124.夢(3)

『見せてみろ、黒竜』


 ”私”とセレスは、集落からほど近い森の中にやってきていた。長老から頼まれたのは、魔物の駆除。農作物を食い荒らす害獣を倒し、そして近寄らせないようにしてほしいとの要望を受けてのことだった。


『人、そのまま……?』


 不安げに”私”を見上げるセレス。彼女の言う「そのまま」とは人化魔法の話だ。

 ずっとドラゴンの姿で練習をしてきた彼女にとって、人化魔法を使った状態で戦闘を行った経験は今までにない。


『当たり前だ。簡単にこなすよりも、足枷があった方が面白いだろう』

『師匠、変』

『……黙ってやれ』


 だがセレスは相変わらず生意気に口答えをし、”私”は少々呆れながらその背中を押した。

 見据える先に佇むのは、鹿型の魔物の群れ。呑気に苔や草を貪っていて、こちらを警戒する素振りは見せていない。

 だが黒っぽい体表をしたそれは、普通の鹿よりも明らかに一回りも二回りも大きい。臆病な性格だが、侮ってはいけない。人間の身長すらをも超える高さこそが、村人が手出しできなかった理由のひとつだ。


 セレスは静かに歩み始めた。

 草をかき分け、木の幹に隠れながら、その距離をじりじりと縮める。”私”は遠巻きにその様子を腕組みしながら見物していた。ここまでは問題ない。

 そして、お互いの感覚が十数メートルくらいにまで迫ったところで――突然、セレスは大きく飛び上がった。


『あの馬鹿……!』


 おおよそ人間には真似できないような高所にまで跳躍したセレス。しかし、その音と気配はモロに勘付かれており、魔物たちは蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ始めた。

 空中でくるりと回りながら、魔法を放つセレス。発射された炎の玉は、放物線のように曲線を描きながら魔物へと向かっていく。


 だがしかし、その軌道はあまりにも分かりやすすぎた。

 相手がもっと鈍ければ、命中させることも容易だっただろう。しかし、鹿型の魔物は高い機動力を見せた。

 セレスの放った火の玉はひらりと身を切るように躱され、見当違いの場所に着弾。地面や樹木にあたり、噴煙が巻き起こる。


 それでもセレスは、引き続き追跡を諦めなかった。

 とはいえ初動には既に失敗している。散り散りに逃げられてしまった今、全頭を仕留めるのはあまりにも困難だ。故にセレスは、最も近くにいる逃げ遅れの個体に狙いを定めた。

 森の中を縦横無尽に駆け抜ける魔物と、それを必死に追いかけるセレス。空というフィールドが使えればもう少し楽だったのかも知れないが、今の身体には翼はついていない。


『……………………』


 魔法を際限なく放ち、相変わらずひらりと躱される。逃げ遅れとは言ったものの、見事な回避を見せる魔物にセレスは歯がゆい思いをしているに違いない。

 だがそんな交戦を幾度か繰り返した後、セレスにチャンスが訪れた。


 背後に聳える岩壁、偶然にも魔物を袋小路のような地形に追い込むことに成功した。魔物は後ずさりするも、もう道は残されていない。

 セレスはその有利を確信し、再び魔物に向けて魔法を放った――


『……見えない』


 しかし、セレスは突然その動きを止めた。彼女は、魔物の特性を見誤っていたのだ。

 黒々としたもやのような物体が魔物の方から飛び出したかと思えば、セレスの顔へと向かっていった。この靄自体に何ら毒のようなものがあるわけではないが、ぴったりと顔面に纏わりついたそれはセレスの視界を完全に奪った。


 魔物には、本能的に魔力を使って攻撃を行うことのできる種類が存在する。要は、魔法を使うということ。今回相対した鹿型の魔物も、このように敵の視界を奪う魔法を使ってくるのだ。

 その靄のせいで生まれた隙は、あまりにも致命的だった。視界を失ったことで攻撃もできず、それどころか体勢を立て直すことすら難しかった。敵を目前にして、セレスはただ立ち竦むことしかできなかった。

