第2話


 翌日、武装探偵社で女性社員の歓声が響いた。その中心にいるのは昨夜保護された太宰。

「キャー、可愛いですわ」

「ほう、これはなかなか。妾の見立て以上じゃないか」

「可愛い……。写真撮ってもいい? 後私もギュッとしたい」

「私も写真撮りたいです」

 キラキラと目を輝かせる彼女らに男性社員は複雑な表情をしていた。

 完全に女性社員に囲まれおもちゃにされている太宰は今現在少しぶかっとしたうさみみフードつきパーカーに膝までの半ズボンと云った大変可愛らしい格好をしている。彼らの中では同じ男としてこれは可哀想なのではという気持ちと、自分たちも写真を撮るなどしたいと云う気持ちがせめぎ合っているのだ。昨夜太宰を家に泊め朝も共に来た福沢はやはり別の服を用意してあげるべきだったかと自分の行動を悔いている所である。

 子供の着るような服など持っているはずもない福沢は、昨夜与謝野に子供服を買ってくるよう頼んだ。のだが、持ってきてもらった袋に入っていたのは男児に着せるのはどうかと思うような可愛い服ばかりだった。

もともと太宰の顔立ちは整っている。そんな太宰が小さくなったと聞いて真っ先に与謝野が思い浮かんだのは、そりゃあさぞ可愛らしくなったんだろうねという事だった。そんな時に服の調達を頼まれてしまえば、可愛い服を買ってきてしまうというものだ。元に戻った時、太宰が恥ずかしがるだろうと分かりながらも与謝野は自分の欲を優先させたのだ。

 最初に中身を見たとき福沢は硬直し乱歩は腹を抱えて笑った。いくら今は子供で記憶もなくしているとはいえ元は立派な成人男性。後から自分がこんな服を着せられていたと知れば羞恥やらなんやらでプライドがずたずたになるのではと福沢は着せるのを躊躇った。でもさすがにタオル一枚のままにさせておくのもまずい。別の服を買いに行くにも時間的に店が閉まっている。仕方なく昨夜はフード付き猫パジャマを着せた。太宰はそれまでの姿から分かるようにおとなしく着せられていたがそれが余計に罪悪感をあおる。明日の朝は少し早く出て探偵社に行く前に別の服を用意してやろうと思った福沢だが、左右から挟まれ折角用意してやったのにだとか時間が遅く閉まる前にって急いで行ったんだよとか、太宰に似合うと思って選んできたのにだとかその他色々云われれば折れるしかなかった。

 朝、相当な葛藤をしながらも与謝野が持ってきた服を着せ探偵社へと連れてきたのだ。案の定おもちゃにされている太宰を見て罪悪感が募る、元に戻ったら自分でできることであれば願いの一つでも叶えてやろうと心に誓う。がそういう福沢自身実は一枚昨日の太宰の写真を撮っていたりする。それもあってなかなか女性社員達を咎めることもできないのだった。


 *********


「太宰さん。お昼の時間ですよ。今日はなんとカニカマもあるんです。食べましょう」

 明るく声を掛けた敦に返ってくるのは無云だった。「敦君、カニかまと蟹は違うのだよ。私にやる気を出させたいのなら本物の蟹を持ってこないと」何て、普段ならば聞こえてくる声は聞こえてこない。代わりにじっと見つめてくる目は思わず後退りしてしまいそうなほど暗く光がない。うぅと口から呻き声が漏れた。何と云えば良いのか次の言葉がでてこない。敦の横では鏡花が一緒に食べようと話しかけているが、それにも言葉が返ってくることはなかった。どうしていいのかと悩み助けを求めるように敦は周りを見た。見られた周りも求められるものを与えることはできない。谷崎と国木田は目をそらし、ナオミは困ったように笑う。与謝野は肩を落として賢治は笑ってこそいるもののその顔はどうしたらいいんでしょうと云うものだ。他の事務員にも目を向けてみたが、全員心配そうに見つめてくるだけでどうしたら良いのか教えてくれる者はいない。

「太宰さん」

 勇気をだして再度敦は声をかけたがやはり言葉は返ってこない。じっと見つめてくる瞳。どうしようと敦は涙目になった。最初太宰が子供になったと聞いた時は酷く狼狽しあの太宰が何故と慌て、それが自分で何らかの薬を飲んだからだと聞けば、ああ、まあ太宰さんだしと納得しどうにかなるだろうと楽観的に思った。子供とは云えあの太宰なのだ。きっと自分でどうにかしてしまうのだろうと、自分が出来ることなど何もないと思ったのだ。

