【閑話】ショートケーキ事件(前編)

「人間、助けて……」

「おい、俺の名前はライルだっての。で、どうした?」


 いつもぼーっとしているセレスが、今日だけは珍しく狼狽していた。彼女が人に助けを乞うことなど、今の今まで一度もなかったが、今回だけは話が違うようだ。


「ルーナ、怒って……話す、できない」

「ははは、喧嘩か?」


 神妙な面持ちで言うセレスに、ライルはなんだか面白くなってけらけらと笑った。

 だが当のセレスは、そんな軽薄な様子に少し腹を立てたのか、むすっとしながらライルの制服の裾をぎゅっと掴んだ。


「私、困ってる。助けて」

「わかった、わかったよ。俺にできることなら手伝ってやるよ」


 その姿はただの小さな女の子にしか見えないのだが、彼はその正体がドラゴン――それも、神竜セレスティアであることを知っている。


 ……すなわちこれは、王国の危機であるということだ。

 セレスはこの国の重要人物。彼女の不興を買ってしまえば、少なくとも、この国にとって不利益があることは間違いないだろう。

 セレスが今ルーナに傾倒している以上、この2人のトラブルというのは思ったよりも大きいものだ。なるべくすぐに解決することが望ましいだろう。

 故に、ライルは協力することを申し出た。なんか面白そうだし、非番で暇だし。


「まずは現状把握だな」


 ライルは意気消沈のセレスを一旦置いておいて、1人で砦の中の長い廊下を進んだ。

 その途中、偶然お目当ての人物にばったりと出くわすこととなる。赤髪の女騎士、アイラと、その胸元で丸まる白銀のドラゴンのルーナだった。


「なあ……何があったんだ?」

「ふんっ!」


 ルーナへと問いかけると、彼女はぷいっと顔をそむけた。


「これは……酷いな」

「でしょ?」


 これはまずい。ルーナがこれほどまでに不機嫌なのを、いまだかつて見たことがない。相当お怒りのようだ。

 そんなルーナの代わりに、代弁するようにアイラが喧嘩の理由を説明する。


「セレスは、一体何をやらかしたんだ?」

「ルーナが食べようとしていたショートケーキのイチゴを、セレスちゃんが勝手に食べちゃったらしくて」

「マジかよ……それは重罪だな」


 一見すると非常にしょうもない小さな理由だが――実は違う。

 ルーナの食べ物への執着は凄まじい。これは周知の事実。彼女が、毎食毎食を心待ちにしていることは、一目見れば明らかな事実なのだ。特におやつに関しては、それが顕著だと言えよう。

 つまりどういうことかというと、「ルーナが楽しみしていたおやつを奪うこと」は彼女の持つ唯一の逆鱗だということ。


 ショートケーキの一番上のイチゴは、いわば聖域。そのケーキを食べる者のみが触れられる、神聖かつ不可侵のものだ。スポンジとスポンジの間に挟まっているそれとは訳が違う。

 おそらくルーナは、最後にイチゴを食べようと取っておいたのだろう。ルーナはそういうことをするタイプだ。

 セレスはそれを知ってか知らずか、勝手に食べてしまったのだというのだ。そんな大事な物を奪われたとなっては、これほどまでに不機嫌になるのも納得できる。


「……わかった、ありがとう」


 とにかく。ある程度事のあらましを把握できたライルは、一時退却することとした。その道中、どうしたらルーナの怒りを鎮められるか、2人のトラブルを解決することができるかを考えた。

 そして少ししてセレスのところへと帰還すると、次に彼女に対して作戦を伝えた。


「どうだった……?」

「いいか、アイツは本気で怒っている。時間で解決しようにも、相当掛かるだろうな」


 ライルのわりと深刻な表情に、セレスは一瞬息を呑む。

 実際、思ったより溝は深そうだ。これはちょっとテコ入れが必要だろう。


「じゃあ……どうすればいい?」

「簡単だ。謝罪をするんだ」


 不安気味に怯えるセレスに対して、ライルは言った。

 この件に関しては、セレスが一方的に悪いのだ。こうなったら、自分の非を認めて相手に謝罪するのが手っ取り早い。そしてそれが一番効果的だ。


「謝罪……どうすれば、いい?」

「それは難しい質問だな。……謝罪ってのは、自分が悪かったことを認めて、相手を思いやることだ」

「謝る?」

「そうだな。お前は今ちゃんと反省しているだろうから、どんな言葉でも伝わるだろうな」

「わかった」

「おい待て。それは最低限の話だ。いくら心地良い単語を並べたって、食べたイチゴは返ってこねえ」


 先走って謝罪に向かおうとするセレスを、ライルは慌てて引き止める。

 食べ物の恨みというのは思ったよりも根深いものだ。それも相手はルーナ。その食い意地は砦の中でも随一だ。一度の謝罪で、完全に許してくれるという保証はない。

 だからこそ、より確度を高めるべきだろう。ライルはある作戦を考えていた。


「謝罪は、複数の方法を組み合わせてもいいんだ」

「組み合わせる? どういうこと?」

「ルーナは、イチゴをお前に食べられた。つまり、今は損失がある状態だ。

 謝るのは当然として、その穴埋めをしてやるのがいいだろうな」

「イチゴ、用意すればいい?」

「馬鹿、あれはケーキの上にあるから意味があるんだ。とっとと新しいケーキを買いに行くぞ」


 一縷の希望を得たセレスは、文字通りぎゅっとライルに縋り付いた。


 ――新しいショートケーキを用意する。

 それがライルの思いついた方法だった。謝罪をし、相手の原状回復もする。これこそ完璧な計画だろう。

 決して――本当に決して、「食べ物でもあげておけば機嫌直すだろ」なんて思ってはいない。マジで。

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