第1話

 太宰が消えた。人一人消えたとなれば大騒ぎになるのが常であろうが、残念ながら太宰の場合においてはそうはならなかった。人望がない訳ではないのだが如何せん彼がいなくなるのは初めての事ではなかった。自ら自殺愛好者と名乗り、趣味を自殺と云っては憚らない。毎日のように川に飛び込み自殺を図りそれ以外にも面白そうだと云っては様々な自殺方法を試す。

 そんな彼がどこぞの川で流れたとかで数日姿を見せなくなるのはよくあること。中には何らかの問題に巻き込まれている時などもあったが大抵自分で如何にかする男であり、そうでないなら何らかの手段で助けを求めてくる。それぐらいできる男であった。だから太宰が姿を見せなくなって二三日過ぎてもみんなまたかと思う程度。さほど心配はしなかったのだ。その風向きが変わったのは太宰がいなくなったことが会話になった四日後。太宰が消えて一週間を過ぎた頃だった。さすがの太宰と云えど一週間も無断でいなくなったことは今までなかった。

 もしや何かがあったのではないかと各々が思いだし捜索へと乗り出し始めた。それから二日経っても何の手がかり一つ見つからなかった。驚くべきことに探偵社が誇る名探偵ですら太宰の居場所、何故消えたのかを解き明かすことはできなかった。探偵社社員の中に暗雲が立ち込める。

 太宰さんですからと口にしながらも胸中で抱える不安を消すことはできなかった。そんな状況の続く夜更け。福沢は探偵社からの帰途をいつもとは違う道を少し遠回りして歩いていた。

 普段はあまり通らない治安の悪い路地を通ったりしながら太宰の影を探している。太宰ならば何か意図があって姿を消したのではないかと思いながら、その意図が何か分からず福沢も不安を抱えていた。

 つい数か月前に天人五衰を打ち倒したばかり。

 やっと平穏が戻ってきたというのにまた何かあるのかと。それ以前に天人五衰の件でもそうだったが太宰は何でも一人で抱えすぎるところがある。まだ探偵社の誰もがその気配にも気付いていなかったころから、すでにその存在を意識していた太宰が、誰にも云わず裏で手を回していた事を知ったときは声を荒げて怒り出しそうになった。状況がそれを許さずその後も色々あって流されてしまっていたが、落ち着いてきた今近いうち話さなければならぬと思っていたところでの失踪。もしやまた何か一人でと思うと気が気ではいられない。とはいえ、やれるだけのことはもうすでにやっている。福沢にできるのはたったこれだけのことであった。

 だがそれが思いもしなかった形で太宰を見つけることとなった。  



 細い路地裏に入った時、福沢は不穏な音を耳にした。誰かが何かを殴るような音だ。すぐに息を潜めて音の出処へと向かう。柱の陰に隠れ音のする路地を覗き込んだ。人気のないそこに数人の男がいた。どう見てもただのチンピラであり普段なら放っておくところであるが、彼らが蹴っている何かがまだ幼い子供であることに気付けば放ってはおけまい。福沢は素早く相手の懐に入り込むと物云わず殴りつけた。相手に認識される前に片付け、殴られていた子供に手を差し出す。

「大丈夫か」

 ひゅっと息を飲む音が福沢から出た。差し出す手が震えた。福沢が手を差し出した時には既に子供は身を起している所だった。男たちの影に隠れてよく見えなかった姿が見える。

 四・五歳程度の細い体つき。上半身に大きめのシャツを纏っただけの服装。

 福沢を見つめる目は光を宿さない褪赭色の目。その顔だちは福沢の探し人、太宰治にそっくりであった。

「太宰」

 思わず漏れた言葉に子供は反応しない。

 似てはいるだけで違うのかと安心したのもつかの間。子供の手が福沢に伸びた。

「ねえ、おじさん」

 着物の裾を掴んだ手。その手とは逆の手は思わず息を飲む様な卑猥さで子供自身の体を嘗め回す。

「僕と良いことしない。気持ちいと思うんだ。ねぇ、しよ」

 白い頬がほんのりと染まり目は熱く潤む。蠱惑的に歪んだ口元。小さく空いたそこから赤い舌がちらちらと覗いて熱情をあおる。思わず頬が赤く染まりそうになるのを感じながら福沢ははっと我に帰った。

 ごんと軽い音が艶めかしい雰囲気を打ち消す。

 音の出処は子供の頭。目を大きく見開いてキョトンとした顔を子供が浮かべる。何か起きたか理解しきれないでいる子供らしい顔にうむと一つ福沢は頷く。

「子供がそのようなことをするでない。生きるために必要だというのであればこい。食べるものぐらいなら与えてやれる」

 もう一度差し出す手。子供はそれをまじまじと見る。福沢と見比べながら何度か目を瞬いたり視線をどこかに飛ばしたりした。しばらくして漸く手を取る。

 その姿にそうしたらどうなるのだろうかと云った好奇心のようなものを感じて福沢の眉が顰められる。何かがおかしいと思いながらもまずは子供を連れ帰り手当をするのが先決だと考えることは後に回した。すぐにでも離してしまいそうな子供の手を握り帰途をつく。

 太宰似の子供を放ってくことはできなかった。


 自分の家に子供を招き入れた福沢。明かりのついた場所で子供を見るとその姿に愕然とすることとなった。 太宰に似たなどでは済まなかった。

 明かりがついた場所で見るとまさに太宰そのもの。太宰の幼い頃の姿はこうだったのだろうと思うほど、否、それ以上に似ていた。過去から迷い込んできたのかもしくは太宰本人が小さくなったのではなどと考えてしまうほど瓜二つだった。