 それがどうだろう。

 顔を合わせた太宰は姿こそ太宰の面影があるものの、敦の知る彼とは全くの別人になってしまっていた。敦の知る太宰は何時だってその顔に柔和な笑みを浮かべていて普段の態度はちゃらんぽらんだが、どんなことでも何とかしてしまえるそんな存在だった。だが子供となった太宰は笑顔を見せることなくいつも騒がしいほどに言葉を話していた口は固く閉ざされここに来てからまだ一言も発していない。これが太宰だとは敦だけではなく他の皆も信じられない思いでいた。よく似た別の誰かではないのかと疑ってしまうものの、乱歩が太宰と云うからそうなのだと無理矢理納得して過ごしていた。だがそうでなくとも心の何処かで本当は分かっている。これが太宰なのだと。敦達が見ていたのは太宰のほんの一部分、それもきっと作られた部分でしかなく、今見ている太宰の方がきっと本当に近いのだと云うことを。ただそれを認めたくなくて目をそらしてしまっている状態だった。

「ご飯食べませんか」

 敦の問い掛けに今の太宰よりも暗い目が見上げる。閉ざしたふっくらとした唇は鉄の糸で縫い付けられたかのように動かない。無云のままに時間は過ぎた。誰も敦を助けることはできず三人の様子を見つめる。もう無理だと諦めそうになった時、助け船は訪れた。

「どうした。何かあったのか」

 社長室から様子を見に福沢が出てきたのだ。皆何処かホッとしたような顔をする。

「それがその昼の時間になったので昼食に敦が誘っているのですが反応が全くなく」

「一応通じる言葉で云っている筈なんだけどね……」

 国木田と与謝野が状況を説明する。敦が助けてくださいと云いたげな目で福沢を見る。横で鏡花はまた太宰のもとに近付いた。一緒に食べようと云うのに何の反応もしない。借りてきた猫のように大人しく椅子の上に腰掛ける太宰の前に福沢が立つ。ゆっくりとした動作で太宰は福沢を見上げた。太宰の目に合わせるように屈んだ福沢はその手を差し出す。

「ご飯を食べるのだ。お前も来い。一緒に食べよう」

 じっと太宰の目が福沢を見る。敦の時とほぼ同じような反応。だがそこから太宰は少し考える様子を見せた。それから太宰はこくりと頷く。小さな手が福沢の手を握った。ほっとした吐息が事務所内に落ちる。見守っていた視線が離れた。

「今日は皆で食べましょう」

 ナオミが提案するのに否を唱えるものはいない。各自それぞれ己の分を用意して、大勢で食べるのに向いている会議室に向かう。普段から外食で済ませる幾人かは急いで買いに走っていた。ちなみに太宰の分は福沢と敦両方が用意して二つあった。と云うのも太宰が失踪する前、太宰の昼食は敦と鏡花が用意していた。前に敦と鏡花がお弁当を作って持ってきているのを見た太宰がいいなーー、私にも作ってよと云ったのが始まりである。殆ど冗談に近い、太宰からしてみれば冗談に過ぎなかった言葉。だが太宰がものを食べる姿をあまりみないことに気付き密かに心配していた二人は喜び、その言葉を鵜呑みにして毎日作るようになったのだ。えっという顔をした太宰もその当時の二人の剣幕に押されてそれを受け入れた。

 幼い姿になってしまっているとは云え太宰が見つかったと聞いた二人はそれなら太宰の分を作り持っていかなければと指名を燃やした。昨日の夜から張り切って準備をしていたのだが、それを知らなかった福沢は自分の分を作るのと一緒に太宰の分も作ってしまったのである。

「はい。太宰さんどうぞ」

「太宰」

 同時に差し出した三人は固まり、それから敦と鏡花の二人は絶望に顔を染めた。決して自分達の作った弁当を貧相だとは思わないが、福沢の作ったものの方がどう贔屓目で見ようとしても豪華で美味しそうだったのだ。二人は落ち込み、だした弁当を引っ込めようとしたがそれを福沢が止める。。

「折角太宰のために用意したのだ。お前たちの方を食べてもらうといい。私の分は後で帰ってきた乱歩にでも渡すことにする」

 ぱぁと二人が輝いてありがとうございますと明るい声を出した。

「どうぞ食べてください、太宰さん」

「食べて。あなたの好きなものを沢山いれた」

 キラキラとした眼差しが太宰を見て太宰の前に弁当を置く。太宰が前に好きだと云っていたものを兎に角詰め込んできた弁当だ。それを写した太宰の目が福沢を見上げる。それから敦と鏡花をじっと見つめた。見守る二人。いや、探偵社全員の前で太宰は弁当を見て、また二人を見つめる。こくりと太宰の首が傾いた。長いこと動くことのなかった口が開く。能面のようだった顔に笑みが作られる

