【閑話】ショートケーキ事件(後編)
「げっ……なんでお前がいるんだよ……」
黒の帽子からは、燃えるような赤い髪と鋭い角が飛び出す。ギザギザの歯を剥き出しにしながら、あろうことか客である2人を威嚇するのは、通称「エストラーダの赤竜」であるドラゴンのヴァルだった。
彼女はここ最近、このスイーツ店でアルバイト三昧の日々を送っている。そろそろ仕事が板についてきた頃だろうか、店の雰囲気にしっかりと馴染んでいる。
「助けて」
「おい、なんだよ急に……ってか、私に近づくな!」
カウンターに身を乗り出し、ヴァルに対して懇願するセレス。言葉足らずすぎて、ヴァルは相変わらず困惑する。状況だけ見れば、もはや命乞いだ。
その状況を見かねたライルが、彼女に対して事情を説明する。
「あー……こいつがルーナと喧嘩をしたらしいんだ。そのお詫びの印として、ケーキを買いに来た」
そう言うと、ヴァルは何故かむすっと不機嫌になった。
「ずるい……」
「え?」
「ずるいぞ! 私だって、アイツと勝負したいんだよっ!!!」
なんだか変な勘違いをしているヴァル。別にセレスは、ルーナと殴り合いの喧嘩をしているわけではない。というか今のところ、ルーナが単体で怒っているだけだ。ヴァルが思い浮かべるような戦闘は発生していないし、今後することもない。
訂正すべきかどうかライルは悩んだが――検討の結果、それはひとまず脇に置いておいて、お目当てのケーキをさっさと注文することにした。
「ショートケーキを1つ。……いや、2つくれ」
「……わかった」
ヴァルはやはり不機嫌そうにしながらも、慣れた手つきでケーキをショーケースから取り出していく。あっという間に箱詰めされ、持ち帰られるように用意してくれた。
代金を支払い、ケーキの箱を受け取るライル。
もう大分見慣れてしまったが、最強種族であるドラゴンがこの街の小さなスイーツ店で働いているなんて、改めて見るとなんとも滑稽だ。そうライルは思ったが、口には出さなかった。
◇
「人間……これで大丈夫? ルーナ、許す?」
「確証は無い……が、その時はその時だ。別にこれが唯一のチャンスってわけじゃない」
「……わかった。やってみる」
深く頷くセレス。ライルはその背中を見送る。
さながら戦地に赴く騎士のように、その足取りは重い。呼吸も荒く、緊張していることは明らかだった。ケーキという名の武器を携え、セレスはルーナのもとへと向かった。
ルーナの現在地は把握している――今はウェルナー隊長の執務室にいるのだとか。目当てのドアの前へとたどり着いたところで、セレスは立ち止まった。
「……………………」
「大丈夫だ、頑張れ」
その肩を強く叩くと、大きく息を吸う音がひとつだけ聞こえてきた。
深い深い深呼吸。気持ちを整えたところで、セレスはドアをノックしようと拳を握った。
「――せ、セレス……?」
彼女が手を振り上げたところで、先にドアの方が勝手に開いた。
そして中から出てきたのは、銀髪の少女。その髪の間からは、ヴァルと同じような形状の角が見えていた。
先ほどとは異なり、人化魔法を使った状態のルーナだった。
「あの……私……」
「セレス、ごめんねええぇぇぇーーー!!!!!!」
言葉を詰まらせるセレスをよそに、突然ルーナはがばっと飛び上がった。そしてそのまま叫ぶように謝罪の言葉を口にしながら、セレスの胸へと大きく抱きついた。
セレスの左手にあったケーキの箱がぐらりと揺れるが、セレス自身の類まれなるバランス感覚のおかげで大きな衝撃は伝わらなかった。
「ルーナ、私が悪い。謝らないで」
「そんなことないの。私だって、セレスに酷いこと言っちゃった……から」
「ルーナの大切なもの……これ謝る気持ち、新しいケーキ」
なんだか自然解決しそうで、ライルは安堵した。
一件落着。そう思い、その場を立ち去ろうとしたときに、ふとライルに対して声がかけられる。
「ライル」
「な、なんでしょう隊長!」
ルーナの背後に佇んでいたのは、ウェルナー隊長その人だった。
彼はライルに呼びかけると、ルーナとセレスの2人には聞こえないよう耳打ちする。
「それは……お前が用意したのか?」
「ええ、はい、そうです」
ウェルナーが指さしたのは、セレスが持つケーキの箱。ライルはそう素直に答えるが――直後、ウェルナーの視線が別のものに移ったことに気付いた。
「あれって……」
「そういうことだ」
執務室の真ん中にあるローテーブルに置かれた箱。まさにセレスが今持っているそれと、全く同じデザインの箱であった。
「2個入りか?」
「はい」
「こっちも2個入りだな」
「えっと……2個余りますね」
その会話を聞いていたルーナが、突然、何かを思いついたようにぱっと振り向いた。
「私もね、ケーキを用意したんだ! ほんとはセレスと2人で食べようと思ったんだけど……私たちだけだと余っちゃうみたいだし……折角なら隊長さんとも食べたい!!」
ルーナの提案には、ライルは含まれていなかった。だが、なんだか嫌な予感がした。
ただそれを周囲に悟られないよう、ライルは一歩ずつ、ゆっくりゆっくりと後退りする。
――だがそれをセレスは良しとしなかった。
「………………」
「おい……なんだよ」
セレスは、ライルの制服の裾をつまんだ。
その行為にドキリとするが、まだなにかあると決まったわけではない。
「人間、私と食べる。感謝の気持ち」
「あぁ……いや、別に俺はそんな大したことはしてない……から、その気持ちだけで十分だ……だから俺は帰る」
「駄目」
セレスはきっぱりとそう言い、ライルの腕を思いっきり引っ張った。それもかなりの力で。見た目は小さな女の子だというのに、どこからそのパワーが出ているのか。
ただひとつ分かることは――ライルが今、隊長の執務室内に連れ去られようとしていることだ。
ここで最後の望みである、ウェルナー隊長本人を見たが、
「そうか、構わないぞ。紅茶も用意してやろう」
――駄目だった。
無常にもドアは閉じられ、ライルは執務室のソファーに半強制的に着席させられた。その隣にはセレスが座り、真向かいにはウェルナーとルーナが座る。
目の前には甘い香りを漂わせるショートケーキが用意され、その横にハーブティーが淹れられる。
仲直りのアフタヌーンパーティーが開催されることとなったが……ライルにとってそれは、文字通り地獄の時間だった。
「なぁ……俺、帰っていいか?」
「駄目」
最後の足掻きも、無情にもセレスによって拒否される。
上官が目の前にいて、横には神竜がいる。完全アウェーな空間に、ライルは死んだ魚の目をするしかなかった。
(次は絶対協力してやらねえ)
甘いケーキを舌で転がしながら、そう強く心に決めるライルであった。
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