144.船室(1)
「うぁ……!」
夢と現実の狭間を揺蕩うような、そんな曖昧な意識の中。
顔にぴしゃりと冷たい感触が突如伝わり、私の意識は一気に覚醒する。
ひたひたと、顔面から肩へ水が滴る感覚に思わず私は眉を顰めた。
「ここは……?」
びしょびしょになった顔を拭おうとしたところで、すぐに手が後ろ手に縛られていることに気がついた。
恐る恐る目を開くと、そこは木の板を全面に張り合わせた狭苦しい空間。暗くて、じめじめとしていて、天井の方からは光が差し込んでいるものの、薄暗くて気味が悪い。地面は不規則にゆらゆらと揺れていて、なんだか気持ちが悪くなりそうだ。
「よぉ、起きたか? ドラゴンの嬢ちゃん」
そして、私の目の前には1人の男が立っていた。その片手には水筒、……たぶんこれで私に水を掛けたんだろう。
この男は確か――私が最初にぶつかった男だったっけか。広い肩幅に厚い胸板、太っているけど、どちらかというと筋肉質な感じだ。
未だふわふわとする頭の中、そんな男の姿を見て、私は今までの出来事を一気に思い出す。
「アイラは……! ライルは……!?」
脳裏にくっきりと残るのは、2人の無惨な姿。ライルに至っては、剣で刺されるという重症を負っていたのは間違いない。
そんなことは絶対に考えたくない。受け入れたくない。……だけど、私の頭の中によぎったのは”死”という一文字。
「あの騎士2人か? ハハハ、アイツらは死んだよ。残念だったな!!」
「……っ、絶対嘘! 2人は、絶対に助けに来てくれるもん!!」
でも私は信じていた。……いや、信じていないとやってられない。
アイラも、ライルも、きっと生きている。男に向けて、私はそう叫んだ。
「お前も見たじゃないか。もっと現実を見れるように、頭を冷やしたらどうだ?」
ジョボジョボと頭から水を更に掛けられる。頭皮を伝い、顔、首、肩へとどんどんと流れていって、服に大きな染みを作っていく。ぐしゃぐしゃだった髪はこの所為でぺたんこになり、まとわりつくように頬に張り付いて、気持ちが悪い感触だ。
そんな私の様子を見て、ゲラゲラと笑う男。
許せない、コイツらがアイラとライルを……!
「ぶっ!!!!」
「クソッ、てめぇ!!??」
流れてきた水をこっそりと口に含んでいた私は、それを一気に男の顔へと吹き付けた。唾とともに男の顔はびしょびしょになり、驚きのあまり数歩後退りしていた。
「よくも、私の大切な人に!」
「このガキ……!」
私はキッと男を睨みつけた。
……が、反撃されるなど微塵も思っていなかった男の方も、怨嗟に満ちた表情で私に掴みかかる。左手は私の胸ぐらを掴み、そして右手は拳が握られ、大きく振りかぶろうとしていた。
私を、殴ろうとしているのは明らかだ。
でも……大丈夫。このくらいなら……私だって耐えてみせる。
殴られることを覚悟した私は、目をぎゅっと閉じた。そして歯を食いしばり、衝撃に備えた。
「――ガキ相手に熱くなるな」
聞き覚えのある声に、私は恐る恐る目を開いた。
「クソ、離せよこの!」
「”荷物”に傷をつけるつもりか?」
そこには、茶色の三角形の耳を携えた獣人の男――ルシアンが立っていた。彼は男の右手を押さえ、振るおうとする拳をいとも簡単に止めてみせた。
男の手はぷるぷると震えているのに対して、ルシアンの方はびくともしない。どう見てもルシアンの方が体格的に不利なように見えるが、実はルシアンの方が力が強いみたいだ。
「調子に乗るな、『飼い犬』のクセによ……」
「何か言ったか?」
小さな声で悪態をつく男。
だがルシアンは、どこ吹く風といった様子でその顔をぐっと覗き込み、逆に男を威圧してみせた。その口元には、鋭く尖った犬歯が見え隠れしている。
「……っ、なんでもねえよ!」
「ならいいが」
流石に力の差を見せつけられた男の方も、これ以上歯向かうわけにもいかないようだ。男はそんな捨て台詞を残し、どこかへと立ち去ってしまった。
ギシギシと木材が軋むような、男が階段かなにかを登るような音が背後から聞こえる。その音に耳を立てながら、私はルシアンを睨みつけた。
「……………………」
「はぁ、ありがとうの一言も無しか?」
ルシアンは、呆れたような表情でため息をつく。
そして彼はその場でしゃがみ込み、私と目線を同じ高さに合わせた。
「……それで助けたつもり?」
「いや、まあ、そういうわけじゃないが。……喉、乾いたろ」
彼が取り出したのは、水筒だった。先程、男が持っていたものとよく似ている。
ルシアンはその蓋を開けて、私におずおずと差し出した。
いや……こうやって良い人ぶっても、私は絶対に許さない。
彼こそが、アイラとライルを傷つけたまさに張本人なのだ。なにをされても、私はずっと恨み続ける。仲間を騙して殺そうとしたことの代償を、必ず払わせてやるんだから。
「……………………」
「ただの水だ。お前……丸一日寝ていたんだぞ、さっさと飲め」
「……アイツみたいに、吐きかけられたいの?」
「その程度じゃ俺は怒らないが、そうなるとお前の分の水はもう無いぞ」
ルシアンは水筒を振って、じゃばじゃばと水音を出してみせた。確かに……本当に水が入っているようだ。
そうやって意識してみると、実際喉はカラカラだ。口の中の奥深くがぴりぴりとして、痛いくらい。
「ここは船の中だ。港につくまで、物資は限られている」
「船……?」
今の今まで気が付かなかったが、確かに水の音が壁伝いに聞こえてくる。海なのか、川なのかは分からないけど、確かにここは船の中のようだ。
――そこで私は、ようやく一抹の不安を覚えた。
「私は……どこに連れて行かれるの?」
「帝国――レヴァンティア帝国だ」
帝国。私も名前だけは聞いたことがある。
王国西部と国境を接する、大陸全土でも有数の強国。かつては――それこそ、神竜セレスティアがこの国にやってきたくらいの頃は、この王国を含む周辺国と頻繁に戦争を繰り広げていたみたいだけど、現在は一応仲良くはなっているらしい。
とはいえ……私は一歩も王国から出たことがない。どんな国かもよく知らなければ、これからどんな処遇が待っているかもわからない。今まで気丈に振る舞っていた分、なにが起きるのかわからない不安で胸が一杯になる。
もう二度と、みんなと会えないかと思うと……、私……。
「お前を欲しがる変わり者がいるんだとよ」
ルシアンは肩を竦めながら、あっけらかんと言った。
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