「何をしたらいい?」

 形のいい唇がそう音を紡いだ。

「私は何をしたらいい。抱かれる? それとも殺せばいい? 盗む? 何をしたらいい」

 何を望むのと暗く淀みながらも真っ黒な目が二人に問いかけた。その場の全員の目が見開く。場が凍り付き信じられない思いで見つめる。動かない二人にじれたのか太宰の手が着ている服の首もとに触れた。小さな手が自分の服の釦をはずそうとする。口元に蠱惑的な笑みを浮かべ、その幼さに似つかぬ色をのせてじれたくはずしていこうと……。

 かっとその手を福沢が掴む。卑猥な空気に圧倒され飲まれていた面々がそれによって我に帰った。

「そんなことしなくていい。二人はお前に食べてもらう為に作ってきたのだ。お前が食べてくれること以外求めていることなど何もない」

 太宰の冷えた目が福沢を見上げる。なにも感じてないように思える目はだが何処か戸惑っているようにも見えた。福沢を見上げた目が敦と鏡花に向かう。

「そうですよ!! 僕は太宰さんに食べてもらいたいだけですから。何もいらないので食べてください」

「何も必要ない。食べてほしい」

 慌てそして食い気味になりながら敦と鏡花は云った。是非食べてほしいと弁当を太宰の前に押し出す。それに鏡花も続き、箸を太宰の手に握らせる。じっと見つめる目は不思議そうと云ってもいいのかもしれない。少し考えるそぶりを見せた後にこくりと頷いた。全員が心配し見つめる中で握り締めた箸を弁当に詰められた白いご飯にに突き刺す。手をぐうにしてほじり出そうとする。あっと福沢から声が漏れ、片付けたばかりの弁当を広げた。そのなかにいれていたスプーンを太宰に渡す。



 それからあと太宰はまた静かに動くことなく腰掛けていた。昼食時に見せた笑みなど嘘ではないのかと思えるほどの無表情でずっといた。

 おやつ時になり一緒に食べましょう。敦が問い掛けた。今度こそはと意気込んでいる敦を見上げ数歩待ってから太宰は首を縦に振る。思わず二人ハイタッチして差し出した手。敦と鏡花。二人の手をきょとんと太宰は見つめた。どうすればいいのかと戸惑う太宰の手を敦は左。鏡花が右を手に取る。

「行きましょう」

 笑いかける彼に太宰は無云で返した。

 今日のおやつにでたのは甘くふわふわとしたケーキに美味しそうなクッキー。未成年も多い上、社の中心と云える乱歩が甘いものを至上としていることからおやつが必ず用意されている探偵社ではあるが、ここまで豪華なことは滅多にない。子供になった太宰が来るときいて事務員が張り切った結果だった。敦や鏡花の目が輝くのに対して太宰はそれを静かな目で見ている。どれでも好きなものを食べていいですからね。掛けられた声に見上げ、そこにいる全員を写す。

「何か」

 小さな口から言葉を紡ごうとした。

「何も、何もいりませんからね。さぁ。食べましょう」

「これ、美味しそう」

 言葉を奪い敦と鏡花は太宰の前に差し出した。鏡花が口元に押し付けるクッキーを悩みながら太宰は口を告げた。

「美味しいですね」

「これもおいしかった」

「あ、これも美味しいですよ」

「ケーキは食べましたか」

 いつの間にか太宰の周りには人が集まり、そして太宰に沢山食べさせようと次々と食べさせている状態だった。差し出されるものを黙々と太宰は食べていく。気づけば沢山あったおやつの殆どが太宰の腹の中に消えていた。

「はいこれもどうぞ」

 差し出されたものを太宰から受け取る。口にいれ食べようとした時、異変が現れた。かりとクッキーを食んだ瞬間、太宰の体がびくりと跳ね上げ丸く収まったのだ。クッキーを加えたまま太宰は口許を抑える。

「え!! 太宰さん!!」

「どうしたんですか!」

 突然のことに慌てて周りは太宰に声をかける。ふるふると首を振られた。口を抑えながらもぐもぐと太宰の咀嚼は続いていた。

「え? 太宰さん……。大丈夫ですか」

 何が起きたのか分からなくて戸惑った声で問い掛ける。途切れることなく響くのは咀嚼音だ。

「何だい。太宰がどうしんだい??」

 どうしたらいいんだと思うなか、与謝野がやってきた。太宰が異変を起こしてからすぐに一人が呼びにいっていたのだ。ほっとしたような戸惑うような目を向けた皆とそれから太宰をみた。与謝野はぎょっと目を見開いて太宰のもとに駆け寄っていた。

