110.大雪(3)

 はじめヴァルは、自身のブレスで雪を溶かそうとしていた。

 「我ながら名案だな!」なんて意気揚々としていて、私達もそれに同意していたのだが……、


「はぁ……はぁ……。くそっ、全然溶けねえじゃねえかっ!?」


 ヴァルが吐いた真っ赤な炎は、まるで火炎放射器のように雪の表面を覆い尽くし……それから何かが起こることはなかった。


「雪って案外、溶けないんだね……」


 炎と氷って、前者のほうが強いような気もするけど、実際はそんなこともないんだね……。

 確かに一部分は溶けている。溶けていいるが、ちょっと表面が水っぽくなる程度で、この一面の雪原を溶かすには程遠い。なんなら溶かして液体になった部分も、すぐにこの寒さで凍りついて雪の一部になっていた。まるで効果がないよ。


「2人も行ってくるか?」

「うん!!」


 そんな惨状を遠巻きに眺めていた私とセレスだったけど、そろそろヴァルが可哀想なので行ってあげることにする。私の手には、一回り小さいシャベル。これなら私の身長でも、十分作業ができる長さだ。

 むぎゅっと雪の上に片足を踏み出したところで、隊長さんが私達を呼び止める。


「ああ、その前に、2人の報酬の件を話し合ってなかったな」

「報酬?」


 あれ、もしかして私達もお給料貰えたりするの?

 確かに今までも騎士たちの仕事を手伝ったことは何度かあるけど、別にお金をもらったわけではない。てっきりヴァルだけの話かと思っていたけど、私達もお金もらっちゃって大丈夫なの?


彼女ヴァルが貰っているのに、君たちにそれが無いのは不平等だろう」

「確かに……そうかも!」

「我々人間に、何をご所望だ? ルーナ殿」

「うーん」


 冗談っぽく言った隊長さんに、私はしばらく思い悩んだけど。


「……おやつ」

「私も」


 それしか思いつかなかった。セレスもそう言っている。

 そもそも、私の求めるものは食事のみ。それ以外をおねだりしたことは、記憶を遡ってみても数えるほどしかない。

 隊長さんはその返答に対し肩を竦め、少し困ったように笑う。


「分かった、いいだろう」

「やったー! とびっきりのヤツが良い!!」


 別に仕事してもしなくても、いつも貰ってはいるんだけど……まあ、働いた自分へのご褒美と考えるのも悪くない。


「セレス、頑張ろー!!」

「うん」


 ぎゅっとシャベルを握り、空へ向けて掲げる私達。

 その瞳は、ヴァルと同じ――欲望に満ち溢れていたのだと思う。



 砦の中、雑務を一段落終えたアイラ。ふと窓の外に目を移すと、ルーナ・セレス・ヴァルの3人が楽しそうに雪で遊んでいた。

 ……いやあれは、雪かきをしているのだろうか。その手にはシャベルが握られていた。

 少し短いタイプのシャベルを手にしているようだが、まだまだ少女の体では大きすぎるようだ。

 特にルーナ。他の2人は軽々と雪を持ち上げているのに対し、彼女だけは全身をフルに使って一生懸命作業にあたっていた。


(ふふ、全然できてない)


 ぷるぷると腕が震えているせいで、持ち上げたそばから雪の大半が落ちてしまっている。本人は上手くできていると思っているのだろうか。満足そうな笑顔に、見ているだけのこちらまで絆されてしまう。