「名前は」

 気付けば福沢はそう問いかけていた。子供は一度福沢を見つめそれから口を開く。

「おさむ」

 舌足らずでやわらかな声が名前を告げた。小首を傾げて大きな目で見あげるようにして薄らと頬笑む。口元に載せられる笑みは完璧なほどに美しく蠱惑的だった。その作られた表情が太宰の笑みと重なる。目の前にあるものより丸く緩く少し崩れたその笑みは一種の癖のように太宰の顔に張り付いている。それを何のためにどうやって身につけたのかが分かった瞬間だった。

 細い体の頭のてっぺんから爪先までを見下ろす。頬は少しこけ服の上からでさえ不穏なまでに痩せているのが分かる。少し衝撃を与えただけで簡単に折れてしまいそうなほど。見える限りの青白い肌には幾重もの傷や不埒な痕が覗く。それらに強い嫌悪を覚えながら福沢の目につくのは子供の幼い肢体を覆うワイシャツ。成人した男のものと思えるそれはあまりに薄汚れていたためすぐには気付かなかったがよく見れば見知ったもの。太宰が着ていたものだった。

 殆ど確信していたことがそれにより確定に変わる。 何故こうなっているのかはわからぬが目の前の子供は太宰治に間違いなかった

 気付くと共に福沢はまず与謝野、その次に乱歩、国木田へと電話をかけていた。 素早く三人に用件を伝え、見上げたままの太宰の手を取る。与謝野を呼んだものの買い物を頼んだので多少遅くなるだろう。それまで傷だらけの太宰を放置することはできなかった。

 まずは一度汚れを落とすため浴室に連れていく。落ちないように浴槽のふちに座らせれば桶にお湯をため清潔なタオルを付ける。固く絞ったタオルで太宰の体をふいていけばその目はじっと自身に触れるタオルを見つめた。何を考えているのか分からぬその顔はここに来るまで度々見られているものだ。福沢が何かをする度、何かを云うたびに向けられる。何かあるのかとその目を向けられるたびに数分止まり反応を待つのだが返されることはない。子供の太宰は今の太宰からは考えられないほどおとなしかった。自ら動くことも話すこともせずただ福沢についてくる。この時すでに福沢にはある考えが浮かんでいたが、まさかそんな筈はないと幾度も打ち消していた。それほど当たってほしくない答えであった。

 あらかたタオルで拭き終えると大きめのバスタオルをその体にかける。着ていたワイシャツは土や垢と云った汚れだけでなく血や云いたくもないものまで付着していたので本人の確認はとらないまま破り捨てていた。居間に戻り簡単な手当てを済ませた頃には与謝野と乱歩の二人がやってきた。

 事前に聞いていた二人だが実際の太宰の姿を見ると目を丸くして驚く。だがすぐに二人はそれぞれのやるべきことをする。与謝野は太宰の診察。乱歩は超推理を。

「なるほど。うん。太宰本人で間違いないよ。ついでに云うと過去のとかじゃなく現在の。それは福沢さんももうわかってるよね」

 ああと福沢は答える。体を拭いた際に見た傷には探偵社に入ってからできたものもいくつかあった。姿こそ幼くなっているものの体は太宰のもので間違いない。だが原因はと思う。これが他の者なら何らかの異能によるものかと納得できるが残念ながら太宰には異能は効かない。

「原因は薬だよ」

 福沢の考えていることを読み取ったのか。聞く前に乱歩が云っていた。

「多分飲んだのは二つ。精神操作系と身体操作系。今の太宰は子供の頃の記憶しかないと思う。誰かに飲まされたんじゃなく太宰自身が飲んだんだ」

 続けられた言葉に福沢は驚きを示す。自殺をしようとして薬を飲むことはよくあることだが、まさかそんな薬まで飲むとは思えなかったのだ。それもわざわざ二つそろえて。何故と問いかけると乱歩は口を薄く開いてそれから閉ざす。

「云えない」

 伏目がちに云われたのはそんな一言。

「それはみんなが自分で考えないといけないことだ。太宰自身どうしてこんなことしたのか自分で気づかないと」

 そうかと福沢はつぶやいた。乱歩が云うのならそうなのだろう。思えば太宰と云う男の事は乱歩以外武装探偵社の誰も詳しく知るものがいない。福沢とてそうだ。精々知っているのは前職ぐらい。それまで何を考えどう生きてきたのか何を思っているのか。張り付けた笑顔に隠されてその裏にあるものに誰一人触れることを許されない。常々感じていた。探偵社にいながらも太宰と皆の間には薄い壁のようなものが横たわっていると。各々それを如何にかしようと太宰の懐に潜り込もうと奮闘していたがそれを壊せたものはいない。もしかしたら今回の件はそれを如何にかする機会なのかもしれない。たった一度の機会なのやも……。

 与謝野の治療を受けている太宰を見る。彼の姿は相も変わらず。与謝野に何かを云われても答えることはせず、ただじっと見つめている。福沢の眉が顰められる。

「無駄だよ。与謝野さん」

 乱歩の声が響く。まさかと福沢は思う。

「太宰は言葉の意味が分かってないから。言葉だけじゃなくて自分が何をされてるのかも理解してない。そいつは今まで太宰が生きるのに必要にしてきた知識だけしか詰め込んでないから、それ以外は何にも頭に入ってないの。空っぽだよ。だから何云っても無理。言葉なんて返ってこないよ」

 否定し続けていた考えが正しかったのだと指摘され福沢は茫然と太宰を見た。思い出すのはあの完璧なまでの太宰の笑み。

 人を惑わず美しい微笑み。

 そんな事だけを幼い太宰は必要として生きてきたのだ。



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