「太宰。何してんだい。その口のもんをだしな! 食べ過ぎだよ!!」

 えっと与謝野の言葉にその場にいた全員の目が丸くなる。何と云われたのか一瞬理解できなく呆けるのに与謝野の怒号が飛ぶ。

「馬鹿みたいに食べさせたのはあんたらだね。子供なんだそんなに食べられるわけないだろう。考えてやんな!!」

 うっと声に詰まる。差し出せば差し出すだけ食べる太宰が可愛くそして何だか嬉しくてつい何も考えずにあげ続けてしまっていたのだ。

「あんたもあんただよ、太宰。自分の限界なんて自分でわかるだろう。無理だと思ったら食べるんじゃないよ。ほら、今口にしてるもんは吐き出して

 分かんないかい。ぺっしてて、ぺっ。べってするんだよ。もう入んないんだから」

 太宰の傍にしゃがんて何とか太宰にわからせようとする与謝野だったが太宰はふるふると首を振って与謝野の言葉を聞こうとしなかった。

「もう苦しいんだろう。ほら、ぺっとそしたら少しは楽になるから」

「ぺっしてぺっ」

 周りも声をかけるが太宰の手は口許を押さえ無理矢理に飲み込もうとしていた。

「太宰!!」

 与謝野が怒鳴った。びくりと小さな肩が震えるそれでも太宰は口の中のものを吐き出さなかった。こうなれば仕方ないと与謝野が無理矢理太宰に吐き出させようとした時、のんきな声が聞こえた。

「何やってんの」

 飴を咥えたよく聞こえぬ声が問い掛けてくる。その声に全員が振り返った。そこにいるのは乱歩である。この人なら良い案を出してくれるのではないかと顔が輝いた。そのなかで乱歩の頬がぷくりと膨らんだ。半目になる目と良い明らかに拗ねた姿を見せたのだった。えっと思う前に「ねぇ、僕のおやつは」と云う低い声が聞こえた。何時ものものとは違う無邪気さの欠片毛ない声。あっと殆ど全員の口がぽかりとあく。まさかと途中から来た与謝野は皆を見上げた。それがその~~と細い声を出す彼らは太宰に食べさせるのが、楽しすぎて乱歩の分を残すのをすっかり忘れていたのだった。何て云う事をするんだいと与謝野の目が訴えるのにも口を閉ざし、彼らは身を小さくして縮こまった。

「はぁ。もう良いよ。気持ちはわからないでもないし、でも次はないからね」

 大きなため息。ええ、あの乱歩さんがと目を見開いたのに睨まれたのに全員が良い子の返事を返していた。思わず与謝野もしてしまい苦笑する。それから太宰の方に再び視線を向ければ彼はもう入らないものを無理矢理口にしようとしていた。止めろと云おうとした時、乱歩の制止がはいる。それじゃ駄目だよと太宰のもとまできた乱歩は太宰を覗きこんだ。翠の目が真っ直ぐに見つめる。

「太宰。大丈夫だよ。今食べようとしなくとも明日だってまた食べられる。これからだって毎日お前が食べたいだけ食べたいものを食べることができる。今食べられなくとも後食べられるんだ。もうお前は食べるものがなくて飢えることはないんだよ」

 苦しげに歪んでそれでも必死に口にいれようとしていた目が見開いた。

「明日も食べられるんだ。だからぺっしてぺっ」

 ほらと乱歩の声が促す。見開いた目はじっと見ていて、それから恐る恐る口に積めていたものを吐き出した。

「ん、良い子だ。無理に詰め込まなくてもこれから毎日お腹一杯食べることが出来るんだから安心しな。乱歩の手が太宰の頭を撫でる。太宰はそれを大きな目で見上げていた。呆然とそれを見つめる何か起きたのかその時多くの者は理解したくなかった。

「与謝野さん。こいつ医務室で休ませてくれる」

「ああ、分かったよ」

 与謝野の声も震えていた。



「じゃあ、太宰さんまた明日」

「また明日楽しみにしてますね」

「ゆっくり休んでくださいね」

 夕方仕事の終わった探偵社の出入り口では太宰が皆に囲まれ、皆を見上げていた。口々に云われる言葉。にこにこと向けられる笑顔。そんなものを見つめながら太宰はことんと首をかしげる。