「アイラ」


 そんな窓の外の微笑ましい光景に夢中になっていたせいか、アイラは気付くのが遅れた。

 無骨な騎士たちの中で一線を画す、独特の威圧感を醸し出す存在。この第8隊を束ねる長であり、そして騎士たちが最も恐れる”砦の鬼”。ウェルナー、その人だった。


 うっかり、仕事を疎かにしてしまっていた。そのことに気づいたアイラは、姿勢をぴしっと正し、ウェルナーの方へと向き直る。


「た、隊長!」

「邪魔して悪い。……を見ていたのか」

「ええ、そうです」


 注意されることも覚悟していたら、どうやらそうではないらしい。

 ふとウェルナーの顔を見ると、その口角が少し緩んでいるように見えた。


「全然できていないじゃないか」

「……………………」


 やはり同じことを考えていたのだろう。ウェルナーのその一言に、アイラは思わず吹き出しそうになる。


「まあ、仲が良さそうで何よりだ」

「全くです」


 一般的にドラゴンというものは、異常なまでに凶暴で、食物連鎖の頂点に君臨する自然界の王者だとされている。

 だがそんなのは、過去の常識だ。広場で楽しそうに雪かきをする3体のドラゴンを見れば、そんなことが全くのデタラメだということがわかる。


「なんだか賑やかになりましたね。ルーナが来てから」

「ベッドの下に隠していたのには驚いたが」

「そっ、それは忘れてくださいよ、隊長……」

「そうだな。だが、あれからまだ1年も経っていないとは。全く、信じられないな」


 ウェルナーはしみじみと言った。

 ルーナと出会ったあの日から、第8隊には自然とドラゴンが集まってきた。成り行きはそれぞれ異なるが、どれもルーナが関係していることは確かだ。

 その数、今や3体。その中には、国の象徴たる”神竜セレスティア”も含まれているのだから驚きだ。

 そんな神竜セレスも今ではよくアイラの部屋で一夜を過ごすのだが、その正体を知ってしまった以上、未だに気が気でないのはまた別の話。


「だが何故、ルーナは他のドラゴンから好かれるんだ?」


 よくよく考えれば、セレスもヴァルも、何故かルーナに固執している。はじめセレスが現れたときも、ルーナに惹かれていたし――ヴァルに至っては、はじめからルーナを示して勝負を挑んでいた。


 ルーナの対ドラゴンのコミュニケーション能力が優れているのか、あるいはなにか特殊能力を持っているのか。

 真相は分からないが、なにか要因があるのは間違いない。少なくともウェルナーはそう睨んでいた。


「確かに……考えたこともありませんでした」

「どちらにせよ、ルーナは我々にとっても欠かせない存在だということだな」


 そう締めくくったウェルナー。

 その視線の先には、疲れたのか雪の上に寝っ転がるルーナの姿があった。手と足を往復させて、天使のような型を地面に作っている。飽きるのが早い。


「もうすぐ星降祭だ。お前は流星に何を願う?」

「隊長……子供じゃないんですから」

「そうか? 俺は迷信だとは思っていないぞ」


 ウェルナーはいたずらっぽく言った。

 二人の言う”迷信”とは、「流星に願い事をすると叶う」というものだ。たくさん降り注ぐ星屑に何を願うか。10年に1度の一大イベントだからこそ、何を選ぶかはとても重大な選択だろう。

 アイラは手を顎に当てて考えた。いろんな願いが頭の中に過ぎり、そのどれもが捨てがたいもので、人間の欲求とは底しれずだなと思う中。彼女の視界の中央に映り続けたのは、やはりルーナの姿だった。


「……隊長と、同じだと思います」

「そうか」


 横を見れば、ウェルナーも同じ場所を見つめていることに気がつく。

 短い期間だが、もうすでにかけがえのない存在であることは確かだ。


「それは急ぎの仕事か?」

「いえ、違いますが……」

「なら俺が代わろう。女神様がお疲れのようだ、早く行ってこい」


 ウェルナーはそう言って、アイラの持っていた書類の束を奪い取る。


「……分かりました、ありがとうございます」

「そういえば、”報酬”は持っているか?」

「ええ、はい、もちろん」


 アイラはポケットから、細長い肉の干物を取り出した。ここはルーナ専用のおやつポケット。いつでも彼女を餌付けできるよう、何かしらのおやつが常備されている。なおこのポケットは、アイラ以外にも多くの騎士が所有しているものだ。


 ぐっと互いに頷きあった後、アイラは一礼をして立ち去る。銀色の髪の女神様へ供物を捧げるために。

 この干物を見るだけで、頭にはルーナの屈託のない笑顔が浮かぶ。第8隊が彼女に支配されていることは、言うまでもない事実だろう。

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