99.救世主

「酷いな……」


 ウェルナーは忌々しく呟いた。

 セレスの背中の上。そこから見下ろした双子岩の周辺は、まさに混乱状態だった。

 設営された拠点を中心にして、騎士たちが固まって陣形を組む。そんな彼らをぐるりと取り囲むようにして、大量のフェンリルが群れる。まるで砂糖に集まる蟻のように包囲されていた。

 まだ今のところなんとか耐えてはいるようだが、どんどんと押し切られるように陣地が狭まっている。


 フェンリルは群れを成す魔物だ。

 その個体数は小さな集団で10程度、多くとも30程度のはずだ。だが、この場にいる個体をざっと数えても、その2倍は堅いだろう。通常ではありえない、異常な量だ。


「まさか……複数の群れか……?」


 先遣隊の真上に差し掛かったところで、ウェルナーはそんな仮説を思いつく。

 なぜなら――少し離れた場所で、なぜかフェンリル同士が争い合っている姿が見えたからだ。フェンリルはその社会性の高さ故、群れ内での結束が強い。個々が協力して生活するのだから当然の話だ。

 だが……そんな彼らが、同族同士で争い合っている。騎士が必死に戦う横で。まるで、目当ての獲物を奪い合うかのように。


「セレス、降りるぞ」

「分かった」


 ドラゴンの姿のまま返事をしたセレスは、ぐるりと旋回をして、みるみるとその高度を下げる。地面には大きな影がつくられ、戦闘中の騎士たちの注目が一気に集まる中、彼らの頭上スレスレまで来たところでセレスは人間の姿へと再び変化する。

 振り落とされる形となったウェルナーは、どさりと大きな音を立ててなんとか着地した。膝を深く折り曲げ、落下の衝撃を吸収する。


「たいちょーーーー!!!!!」


 そうして降り立った丁度その時、聞き覚えのある可愛らしい声がすっ飛んできた。

 ものすごいスピードで一目散に飛んでくる銀色の竜――ルーナが尻尾を振りながら、ウェルナーの胸に飛び込んだ。

 その顔は、直前まで泣いていたのだろうか、ぐちゃぐちゃになっていた。


「よく頑張ったな」


 その硬い体を軽く抱きしめると、彼女は尻尾をばたばたと振るわせていた。

 喜びから顔をへにゃりと綻ばせるルーナだったが、少しして、何かを思い出したかのようにその表情をこわばらせた。


「……わ、私はいいの! あそこ、みんなを助けてあげて!」


 ルーナの視線の先を追うと、そこには十数名ほどの負傷者の姿があった。どこかしらを噛まれたり、ひっかかれたり。戦闘不能になってすぐに救助されたため、すぐ命に関わるような程度ではないが、小さな傷というわけではない。

 すぐに治療をしなければならないが……生憎、応急処置が間に合っているようには見えなかった。


「セレス、頼めるか?」

「分かった」


 セレスはそんな状況を見て、静かに頷いた。

 ふわりと舞うワンピース。ゆっくりと彼らの前に歩みだすと、ひとりひとり順番に、その創傷を一瞥して回る。

 そのうちの1人と向き合うと、セレスはその場でしゃがみ込んだ。そして表情を変えないまま、徐ろにその手を傷に向けて翳す。


 ウェルナーには、それで何かが起きるようには見えなかった。だが、この光景は見覚えがある。

 二の腕にある大きな複数の切創、大腿の深い咬創、またそこかしこにできた細かい切り傷――それらがみるみるうちに塞がっていく。伴って出血もすぐに止まる。

 まるで時が巻き戻るかのような凄まじい光景に、その場の誰もが息を呑んだ。


 セレスは1人目をものの10秒程度で終えると、隣で驚愕する衛生兵に向けて、冷淡に告げる。


「勘違いしないで。ルーナが、悲しむから」


 優しさから助けたわけではない、とでも言いたげだ。

 事実、セレス本人にとっては、あくまでルーナに悲しんでもらいたくないから、……あわよくば褒めてもらいたいから、という非常に打算的な行動だったためだ。


 だが、流れ作業のように、しかし繊細かつ高度な術式を惜しげもなく使い、次々と騎士を救っていくその姿は、彼らにとってまさに女神のように映ったことだろう。

 セレスが「神竜」と呼ばれていることを考えれば、その感想は間違いではないが。

 彼女の内心なんて関係ない。その行動の結果が、全て奇跡といっても過言ではないのだから。


「ありがとうございます!!」


 騎士の1人がそう伝えると、それに呼応して他の騎士からも感謝の声が上がった。

 だがセレスは、そんな彼らに目もくれない。ただひたすらに、彼らの傷を治して回るのだった。



 一方、その頃。

 合流したウェルナーは、混乱する現場の中心に立ち、指揮を執りはじめていた。

 その存在は非常に効果的で、現場の騎士たちの士気は爆発的に高まった。それは彼の実力と人望から来るものであったが、それに加えて「竜に乗って現れる」という演出の効果も大きかっただろう。


 だがそれだけではなく、ウェルナーは自身も剣を抜き、自ら前線に立つ。

 彼は単独で複数のフェンリルを蹴散らしながら、その戦況をぐんぐんと切り開いてゆく。その快進撃に影響され、周囲の騎士の活力はさらに高まった。


「ルーナ、あっちを手伝え」

「まかせて!!」


 ウェルナーはその刀身を振るいながら、ルーナに対しても指示を出す。

 彼女はぷかぷかと宙に浮かびながら、誰よりも元気よく返事をしていた。

 そんな健気な姿に若干顔が緩んでしまうが、そんなふわっとした雰囲気とは裏腹に、彼女は凄まじい威力の火球でフェンリルを蹴散らしていた。


 さすがはドラゴン、強者たる所以だ。

 彼女自身は、自分のその凄さに全く気づいていない様子だが、断言できる――この場にいるどの魔道士よりも高い威力だ。


「隊長、キリがないよっ……!」


 ただ、そんな彼らをもってしても、フェンリルの群れを撃退するには至らない。

 着実に前進はしている。しかしまだまだ、決め手に掛けていることは事実。

 ウェルナーも剣を振るいながら、この状況を打開すべく、次なる一手を考えていた。


 ――だがそんなとき、遅れて登場した者がいた。


「すみません、遅くなりました!」


 セレスに少しだけ遅れをとり、数分ほど後に到着した彼ら。赤竜のヴァル、そしてその上に騎乗するルルの姿がそこにはあった。

 そんなルルは赤い巨体の上から、若干申し訳無さそうな表情でこちらを眺めていた。


「ルルちゃん……!?」

「アイツなにやってんだ!?」


 この場にいる騎士の中でも、特に第8隊の面々は明らかに困惑していた。新人が赤竜を飼いならしているようにしか見えなかったからだ。

 だが救世主であることは間違いない。ドラゴンであるヴァルと、優秀な魔道士であるルル。2人がいれば、戦況も変わるかもしれない。

 戦力が増えると期待した一同だったが、そんな折、ルルは地上に対してこう宣言する。


「私たちで上空から援護しますね」


 そうしてルルを乗せた赤竜は、そのまま高度を維持して、双子岩を中心として旋回を開始する。

 てっきり、先ほどのセレスみたく地上に降下するものだと考えていた騎士たちは、その新人騎士の奇行に困惑する。


「本当になにやってんだアイツ……」


 その一連の様子を眺めていたライルは、心底呆れたような表情で、その巨体を見つめていた。大型新人にも程がある。

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