第3話 送別会

「ピンス。突然だが、私は明日の朝旅立つことになった」

 マレトにわらび餅の件を反対された翌朝。技師としての作業を終えて眠り続けるピンスの元にルードが現れて開口一番そう告げる。

 朝日を背にしたルードは寂しそうな、けれどもどこかスッキリした表情だった。

「どうしてさ」

 ピンスは瞼を擦りながら訊ねた。

 彼の体は完全には目覚めていないが思考はすでに彼女の言葉を理解している。さらに言えばきっと自分はこうなることをわかっていた。だから昨晩、焦燥感に駆られながら必死に作業していたのだ。

 そして、ルードの返答もピンスには予期できるものだった。

「街の中に連れてこれないからと言って、わらび餅をいつまでも街の外に出して置くわけにはいかない。旅に同行させて私が面倒をみる。マレトに相談したら、今日一日は街の外壁沿いにある小屋へわらび餅を入れさせてくれるそうだ」

 ルードはピンスが予想していたものと同義の返答をした。

 彼女は仕方ないといったような態度だが、諦めではなく切り替えを意味している。

「私は旅をしてわらび餅がラコソカッドで暮らせる方法を探そうと思う。ついでに私の使命とやらについても考えるつもりだ」

 いつもと変わらないように見えるルードの態度や言動にピンスは胸に込み上げるものを感じた。

「じゃあ、僕もルードの旅支度を手伝わないとね」

 ピンスは自分の内側に溢れる寂しさを抑えきれず、彼女に背を向けて部屋の奥へ移動する。そうしなければ泣いてしまいそうだった。

 ルードはピンスが部屋の奥へ行くのを見届けると、彼の自宅を離れて街の住民たちへ挨拶に行く。彼女の友人たちは別れを悲しみ、緊急の送別会が開かれることに決まった。

 ルードが自警団の知人たちにも別れを告げていくと、集会所を送別会の会場として使わせてもらえることになった。自警団には魔獣との戦いでルードに恩を感じる者やその強さに憧れた者も少なからずいたので、その恩返しでもあり、彼らからの餞別でもある。

 ミーマやラコなど娼館の女性たちを始めとするルードの友人たちが送別会の準備を進めている間、ピンスは自宅で一人、彼女の旅支度をしていた。

 保存食や道具の最終チェックなどやることは多岐にわたるが、その作業中に彼は一つのことを思いつく。

 もし自分が彼女の旅に同行したいと言ったら、ルードは連れて行ってくれるだろうか。

 ピンスは再度作業に取り掛かって雑念から目を逸らそうとするが、こういった思考は一度想像してしまうと何度振り払おうとしても簡単には消えてくれない。

 ピンスがふとした思いつきに窓わされながらルードの旅支度を終えた頃、送別会はすでに終わりかけていた。

 ルードの姿が見当たらないので奥の席を見にいく。

 ピンスが参加者たちの近くを通り抜けて移動すると、断片的な会話が耳に入ってきた。

「ルードもとうとう旅立つのか」

「長かったような短かったような」

「ずっと前からこの街にいたような気もするな」

 参加者の会話を聞き流しつつ歩くとルードとマレトが二人で席に着いているのが見えた。

 声をかけようとしたピンスだが、二人の様子がいつもと違うので躊躇ってしまう。

「私のことを恨んでますか?」

 マレトはいつもの表情でルードに問う。その視線は酒の注がれたグラスに向けられたまま動かない。

「街の管理者としては必要なことだったんだろう? マレトは今まで私に良くしてくれた。感謝こそすれ、恨んだりはしないぞ」

 ルードは果実酒の注がれたグラスを揺らしながら目を細める。その表情は楽しげで、この街での記憶を振り返っているようだった。

「私は、貴女一人を街から追い出して事を済ませようとしているんですよ。貴女とピンスくんは私に相談しに来てくれたのにっ」

 普段のマレトからは想像もつかないような強い感情の籠った声。力を入れて握られた彼女のグラスが揺れ、注がれた酒と氷が軽快な音を立てる。

「なあマレト。私はマレトが今回のことを蔑ろにしていたとも、私を除け者にしたとも思ってない。確かにピンスやラコ、マレトたちと別れるのは寂しいが、街を離れてみるいい機会だと思ってさえいるんだ」

 ピンスは二人の会話に聞き入ってしまった。声をかけることもできないまま、近くで立ち尽くす。

「私はこの世界を知らない。文字さえほとんど読めないし、術式も扱ったことがない。この街にいると、それで良いような気がしてしまう。ピンスが文字を読んでくれるし、マレトが術式の仕組みを教えてくれる。ラコやミーマは生活の知識を伝えてくれる。でもそれじゃダメなんだ。私が何かをしないと」

