一章 一年後あるいは今
ある技師の一日
第6話 技師のピンス
懐かしい夢から覚めたピンスの体を疲労が駆け巡る。ルードが旅立ってからもうすぐ一年だ。
朝焼けの光が差し込む窓をぼうっと見つめてから、寝起きのボサボサとした髪を整えて身支度を済ませる。外套を羽織り、愛用の手袋をはめ、白い髪留めをつけてから自宅を出た。最近はそこまで寒くないが、この時間は風が冷たい。
「思ったよりも寒い。でも食べ物くらいは買わないと」
昨日引き受けた仕事が想定外の大仕事で一晩中かかってしまった。身体はまだ休めと言っているが、空腹が酷いのでそうもいかない。
街道を歩きながら、欠伸を繰り返す。食事を終えたら今日は夜間の仕事まで寝続けようと心に決めて大通りを目指す。
朝早い時間はやっていない商店も多いが、飲食店などは夜間の警備をする自警団なども利用するので営業している店もある。
「空腹に負けそうだ。何か食べたい……」
ふらふらと歩き続けるピンスに声がかかる。
「あ〜、ピンスだ。おはよう、今日は珍しく早起きだね」
挨拶してきたのは幼い少女だ。少し長めの髪を結び、どんぐりみたいな色の瞳でピンスを見ている。
「おはようタヤ。今日はちょっと仕事明けでね。朝ごはんを買って帰ったらまた寝るつもりだよ」
元気のいい挨拶をしてくれた少女に手を振りながら応じるピンス。眠気はあるが、日の光に当たっているせいかそこまで酷くはなくなってきた。
タヤは無邪気な笑顔でピンスの元へ駆け寄って来る。
抱っこしてとばかりに飛びつく彼女を受け止めた。
「夜にお仕事があるなんてミーマ達と同じだね」
タヤがそう言ったのとほとんど同じくらいのタイミングでまたもやピンスは声をかけられる。
「おはようございます。ピンスさん」
胸元のタヤから視線を戻すと緑の瞳と目があった。
「ミーマさん。おはようございます」
娼館【葡萄の湯船】で娼婦として働いているミーマ。いかにもお姉さんといった雰囲気の彼女は今日もタヤの面倒を見る予定なのだろう。
ミーマはピンスに用事があったらしく、挨拶を終えると用件を切り出した。
「あの、ピンスさん。もし宜しければ、お時間のあるときに【葡萄の湯船】まで来ていただけませんか?」
「お願いピンス。修理してほしいものがあるの」
娼館での仕事は何度も受けているが、タヤまでお願いしてくるのは珍しい。尤も、タヤにお願いされなくとも断る理由はないので引き受ける。
「ミーマさんとタヤにお願いされたら断れませんね。今日は夜警があるのでその後でよければ可能ですよ」
いつも以上に穏やかな口調で話すピンス。ミーマの口調が写ったのだろうか。仕事の約束をしていると、割って入る声が聞こえてきた。
「ええっ!? ピンスさん、今夜来るんですか?」
「ラコ、割って入っちゃダメだよ」
タヤが急に割り込んだラコを嗜める。
「ああ、ごめんなさい」
ラコは眉を八の字にして謝る。その様子にピンスとミーマは苦笑した。
「仕事のときはラコにも会うよ」
「ええっ、私はそんな、いや、ピンスさんには会いたいですけど」
ピンスは顔を赤らめるラコを微笑ましく思いながら、手を振って彼女たちと別れる。
彼もそろそろ空腹の限界が近い。何か買って食べねば。
食事を終えて眠りについた彼が再び目を覚ましたとき、朝日は夕焼けになっていた。
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