97.予感
のどかな山道だった。徐々に傾斜は増しているが、十分に馬車で進むことができる範囲。現在は赤竜やフェンリルの危険があるため一般人の立ち入りは制限されているが、本来であればこの辺りはよく人が出入りするポイントだ。
故に、馬車が支障なく通行できる道が整備されており、高地へ向かう順路も分かりやすく示されている。
そんななだらかな道をひたすら進む、第10隊と第8隊の車列。フェンリルの群れがそれなりに大きい可能性があるということもあり、大量の物資や人員が必要だ。この本隊は特に大所帯だ。
その中でも後方に位置するのが、ウェルナー隊長とセレスが乗る馬車だった。
「これは、迂闊に動けないな」
そんな道中、ウェルナーは困ったように言った。
ついにはウェルナーの膝を枕代わりにまでして、すやすやと眠るセレス。
ちなみにだが、更にその上空では、ぐるぐると自分の尻尾を追うように旋回するヴァルの姿がある。ここだけ見れば、人間の方が少数派だ。
「……ぅん……ルーナ」
夢の中までもルーナと一緒にいるのか。セレスのそんな小さな寝言に、ウェルナーは思わず笑みを零す。困ったものだ。これだけぐっすり寝られては、馬の操作にさえ支障が出る。
ウェルナーのそんな小さな悩みはいざしらず。惰眠を貪るセレスを乗せ、部隊は予定通り進んでいた。
そして、ルーナが先遣隊の拠点へと向かってから約1時間ほど立った頃のこと。部隊は無事に中間ポイントへ到達した。ここで一度小休止を挟んで、その後は一気に先遣隊のもとへ向かう予定だ。
相変わらず、ただのんびりとした雰囲気に包まれる部隊だったが――
「起こしてしまったか?」
パチリと目を開くセレス。特段うるさいわけではないが、休憩中の騎士たちの雑談が聞こえてくる。それでセレスを起こしてしまったのかと、ウェルナーは静かに問いかけるが、
「……違う」
彼女は否定した。
その黄金の瞳が、揺らいでいた。
「……ルーナの魔力」
「ルーナが、どうした?」
「行かないと」
セレスは何故だか、そう焦ったように言葉を連ねる。やはり表情は動かないものの、どこかそわそわとしている様子だった。
「何があったのか、教えてくれないか?」
ウェルナーはあくまでも冷静に、セレスに問いかける。セレスが何を感じたのか、何が起きているのか、まずはそれを探る必要がある。
「ルーナ、危ないかも」
セレスの視線は、山の麓から中腹に掛けての地点――まさに双子岩のある場所へと向けられていた。ルーナがまさに今いるであろう、その場所へ。
「何故分かる?」
「ルーナの魔力、強い、感じる」
ウェルナーが理由を問うと、セレスはいつもよりも強い口調で答えた。
だが……ここまで遠く離れた場所の魔力が感じられるなど、まことしやかに信じがたい話だ。少なくとも、騎士たちの中に異変を感じている者はいない。
――だがセレスは、変わらず真剣な表情のままウェルナーの制服の裾をぐいぐいと引っ張っていた。
「隊長、それにセレスさん……どうかされたんですか?」
そんな様子を見かねたのか、新人騎士のルルがやってきた。彼女は不思議そうに、そして心配そうに問いかける。
「隊長、一緒に来て。ルルも、一緒に。ルーナ、助ける」
セレスは切実に訴えた。普段よりも拙い喋り方になってしまうほどに。
「どういうことでしょう、隊長」
「詳しくは分からないが、ルーナに何かがあったらしい」
「……なるほど」
ルルは、砦の中でもセレスに近い騎士の1人だ。それこそルーナの影響もあってか、食事も一緒にとるし、たまに同じベッドで夜眠ったりもする。
だがそんなルルでさえ、今までに彼女がこれほど冷静さを欠いていたことは見たことがなかった。それこそ、ルーナが誘拐未遂に遭ったときも、ここまで露骨に焦燥を見せることはなかった。
なぜならば――それはひとえに、自分の手の届く範囲の出来事だったからだ。
