143.回復魔法
『師匠……飽きた』
魔法の修行に明け暮れる毎日。
言い換えればそれは、練習以外にやることがないということ。セレスティアは、そんな代わり映えのしない日常に異議を唱えた。
『文句を言うな、セレスティア。お前はまだ半人前だ』
『私、強くなる。回復、意味ない』
私がセレスティアに与えた課題は、回復魔法の習得であった。
怪我や病気を簡単に治すことができる、非常に有用な魔法であることには違いない。だが一方、その訓練は地味であることは紛れもない事実だろう。
怪我をしている生き物なんてそうそう見つかるものではないので、私に向けてひたすら魔法を掛け続けるという形式になる。この魔法の性質をよく理解する私なら、たとえ傷がなくとも効果を評することができるからだ。
故に、その風景は代わり映えしない。治す怪我がないのだから、当然である。
『口答えするか。お前も立派になったものだ』
私はぶーぶーと文句を垂れるセレスティアに、皮肉交じりに説教をしてやった。
『ありがとう』
『……言っておくが、褒めていないからな』
だがセレスティアは、言葉そのままの意味で捉えたようで、ほくほくとしながら尻尾を揺らしていた。
これは失敗だ。まだ言葉も中途半端なアイツに、皮肉を言うのは早すぎた。
『それはともかくだ。お前はこの魔法の意義を理解していない』
『いぎ?』
『そうだ、セレスティア。意義、だ』
言葉をきちんと理解できているか不安になるが、まあいいだろう。
『お前は、強くなりたいと言っていたな』
『うん。師匠みたいに、強くなりたい』
『そうか。なら、戦いの中で一番大事なことは何だと思う?』
セレスティアは、首をひねって考え始めた。
本当は即答してほしいところだが、一旦ここは目を瞑ろう。
『強さ?』
『……違う。お前は今まで何を練習してきたんだ』
『ごめん』
セレスティアはすぐに謝った。コイツの潔いところだけは感心する。
『死なないこと、だ』
『……死なないこと?』
『ああ、回復魔法はその最たる例だ。これを使いこなせなければ、戦いを語る資格などない』
『…………?』
セレスティアは、相変わらず首を傾げていた。コイツはまだ……私の言いたいことを理解していないようだ。
今まで毎日のように繰り返してきた練習という練習を、コイツはその意図も理解せず、ただ適当にやっていただけということが判明してしまったというわけだ。
だから私は、この舐め腐った根性にお灸を据えることにした。
『――未熟で、稚拙で、お粗末なお前に、私からの特別練習だ』
『練習?』
『何をしてもいい。私を倒せば、お前の勝ちだ』
セレスティアは、私からの提案に驚いていた。そして同時に、嬉しそうでもあった。尻尾を真っ直ぐ上に立ち上げ、ぷるぷると先が震えている。
私とセレスティアは、今までに直接戦ったことは無い。だからこそ、私と戦えるということ自体に興奮しているのだろう。
――だがそれは、あまりにも甘い考えだと言わざるを得ない。
私は、その場でドラゴンの姿に戻り、そしてセレスティアに向けて火の玉を放った。
『師匠――?』
セレスティアの声が聞こえ、その直後に爆発音。凄まじい轟音と爆風が大地を揺らし、土埃の混じった白煙が辺りを包み込む。
あっという間に彼女の姿は見えなくなったが、まだその煙の中に魔力の反応が感じられる。
並の生物なら消し飛ぶはずの威力だが、セレスティアはかろうじて生き長らえたようだ。
『し、師匠、待って』
煙を掻き分けながら、竜の姿で浮上して、私と同じ高さにまで登ってきたセレスティア。
彼女は助けを乞うているが、私はそんなことはお構いなしにと次の魔法を放つ。火の玉はセレスティアの頭の横を掠め、背後にある崖に着弾。爆発とともに、轟々と地響きが鳴り渡る。
それから、3発目、4発目、5発目……と、容赦なく飽和攻撃を仕掛けた。
