をしてやってくれと云おうとしたのが止まる。分かってますけどと谷崎が口にした為だ。ではと云おうとしたとき谷崎が太宰を見つめる。足元で隠れている太宰の背を小さくだが押した。

「その太宰さんの頼みなんです」

「太宰の」

 驚き繰り返す福沢にええとナオミが答えた。谷崎と同じように太宰の背を押し促す。

「福沢さんのお手伝いをしたいって……」

 ねぇと二人に笑いかけられるとぴくりと太宰の肩が震える。そして大きな目が福沢を見つめる。じっとみつめ、二人の足もとから顔を覗かせて恐る恐る口を開く。

「お手伝いしたいから一緒にしてて頼んだの。駄目」

 不安そうに問い掛けてくる目を見つめる。少し目を見開いて恐ろしい顔になっているが否定するような様子はなかった。

「いや、そう云うことなら一緒に作ろうか」

 やったと小さく跳び跳ねたのに三人の口元が弛む。


「あ、此方だいたい出来ましたよ」

「此方もですわ」

 ああ、ありがとうと二人にお礼を云ったところぎゅと福沢の裾を掴む何かがあった。視線を下に落とすと小さなボールを太宰が差し出してくる。終わったよと小さな口が開くのに持っていたお玉から手を離して太宰の頭を撫でる。

「ありがとう」

 微かに微笑みを作りながら礼を云うと太宰はへっへと笑う。味見をして良いかと問いかけると太宰はきょとんと目を瞬いた。味見と繰り返してくる。

「一口食べてもよいかと云うことだ」

 駄目か。福沢が聞くのにぶるりと首を横に振った。ボールをぐいと差し出してくる。何処か迷うような目。福沢が新しい箸を取り出して一口口に含む。口の中で咀嚼する姿を太宰の大きな目が見上げる。

「ん、旨いな」

「ほんと?」

「ああ。とても旨い」

「良かった」

 ふわりと口元が安心したように綻ぶ。それにもう一度福沢が太宰の頭を撫でると僅かに固まった後すりりと擦りよせってきた。褒めてというように見上げてくるのにさらに数度撫でる。それを見ていた谷崎とナオミが僕らにも味見させてくださいと声をかけた。

「うん」

 今度は二人の方に向いて差し出されるボール。その中からそれぞれ一口づつ口に含むと美味しいと太宰に笑いかけた。

「とても美味しいですよ」

「さすが、太宰さんですわ。今後もお手伝いできますわね」

 ナオミの言葉に僕頑張るよと太宰はやる気を見せる。明日もお手伝いするねと声をかけてくるのに頼むと答えながらああ、そうだと声をあげる。

「太宰も味見をするか?」

「いいですわね。どうぞ、私のも味見してみてください」

「僕のもどうぞ」

 賛同し三人から差し出されるのに太宰は少し目を見開いて驚いたように見つめた。でもとその口元が奇妙に歪む。不安げな眼差しが三人を見た。

「ぼ、く、味分からないよ?」

 弱々しい声が出るのに三人がそんなことを気にしなくて良いと声をかける。

「一口食べてみろ」

 あーんと福沢が箸を口許に寄せるのにじっと太宰はそれを見つめる。良いのと問いかける声。勿論と答えるのにほんのりと頬が赤く染まる。躊躇いがちに小さく開いた口がぱっくりと食べる。もきゅもきゅと噛み締める太宰は味を分かろうと必死に噛んでいるようだったが結局分からずに顔をあげた。

「味……分からないけど……でも美味しい気がする」

 唇を尖らせた顔がふにゃと笑う。思わず手に持っていたものを落としそうになりながら三人は太宰に笑いかけた。

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