 ルードは目を閉じてグラスの果実酒を飲み干す。空になったグラスをテーブルに戻すとマレトが彼女を見つめた。

「最初に出会ったとき、貴女は魔獣から街を守ってくれました。それは貴女が私たちにしてくれたことです。私やピンスくんたちにとって、貴女は街の住民……いえ、仲間なんですよ」

 ルードはマレトの言葉を素直に受け止めて一度は彼女と目を合わす。だがすぐに空のグラスに目線を戻してしまった。僅かな沈黙を経てルードは再び想いを口にする。

「私もみんなが好きだ。だけど、わらび餅と天秤にはかけられない。だから旅をしてわらび餅とみんなで一緒に暮らせる方法を探す。でも……」

 マレトは口を挟まない。ただ静かに聞くだけだ。

「でも、もしも……私が心折れてこの街に戻ってきたときは、どんな条件でも呑むから……あのときみたいに……」

 マレトはテーブルの上に置いた拳を握りしめる。背を丸めて俯く彼女は背後にいるピンスからすると泣いているように見えた。

「初めて会ったときみたいに、またこの街の門を開けてくれるか……?」

 少しだけ顔を動かしてマレトの方をみるルード。街の管理者は努めていつもの表情に戻そうとしながら、ルードの拳を優しく握る。

「そうですね。そのときはまた門を開けましょう。でも、ルードさんが帰ってくるときにはどうにかしてわらび餅ちゃんと暮らせるようにしたいですね」

 二人は再び視線を合わせる。何も言わずに見つめあっていると、マレトが背後のピンスに気がついた。

「ピ、ピンスくん? いたんですか? 言ってくれればよかったのに」

 マレトは顔の高さまでグラスを掲げて濡れた瞳を隠す。

 ルードも一瞬だけピンスを見るとまたそっぽを向いてしまい。グラスに水を注ぐ。

「ピンス……来てくれたのか。少し酔いが回ったみたいだ。そこで待っててくれ」

「うん」

 ピンスは彼女の声が涙まじりなことには気がつかないフリをした。

 ルードは時間をかけるようにグラスの水を少しずつ飲み干す。

 空になったグラスをテーブルに戻すと、マレトに最も大事な言葉を伝えた。

「マレト。またこの街に帰ってくる」

「ええ。お待ちしてます。そのときは『おかえりなさい』って出迎えますよ」

 そう言って笑い合うルードとマレトはもう、表面上はいつもの二人だった。

「では、私はこれで失礼します。ルードさんはまた戻ってくるとのことですから『さよなら』を言ったりはしませんけど、旅の無事をお祈りします」

 目元が少し腫れている以外はほとんどいつもの調子に戻ったマレトは、ピンスとルードに気を遣ったのか席を立って何処かへ行ってしまった。

 その後ろ姿を見送ってからルードは席を立つ。

 振り返り、ピンスに向き直ると銀髪の少女はグラスを差し出した。

「ピンス。私に付き合ってほしい」

 その言葉にすかさず反応したのはピンスではなく酔っ払いたちだった。

「『付き合ってほしい』だってよ」

「やっぱり街に来てすぐにピンスと恋仲になったってのはホントみたいだな」

「なんだよピンスはマレトさんじゃなかったのか? この街に来る前からずっと一緒にいたんだろ?」

「何言ってんだよピンスにはラコがいるだろうが。仕事のときと、プライベートでピンスに会うときの顔は違うどころかまったくの別人だぞっ」

 ルードが席を立ったことで注目を集めたのだろう。先程までマレトたちの会話に口を挟めなかった酔漢たちは今になって野暮な話題で盛り上がる。

 そこへ低い声が響き渡った。

「そのくらいにしろ酔っ払いども」

 集会所の隅から聞こえた声の主はベアンという青年だった。ベアンは鍛えられた肉体と日に焼けた肌が特徴的なピンスの友人である。

 彼は丁度自警団の仕事から戻ってきたらしい。

「おお怖え」

「ベアンはピンスがお気に入りだからな」

「ピンスが女と交際する話は気に入らねえんだろ」

 酒に飲まれた酔漢たちは調子に乗って好き勝手に言い出す。この後でベアンから散々な目に遭わされることなど夢にも思っていないだろう。

 ピンスはこの場の雰囲気が嫌になり、グラスを差し出していたルードの手をとった。

「僕は、二人だけで過ごしたい」

 ルードは顔をアルコール以外の要素で赤くして彼の手を握り返した。

 二人は何も言わないまま足早に集会所を出ようとする。

 出入り口に着いたとき背後から「愛の逃避行だ」と茶化す声がしたものの、二人の耳には届かない。ピンスもルードもお互いの手から伝わる体温や感触、指の力を感じることで頭も心もいっぱいだった。

 外に出ると、二人は酒臭い喧騒から一刻も早く逃れるように走り出す。

 夜の街を駆ける二人はピンスの自宅に着くまでの間、愉快で爽快な時間を過ごした。

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