100.協力

 双子岩に到着するよりも少し前のこと。

 大空を駆け抜けるヴァルと、騎士服を靡かせながら騎乗するルル。現場がもう目前に迫り、少しずつ緊張感が高まるなか。ルルは恐る恐るヴァルに対して話しかけた。


「あの、すみません」

「……………………」

「ヴァルさん」

「……なんだよ」


 一旦は呼びかけを無視したヴァルだったが、再び名前を呼ばれたところで不機嫌そうに応答する。

 背中に人を乗せるというのは、ヴァルにとってはそれなりに屈辱的だった。今は仕方なく乗せているが、ドラゴンは孤高で気高い生き物なのだ。人を乗せるなんて、普段なら絶対にしない。


 そもそもヴァルはプライドが高い性格だ。セレスという存在がなければ、自慢の炎で吹き飛ばしていたところだろう。

 だからか、あえて飛行時の揺れを大きくするという嫌がらせを仕掛けるヴァル。それだけがかろうじてできる抵抗だったのだが……当のルルは微塵も気にしていない様子だった。


 ルルはその小さな嫌がらせにちゃんと気づいていた。ぶつくさと小声で文句を言っていたことも、敢えてセレスから距離を取って遅れたことも、飛び方が妙に荒いことも、すべて気づいている。

 しかし、ルルにとってはどれも些末なことで――むしろ、小さな子供を見ているかのようで、可愛らしいとさえ思っていた。


「ヴァルさんは、この景色をいつでも見れるんですね」

「当たり前だろ」

「いえ……人にとっては、当たり前じゃないんですよ。私は今、とても感動しています」


 どこまでも続く大空、そびえ立つ黒い山、眼下に広がる無数の木々。世界を俯瞰することができるのは、翼を持つものだけの特権だ。それら大自然を瞳に写しながら、その美しさをしみじみと語る。


「人は弱いな」

「そうですね、その通りです。……ヴァルさん、こんな私を乗せてくださり、ありがとうございます」


 本気で自分が嫌なのならば、もう既に振り落とされているはずだ。

 ルルはそう考え、すべてを受け入れることにした。今ここにいられているのは、彼女のもつ優しさの表れなのだろうと、目の前に見える赤いウロコに触れながら感じる。


「別に好きでやってるわけじゃないんだぞ」

「それでもです」


 そんなルルの静かな言葉に、ヴァルは押し黙る。

 しばし2人の間に沈黙が生まれ、風音だけが耳に届く。ルルにとっては、それも心地よい時間だった。


 ――だが少しして、段々と設営場所に近づいてきた。

 それにつれ、フェンリルが視界に入るようになる。


「見えてきましたね」

「うっ……多いな」


 フェンリル相手には嫌な思い出が蘇るのか、露骨にその周辺へと近づくことを嫌がるヴァル。

 だがルルは、そんなヴァルを勇気づけるかのように、堂々とした様で語りかける。


「ヴァルさん、私と協力しましょう。私たちならきっと、この状況を打開できます」

「は……? なんでお前と協力しなきゃならないんだよ。私は人間の言いなりにはならないぞ!」


 だがその言葉は、ヴァルの逆鱗に触れるものだったようだ。

 ルルと協力すること、それすなわち人間への服従。今だって嫌々乗せてやっているのだ。そこから更に”協力”をするなど、それは到底ヴァルに認められるものではなかった。

 しかしルルは、あくまでも冷静かつ理性的に説得を試みる。


「いいえ、言いなりというのは誤解です。あくまでも主役はヴァルさんです」

「なら私1人でいいだろ」

「そうですね、その通りです。ただこの場を制圧するだけなら、私の力なんて必要ありません。あなたはとても強いのですから」

「そうだ、お前の言うとおりだ。私は強いんだぞ」

「――しかしですね、求められているのは強さだけではありません。正確性も重要なのです。味方の騎士に犠牲を出さないよう、緻密に攻撃を行わなければなりません。

 同士討ちをしてしまえば、助けに行った意味がないですからね。なにより、それをすればセレスさんに怒られてしまいますよ?」


 ルルの説得は至極真っ当だった。いくら言葉でコミュニケーションを取れるからといって、彼女はドラゴンだ。連携なんぞ期待すべきではない。人に寄り添うことを選択したルーナという特異な存在を除けば、基本的には価値観すら異なる存在なのだ。


 だからこそ、その強大な戦力を乗りこなす司令塔の役割が必要だ。ルルはそのために良い感じでヴァルを言いくるめた。更に”セレス”という権威を示すことで、その論理を補強する。

 案の定というか、なんというか。ヴァルは「うぐっ……」と詰まったような声を出して、説き伏せられようとしていた。


「それを私がサポートします。私が常に周囲に気を配り、効果的な攻撃場所を伝えます。ですからヴァルさんは、自分の力を発揮することだけに集中すれば良いのです」

「……………………」


 結果として、ヴァルは完全に口説き落とされたようである。

 なんなら自身の力を高く評価されて、ちょっと嬉しそうだ。


「……分かった、いいだろう」

「ありがとうございます! そういうわけで、早速向かいましょう」


 ルルの説得が上手いのか、あるいはヴァルがチョロいのか。

 どちらにせよ、交渉は成立のようだ。今やルルのことを好意的に思い始めている。

 ヴァルは再びその翼を大きく振るうと、意を決してフェンリルの群れに向かい始めた。

 なんだか、活力に満ち溢れた様子のヴァル。その真っ赤な瞳は闘志に燃えたぎっており、今にも全てを焼き殺さんとする勢いだ。


「ヴァルさん、まずは左に旋回しましょう」

「おいお前、なんだかむず痒いからその呼び方はやめてくれ。私の名前はヴァルフニールだ」

「わかりました、ではヴァルと。――ヴァル、あの木の側の群れが狙い目です」

「……もうそれでいい」


 誰も真名を呼んでくれないことに呆れた様子だったが、内心ではそれも悪くないと少しだけ思うヴァルであった。

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