セレスティアの体に目掛けて、物量に任せた数多の魔法が迫りくる。精度なんてものはどうでもいい。これらのうちの1つが偶然にでも当たってくれれば、それだけで十分な破壊をもたらすからだ。
そこでようやくセレスティアは、自身に訪れる危機に気がついた。手加減のない本気の攻撃に、彼女も負けじと応戦し始めた。
私の攻撃の合間を縫って、反対に私へブレスを発射する。
――だがその攻撃は、明後日の方へと飛んでいき、ただ魔力を浪費しただけに終わる。
飛んでくる攻撃を避けることで精一杯なのか、狙うという基礎的な動作を疎かにしていることは明らかだ。
あるいは私の真似をしているか。――それならば、間髪を入れずにもっと大量に発射すべきだ。
私の攻撃は1発でも当たれば、致命傷は免れない。そんな緊張感が、セレスティアの焦りをさらに加速させ、判断力と瞬発力を鈍らせていく。
数十に達するブレスを放ったところで、その1発がセレスティアの胴体に直撃。そして、それに追随するように次の1発が左翼の被膜を大きく貫いた。彼女の翼には、円形にくり抜いたような大きな風穴が空いていた。
『――――――っ!』
声にもならない声を上げ、バランスを崩しながら真っ逆さまに落ちていくセレスティア。ぐるぐると螺旋を描くような軌道は、片翼を失ったときによく見られる動きだ。
『無様だな』
セレスティアの墜落地点に、私は降り立った。
地面に横たわる黒い体。体の至るところから出血し、ウロコは捲れ上がっている。翼はボロボロで、もう飛ぶことは出来ないだろう。
『……師匠、やめて』
苦しそうにへたり込み、懇願する彼女に、私は辟易としながら吐き捨てる。
『これがお前のやりたかった”戦い”だ。そしてお前は、私に勝てなかった。一発も攻撃を当てることも出来ずにな』
『……………………』
『無様に命乞いをして、助けて貰えるとでも思っているのか?』
セレスティアは、何も言わなかった。
私が次にとどめを刺すだけで、コイツの命は今すぐにでも消し飛ぶのだ。そしてそのことは、セレスティア自身もよく理解しているようだった。
だから私は、彼女を一喝した。
『――”回復”しろ!
死にたくなければ、泥水をすすってでも生き延びてみせろ黒竜』
セレスティアは、ハッと目を見開いた。
――これこそが、回復魔法の真価だ。
生き延びる確率を上げる。それはどんな攻撃よりも有用で、価値のある戦略だ。どれだけ無様でも、生き残っていればそれでいい。次に勝てば良いのだから。
『分かった』
『そうだ、練習を思い出せ。自分の身体の構造と、魔力を同調させるんだ』
セレスティアの回復魔法はまだまだ未熟だ。自分の怪我すら満足に治せない、いわば雑魚だ。
そんな中セレスティアは、未熟なりに「翼を治す」という選択をした。
……悪くない。
翼を治せば、次の選択肢が広がる。一旦逃げることも、再度攻撃を仕掛けることもできる。全身を回復することができないときに、まず一番に治すべき箇所だ。
セレスティアは、そんな自身の力量を見定めたうえで、その中でできる最善を選び取ってみせたのだ。
『……及第点だ』
『飛ぶ、逃げれる』
『そうだ、よく分かっているじゃないか』
私は、セレスティアに追加の回復魔法を掛けた。
自分では治療しきれなかった全身の様々な傷も、あっという間に回復していく。セレスティアは、ケロッとした表情で『ありがとう』と呟いていた。したたかな奴め。
『次、師匠、倒す』
『ああ、そうだな。もっと力をつけて私に勝て。時間と機会は、まだたくさんあるんだ』
セレスティアは、興奮気味に尻尾を揺らしていた。
私はそんな彼女を見て、ため息をひとつ零した。
『……お前と出会った日を思い出すな』
『?』
不思議そうな表情をするセレスティア。コイツの図々しさと逞しさには、目を見張る物がある。
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