目の前で起きていて、自分の手で解決できるのなら、当然焦る必要はない。ドラゴンという強者故の余裕から来る冷静さ。それが今までのセレスだった。
だが今回は違う。ルーナがいるのは、自身から離れた場所だ。目の届く範囲にいないということ。
故に、セレスは焦っていたのだ。ルーナが直面する危機に対して干渉できないということが、セレスの苛立ちを強く助長させていた。
そんな彼女に対して、ウェルナーは静かに問いかける。
「向かうことは構わないが、ここからは馬でも数時間は掛かるぞ」
「私と……アレに乗ればいい。2人とも」
セレスが指さしたのは、ヴァルだった。突然指名されて驚いたのか、「えっ!?」という間抜けな声をあげているのが聞こえた。威厳はもはや無い。
あっけらかんというセレスに、ウェルナーは天を仰いだ。
「それならすぐに着くだろうが……乗る、のか?」
「隊長、私も向かいます!」
躊躇するウェルナーとは対照的に、ルルは乗り気だった。
半分は、ルーナをすぐにでも助けたいという気持ち。もう半分は純粋にドラゴンに乗ってみたいという魔道士としての好奇心だった……が、それは悟られないように黙っておいた。
一方のウェルナー。部下がそう言っている手前、拒否するわけにもいかない。我が子のように可愛がるルーナの危機をみすみす放置する気にもなれない。
少しの間思慮したウェルナーだったが、彼はただ渋い顔で頷くことしかできなかった。
「まさか、神竜に騎乗する日がくるとはな……」
2人の返事も聞かないまま、いつの間にか巨大な竜の姿に戻っていたセレス――いや、神竜セレスティア。
金属質で独特の光沢を放つその表皮は、まるで生ける芸術。ここまで間近で見ることは無かったため、思わず見惚れそうになる。だがコレに乗ることを考えると、その興奮も無に帰すというものだ。
「私が人間を乗せるなんて……」
「ルーナのため。人間、必要」
「はい……」
その隣では、ヴァルが地上に舞い降りていた。人間を乗せることには抵抗があるようで、なにやらブツブツと文句を言っていたが、セレスの瞳にキッと睨まれて縮こまっていた。
「ルル、無理に付き合う必要は無い。本当に構わないか?」
「大丈夫です。覚悟はもう決めています」
ルルの強い言葉に、驚かされるウェルナー。
あの極度な人見知りだった新入りの姿はどこへやら、もう立派な騎士の1人だ。……ここまでは求めていないが。
森の中、地に伏せる2体の竜。
周囲の騎士たちによる驚きと感嘆の声が満ちる中、ルルとウェルナーはその硬いウロコに足をかけ、それぞれの背中に跨った。
ウェルナーはセレスに、ルルはヴァルの背中にだ。
「最後に聞くが、今までに人間を乗せたことは?」
「……? 無い」
「……そうか、それは光栄だ」
奇しくも、神竜の上に騎乗した唯一の人になってしまったウェルナー。
安全性など当然担保されているわけもなく、覚悟を決める――というよりは、もはや諦めるような気持ちで正面を見据えた。
翼が上下に動き、地上に巻き起こる強風。ふわりとその巨体は簡単に浮かび上がり、すぐに木々よりも高いところまで上昇していた。
ふと横を見れば、何故か興奮ぎみのルルが、赤竜の背中にがっちりとしがみついていた。
「掴まって」
「言われなくとも」
「そう……行くね」
セレスはそう言うと、翼の角度を変えた。
そしてすぐに加速するセレス。ヴァルもそれに追従するように、スピードを上げる。馬とは比べ物にならない速さだった。
頭部が風よけとなって、想像していたよりも強い風ではなかったが、それでも相当の加速度と向かい風が2人を襲う。
「……着く頃に命があればいいが」
ウェルナーは小さく悪態をつくが、セレスにその声が届くことはなかった。
非情にも加速する巨体。しがみつく2人を乗せ、ドラゴンたちは双子岩を目指し、空を駆け抜けるのだった。
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