140.守り神伝承(2)
「まさか、師匠とはルーナのことなのか!?」
「ち……違う。ルーナはまだ子供、だから……」
「ならどうして魔力の波長が」
「私にも分からない。……違うのに、同じようにしか感じられない」
明らかに動揺するセレス。
魔力は、その個体それぞれで波長が異なる。まるで指紋のように、ひとりひとりの個性や色があるのだ。
ドラゴンは魔力に敏感だからこそ、この”波長”で個体を識別することができる。
だが……セレスは、ルーナと師匠の魔力を区別することができなかった。あれほど体に染み付いた師匠の気配が、全く関係の無いはずのルーナから感じられるのだ。
「私がここに来たのも、師匠がいたと思ったから。師匠が……生き返ったと思った」
セレスは拳を握り、震わせていた。それは、一言では表せないような感情だろう。
「でも……ルーナは違う。ルーナは、まだ、なにも……」
「分かった、セレス。無理に言わなくてもいい」
言葉を詰まらせ、苦しそうに顔をしかめるセレスを、ウェルナーは制止した。
――最初は、信じられなかった。
感じたのは、絶対にいるはずのない師匠の”気配”。非常に希薄なものだったが、この感じは師匠以外にあり得なかった。
セレスは、慌てて洞穴から飛び出して、森の中を駆け抜けた。絶対に違うとは頭で理解しているのに、妙な確信を感じていた。
屍が蘇るはずもないだろう。だけど、それでも良かった。
故に、すぐに見つけられた。
だが……そこにいたのは、小さな銀色のドラゴンだった。
確かに、見た目は師匠と似ている。ウロコの色も、角の形も、師匠とそっくりだ。
だが……目の前にいるドラゴンは明らかに幼体で、師匠とは齢が全く違う。セレスが師匠と出会った頃には、師匠は既に長く生きた成竜だったからだ。
そして、決定的に違ったのは、その瞳だった。オオカミに襲われるという恐怖に怯え、しかし背後にいる人間を守ろうと立ち向かう健気な姿。
――師匠はこんなにも、優しくて臆病そうな表情はしない。かつての師匠ならば、オオカミ程度、戦うまでもなかっただろう。
でも、セレスは彼女を放っておけなかった。
分かってる、本人じゃないことなんて分かりきっているのに、この小さなドラゴンを見捨てるという選択肢は浮かばなかった。
情が湧いたと言えば簡単だが、セレスはもう少し彼女を知りたいと思った。
師匠との繋がりを感じられるからか、それとも彼女の健気な姿に胸を打たれたからか。あるいは、その両方かもしれない。
だがそれ以上に、高鳴る胸の鼓動は、何百年ぶりの再会を喜んでいるかのようであった。
……ブレスを顔面に撃たれたのは予想外だったが。
セレスは一度退散したその後、人間の姿へ変身した。ここは人の街に近い場所だ、ドラゴンの姿だと無用なトラブルを招きかねない。これはまさに師匠から教わった教訓だ。
そして案の定、すぐに人間を発見した。彼らに連れられて森を抜けると、そこにはまた別の人間に抱かれた例のドラゴンがいた。
セレスはすぐに駆け寄った。
『何故……助けたのに、私を攻撃した?』
探りをいれるようにした質問だったが、彼女は驚いたような顔をした。
『……こ、こうげき?』
まるで彼女は、先ほどセレスに攻撃したことを覚えていないかのような口ぶりだった。
まさか、自分が人間体を取っていることすら気がついていない? いくら人間の姿を真似たところで、中心から溢れ出す魔力の匂いは抑えられない。自分がドラゴンであることなんて、ドラゴン同士ならすぐに分かるはずなのに。
『私たち、どこかで会ったっけ……?』
その言葉で、セレスは理解した。
ああ、
◇
「落ち着いたか?」
「……うん」
出された温かい紅茶を、セレスは少しだけ啜った。
ずっと本人に伝えるわけにもいかず、ただただ抱えていた辛さを、苦しさを、ようやく吐き出すことができた。
なんだかすっきりとした気分で、目から溢れた一筋の涙も、もうとっくに乾いてしまっていた。
ルーナと暮らしたこの1年間。セレスにとっては、流星のようなあっという間の時間だが、それでも彼女と共にした生活は悪いものではなかった。
だが時間を経れば経るほど、ルーナが師匠とは全く違う存在であることを思い知らされる。
なのに、存在感だけは師匠そのものだったのだ。まるで、生殺しにされているような気分だ。
「この魔導具たちをルーナに渡したのは、そういうことか?」
「……なにか、分かるかなって」
「そうか」
彼女が、ルーナに様々な魔導具を渡したのも、すべては師匠との関連を調べるため。関係のあった物を見せることで、なにか変化が起きないかと考えたのだ。希望的観測も含まれているが……洞穴で眠らせておくよりはマシだ。
今のところルーナ自身に何かあるようには見えないが、思いも寄らない収穫はあった。
「この魔導具は、私には使えない」
「それは、どういう意味です?」
「師匠の魔力に合わせてる。だから、私の魔力では動かない」
師匠の遺した魔導具は、師匠自身の魔力に最適化してあるものだ。魔力量云々の前に、そもそもセレスですら駆動させることはできない。
「そのことは報告書に……書いていないな」
「全部、ルーナが
少しだけ微笑んだセレス。
この事実は、ルーナが師匠と同じ波長の魔力を持っていることの証左となる。セレスの感覚が、これで裏付けられたのだ。
もはやルーナという存在は、師匠――ひいては、この地域に残る守り神伝承と、切っても切り離せない関係になったことは明らかだ。
この本に描かれた守り神の姿も、ルーナだけが動かせる師匠の遺物も、すべてが1本の線で繋がった。
「まさか、師匠のお子さん……という説は?」
「子供でも、波長は変わる。ルーナは違う、全く同じ」
「そうですか。謎は深まるばかりですね……」
だがまだ謎は残ったまま、というか、むしろ不可解な点が増えてしまった。
ルーナの存在は何なのか。「師匠」の存在とは。思わぬところで、深い深い森の中に片足を突っ込んでしまったということに、ハーディーは気がついてしまった。
だがウェルナーは、それ以上に気がかりなことがあった。
「お前は……ルーナのことをどう思っている」
ウェルナーは「師匠」という存在は知らない。彼が見てきたのは、ただのお転婆な小さなドラゴン――ルーナだけだ。
いくら何百年前に存在した誰かと重ね合わせようとも、このルーナと暮らした日々は変わらない。もはや……彼女は砦にとって、そしてウェルナーにとっても、かけがえのないものであることは確かだ。
だが何故か……師匠や守り神のことを追い求めるほど、彼女がどこか知らない場所へ遠ざかっていくような気がして済まないのだ。あの子の中にある、底しれない秘密を解き明かしてしまうのではないかと。
だが例え彼女が何者でもあろうとも、ルーナにはずっとそのままでいてほしい。少なくともウェルナーはそう願っている。
「私はルーナのことが――」
――ガチャンッ!!
セレスはそこまで言いかけたところで、手に持っていたティーセットを床に落とした。激しい音を立てて割れるティーカップ。オレンジ色の透き通った液体がばしゃりと撥ね、カーペットへどんどん吸い込まれていく。
「ルーナ……!!」
「どうした!?」
真横にいるウェルナーの声すら、セレスには聞こえていないようだった。
その鬼気迫った彼女の表情は、これから始まる事件の一片に過ぎない。
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