「ねぇ?」

 その口が開く。ぴくりと皆の肩が固まった。思い出すのは昼間のこと。そしてそれは正しく太宰は昼と同じようなことを問い掛ける。

「望みは何?? 何をして欲しいの??」

 あの時と同じように酷く蠱惑的に笑いながら太宰は全員を眺めた。一瞬反応に遅れながらなにもと皆が返した。何もほしくない。求めていないをしてほしいことなどないよ。何もしなくて良いから明日もまた来てねと口々に口にする。変わった言葉は出てこなかった。それを太宰の目が不思議そうに見つめる。ことりと首がかしげられ、下を向く。下から見上げてまた下を向いて太宰は妙な顔をした。そして云う。

「へ、んな、の…………」

 小さな声は全員に届き、全員が奇妙な顔をすることしかできなかった。

「帰ろう」

 福沢が太宰の手をひいた。見上げた太宰は瞬きを一つする。

「かえ、る?」

 拙い言葉を呟くように繰り返した太宰。

「ああ、帰ろう。

 ではみなまた明日」

「あ、はい、明日」

「太宰さんもまた明日」

 キョトンとした眼差しをずっと太宰はしていた。



 一方福沢の家では太宰の家では太宰と福沢が向かい合わせにご飯を食べているところだった。普段は魚や煮物と云った和食系の多い福沢であるが今日はスプーンすらもまだまともに扱えぬ太宰に合わせて食べやすいようなものにしていた。それを溢さぬよう奮闘しながら太宰は食べている。危なっかしい手付きではあったが、出したものを手掴みで食べようとした昨日よりは随分ましだった。箸もスプーンも初めて見たと云う風だったのから思えば凄い早さで飲み込んでいるように思える。やはり太宰なのだなとこんなことから確信してしまいながら必死に食べる太宰を福沢は見つめる。

 おやつ時に起きた事件の話は聞いていた。今も一心不乱に食べているのもそう云う事情があり、まだ信じきれていないところがあるからなのだろうと予想をたてそれを苦しく思う。早く太宰が福沢をそして探偵社の皆を信じられるようになればと、そしてもう飢えや何かに恐れることなく生きていけるのだと知ってくれればと思う。こんな小さな子供が飢えを知り恐れている。それを知った時、福沢は悲しくもあり嬉しくもあった。元の太宰は自分をあまり大切にしていない。それは生きていこうと云う気力が薄いからだ。だけど今目の前にいる太宰は生きていたいと当たり前のことを思ってくれているのだとそれが嬉しかった。懸命に米粒一つ残さぬように食べていた太宰がやっとスプーンを置いた。

「もういいか。もっと食べるか」

 問いかければ太宰は迷う素振りを見せる。もう十分な量を食べさせたはずだ。その上であえてした問い。それでも貰えるなら、食べられるなら食べられるだけ食べておいた方がとそう迷っているのが太宰からは伺えた。暫く太宰は考え込み、それからゆっくりと首を振った。まだ迷っている頭に手を置く。

「そうだ。大丈夫。また明日もちゃんと食べられるからな」

 福沢の言葉に太宰はゆっくりと頷く。それからまたじっと見上げた。大きな褪赭の目は真っ直ぐに福沢を見つめる。殆ど感情の読めない目であるが、何となく不思議そうでするのが分かる。

「ねぇ、なんで……」

 幼い声が疑問を口にする。

「何で……」

 言葉を探すように太宰の目が動く福沢を見ながら困ったように眉を寄せる。

「何で抱かないの? 殺さない? 盗まない? 何でもするよ。何で、何も……」

 聞く声は感情の乗らない淡々としたものだ。その目も変わらず何もない。だけど福沢には太宰が不安がっているように見えた。理解することのできないことに不安がっているように。だから福沢は太宰の頬に触れた。濡れているように思えたその瞼を撫でて優しく声を出す。

「何もしなくても良い。私達はただお前に傍にいてほしいだけだから、それでもお前が不安だと云うのであればそうだな。傍にいてくれないか」

 じっと見上げてくる目は言葉の意味を分かることが出来ていない。

「傍にいてくれるだけで良い」

「傍に……」

 繰り返される言葉。どう云うことかと考えている。

「今のままここにこうしていてほしいということだ」

 福沢を見つめた太宰はきょとんと首をかしげた。太宰の目が下をさ迷い。それから見上げる。小さな頭が小さく傾く。

「へ、……変。変なの」

 その意味を確かめるように太宰は口にした。


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