 これを好機と見た魔物は、樹枝のような角をきんと突き立てながら、一気にセレスへと向けて駆け出す。セレスは未だにそのことに気づいておらず、ただ呆然と攻撃されるのを待っている状態であった。


 ”私”はため息を漏らしながら、魔物に向けて魔法を唱えた。


『馬鹿黒竜め』


 どさりと体を痺れさせながら倒れる巨体。相変わらずセレスは視界を失っているようだが、おおよそその音で何が起きているかを察したようだ。ぴくりと体を一瞬震わせたセレスは、音を頼りにその方向へと振り向いた。

 もちろんあの体当たり程度では死なない。しかしそれでは、村人から託された依頼を達成できない。だから、助けに入った……それだけだ。


『今日のお前は0点だ』

『ごめん……』


 尻尾をだらりとさせ、悲しそうにするセレス。

 発生源である魔物が死んだことで、顔にかかっていた靄もいつの間にか晴れていた。


『弱い、私』

『その通り、お前は弱い。もっと考えて戦え。強さ』


 しゅんとしているセレスの肩を叩き、”私”は静かに死体の方へと歩き出した。


『……まあいい、目的は達成した。奴らは二度とここへは来ないだろう』



『して、その御方は……?』

『私の弟子だ。気にするな』


 村の集会所――とはいっても、簡易的な屋根と椅子があるだけの小さなスペースに、”私”とセレス、そして村人たちが集まっていた。

 ちびちびと啜っているのは、大鍋で作られたスープ。真っ白でとろみのある液体には、ごろごろと肉や野菜が浮かんでいる。この肉は、先程シメたばかりの鹿型の魔物の赤身だ。

 これこそが魔物駆除の「対価」。様々な供物を捧げようとする村人に対して、”私”が唯一求めたものだった。


『まあまあだな』


 スープの味を噛み締めながら、”私”は呟いた。

 たぶん、素直じゃなかっただけなのだとは思うが、その発言で村人たちは一気に不安そうな表情になっていた。


『お口に合いませんでしたか……?』

『気にするな。味なんてどうでもいい』


 褒めているのか、そうでないのかよく分からない返答に、さらに微妙な空気になる村人たち。ややどんよりとした空気を無視しつつ、”私”とセレスはスープを静かに嗜んでいた。



 ――そのとき、1人の村人が夜空を見上げてあることに気がつく。


『星が落ちている……』

『そうか、星降の季節がやってきたか……』


 空に浮かぶ星々の隙間を縫うように、流れ星が軌跡を描きながら駆け抜けていく。

 沈んでいた集会所の空気は、一気にぱっと明るくなった。

 その美しさに感嘆する者や、守り神と関連付けて有難がる者。その場にいる村人の誰もが神々しい表情をしていた。


『単純な奴らめ……』


 そんな村人たちは無視しつつ、”私”はどこまでも広がる夜空を見上げた。まあまあの味のスープを片手に見る景色は、悪くないものだと思った。

 そして……”私”はそんな星空を見て、あることを思い出す。


『そういえば、黒竜。お前は名前が無かったよな』


 小さくスープを啜る音が横から聞こえた。

 ”私”はセレスのことを黒竜と呼んでいた。あくまで便宜上の名前。これに深い意味はなく、ただ呼び名が無いと不便だったからそう呼んでいただけだ。

 だがそれももう終わり。


『師匠、名前』

『そうか。欲しいか、黒竜よ』


 一足先にスープを飲み終えた”私”は、顎に手を添え考えた。

 はじめに彼女の顔を見て、次に夜空に視線を戻す。相変わらず、たくさんの流れ星が飛来していた。












『――セレスティア、なんてどうだ?』

『分かった』


 しばらく唸って考えた渾身の名前に対して、セレスはその一言だけを口にして、再びスープを啜り始めた。

 やけにあっさりしているな、と”私”は思った。

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