第5話 彼女たちが旅立った日

 ルードが旅立つ日の朝。ピンスは軽食を作ってから彼女を起こした。

「おふぁよ〜ピンス」

「おはよう」

 寝起きの伸びをしながら大きな欠伸をするルード。そんな彼女を見てピンスは妙に意識してしまう。

 おそらく昨晩のことが原因だろう。だが、どんな心境であれ、彼女を送り出す決意は揺るがない。

「ほら、朝ごはん食べちゃいなよ」

「うむ。いただきます」

 少し眠そうに瞼を擦りながら彼女は朝食に手をつける。

 彼女は重い動作で、街を出る前の最後の食事を味わう。

「僕も準備しないと」

 彼女が食事している間にピンスも荷物のチェックリストを確認しておく。

 ルード一人が持ち運べる量なのでそんなに多くはないが、保存食が痛んでいないか、水は清潔かなど、一つ一つ確認していく。

「ご馳走様でした」

 ルードが食べ終わった頃、ピンスもようやくチェックリストの確認が完了した。

「あっ、装備の説明してないや……」

 本当は昨日の夜に説明するはずだったがもう手遅れだ。

 みんなで広場から見送るのだから時間的にもそろそろ行かないとまずい。

「まあ、送り出す前に説明しよう」

 今は彼女の準備が最優先。いつもより慌ただしく朝の時間が過ぎていった。

 そして、約束の時間。

 広場にはルードと仲の良い娼館の知人たちの他に、昨晩別れの挨拶を済ませたマレトも見送りに来ていた。

 さらにはマレトの補佐を務めるカハという女性までいる。

「ん? 来たみたいだな」

 バベンが向いた方向からは一人分の荷物を背負ったルードとピンスが歩いてくるのが見えた。

 二人が到着すると、各々簡単に挨拶を始める。

 みんな色々と話したいことはあったようだが、ピンスが用意した道具の説明を優先してくれた。

 この説明が出発前最後の確認だ。

「このフックアンカーは圧縮した水で飛ばすんだ。引っ掛けたい場所にフックを向けて、ここの留め具を外すと射出されるよ。使い終わったらここのピンを引き抜くと巻き取るからね。使い終わったらここの穴から水を注げばまた使えるよ。注意点は頑丈に作ったつもりだけど、内部のスプリングの耐久もあるから引っ掛けた状態で巻き取らない方がいいかも」

「うむ、使って覚える」

「そうか、一気に説明し過ぎたね」

 そう言いながらもルードはフックアンカーをベルトに装着する。

「他に注意するのは悪い人に誘われてもついていかないことかな」

「大丈夫だ。私にはピンスがいるからな」

 ピンスは朱がさした顔をルードに向ける。彼女は愛しい技師をその目に焼き付けた。

 その様子から説明が終わったことを知った周囲の人々はそれぞれ彼女に言葉をかける。

 最初に話しかけたのはバベンという老人だった。彼は白髪をオールバックにした男性で娼館【葡萄の湯船】のオーナーでもある。

「ルード、要らぬ心配かもしれないが、この世界では理不尽なこともある。それを割り切っていかなければならないこともな。まあ、外に出れば自ずとわかる。お前さんなら大丈夫だろう」

 かつて一流の冒険者としてこの世界を渡り歩いたバベンの言葉は意外にも少ない。それは彼女への信頼でもあり、言葉だけで表すことができないという意味でもあった。

「ああ、何事も経験……とはいかないだろうが、何とかやってみせるさ。ダメなら逃げ帰ってくる」

「はっはっはっ、お前さんでダメなら、誰も旅に出られんかもな」

 バベンの話が済むと二人の女性が出てきた。

 彼女たちはルードと特に仲が良かった。

「ラコ、ミーマ。世話になったな。私はこの旅で可能な限り資金を貯めるつもりだ。そうしたらラコの借金も返済できるかもしれない」

 ラコと呼ばれた女性が驚く。彼女はそばかすと眼鏡、赤い髪が印象的な女性で、同年代の他の女性たちより少しだけ背が高いのもチャームポイントだ。

「ええっ!? そんなこと気にしなくっていいですよ! 旅はお金がかかるものですから無茶しないでください。せっかくルードさんとお友達になれたのに無理して万が一のことががあったら悲しいです」

 ラコはルードの言葉に驚きを隠せない。

 そこへもう一人の友人であるミーマも会話に参加する。

「そうですねぇ、ラコのお金の心配はしないで、無事に帰ってきてもらえればそれでいいと思いますよ」

 いかにも大人の女性といった佇まいのミーマは、魅力的な長い黒髪を風に揺らしながらそう言った。

「わかった」

 ミーマとラコに負けじと幼い少女も声を出す。結った少し長めの髪とどんぐりのような瞳が可愛らしいこの少女はタヤだ。

「そうだよっ。ルードがいなくなったらピンスたちと同じぐらい私も悲しいもんっ」

「ありがとうタヤ。私もタヤに会えなくなったら悲しい。街に帰ってきてもまた私の相手をしてくれよ」

「うん」

 満面の笑顔で約束する少女たち。それぞれが思い残しの無いよう言葉を交わす中、最後に声をかけたのはマレトだった。

「ルードさん。これは少ないですが……」

 彼女の手には銀貨の入った小さい袋が乗っていた。

 ルードは袋を受け取ると、そのままリュックに入れた。

「ありがとうマレト。でもこれは必ず返しにくるぞ」

「ルードさん。それはこの前の魔獣退治の報酬です」

「なら返さないぞ」

 ルードは渡された銀貨の重みをわかっていた。これは彼女の個人的な資金だろう。街の管理者としてではなく、マレトが個人的にできることがこれなのだ。

 全員の挨拶が終わると、カハがルードに声をかけた。

「では、わらび餅さんの場所までは私がご案内いたします」

 昨晩から今朝にかけてわらび餅の面倒を見てくれていたカハはルードの前を歩く。いかにも仕事ができる女性といったカハは、その見た目通りの背筋を伸ばした歩き方だった。

「じゃあなみんな。私が戻ってくるまで元気でいるんだぞ」

 そう言ってルードも歩き出した。

 みんなでその背中を見送るものの、彼女は歩き始めてから一度も振り返らなかった。ピンスにとっては寂しい反面それがありがたい。

 もし一度でも彼女が振り返ったら「行かないで」と声をかけて引き留めていたはずだから。

 

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