94.馬車
小さな翼が羽ばたく周期的な風音と、ルーナの「ばいば~い!」という陽気な声が響く。
先遣隊への伝書を任されたルーナが飛び立ち、馬車に残されたのはセレスとウェルナー隊長の2人。
はじめは荷室から名残惜しそうにルーナを見送るセレスだったが、やがてその後ろ姿が見えなくなると、彼女は御者席のウェルナーの横にゆっくりと腰掛けた。
「どうした、心配か?」
「……………………」
セレスの表情はぴくりとも変わらない。無論、その問いかけに答えることもない。
セレスはいつもこうだ。何を考えているのか――いやそもそも思考しているのかすら、未だによく分からないことがある。
「食べるか?」
肩を竦めたウェルナーは、懐からお菓子を取り出した。市場で仕入れた焼き菓子である。甘い匂いがふわりと漂い、わずかながらセレスの瞳の色が変わる。
すぐにお菓子を受け取ったセレスは、静かにそれをかじり始めた。
「美味いか?」
「ん」
セレスは、小さく喉を鳴らした。
ルーナが砦に来てからというもの、ウェルナーは彼女のための間食を制服に仕込むようになった。この焼き菓子も本来はルーナのために用意されたものだ。
だがここ最近になって、セレスもそのおやつのお世話になることが多くなった。これもルーナの影響だろう。
全く表情が変わらないため、なんだか機嫌が悪そうにも見えてしまうが、実は違う。体が左右にゆっくりと揺れていることから推測するに、むしろこれは喜んでいるのだろう。
数ヶ月にわたり彼女を観察してきたウェルナーは、少しずつそれが分かるようになってきた。周期的に腕へ訪れるその感触に、ウェルナーは呆れたような笑みを浮かべた。
彼女がこの国で英雄として崇められている神竜であることは、頭では理解しているつもりだ。この少女の姿すらも、魔力によって象られた仮初のものであると知っている。
だがどうしてもこの黒髪の少女の姿を見れば、その前提を忘れそうになってしまう。ルーナの人化魔法に比べれば、セレスの使うそれは全くもって完璧で、外見だけでその種族を判別することは不可能だということは言うまでもないだろう。
ただそれ以上に、彼女のどこか子供っぽい言動が、「神竜」という言葉から想起させられるイメージとのギャップを生み出していることも事実だ。
「隊長」
そんな彼女から珍しく呼びかけられ、ウェルナーは多少の驚きのまま振り向いた。
はじめは誰彼構わず「人間」呼ばわりだったが、ここ最近はごく一部の呼び名を覚えたようである。大きな進歩だ。
「――なんだ?」
「ルーナの、どこが好き?」
セレスが人を呼ぶなんて滅多にないことだ。ウェルナーは思わず身構えたが、飛び出した質問はそんな他愛もない話で、正直拍子抜けだった。
「君こそ、それほどルーナが好きなのか?」
「悪い?」
質問に質問で返すウェルナーだったが、なにかの忌諱に触れてしまったのか、セレスは少し不機嫌そうに目を細めた。
セレスは本気で怒っているというわけではなさそうだったが、その体からは相当な魔力が溢れ出していた。魔道士としての技量を持たないウェルナーでさえ感じられる程度なのだから、いかにそれが強大かが伺える。
「いや、気が合うと思っただけだ」
「そう」
うっすらと冷や汗を浮かべたウェルナーは、平静を装いながらも慌てて取り繕う。
彼女は人間ではない。常識が通用しない以上、冗談がどこまで理解されるかも分からない。うっかり彼女の不興を買ってしまえば、国一つ滅ぼしうる可能性もあるのだ。
迂闊な発言はそれこそ命取りになると、ウェルナーは自身の発言を反省した。
一方のセレスはそんなことなど気に留める様子もなく、けろっとしたまま青空に視線を移す。
「ルーナは、私の好きだった人に似ている」
「好きな人がいたのか?」
「意外?」
「ああ……いや」
ウェルナーは、そこまで言ったところで口ごもった。
頭に浮かんだのは、王国に伝わる御伽話。神竜と先代の王による恋愛譚で、そのメルヘンチックなストーリーは誰もが耳にしたことのあるものだ。
かつてはただの作り話だと考えていたウェルナーも、目の前に当事者がいる以上、多少の脚色はあれど史実だと認識せざるを得ない。
そんなセレスは、かの想い人とルーナをどこか重ね合わせているようだった。
「初めは、少し興味があっただけ。違う目をしていたから」
彼女は再び空を見上げた。
「でも今は、ルーナを守りたい。色んな話もっと聞きたい。一緒にいたい」
「それは……同族だからか?」
「そう見える?」
「いや、全くだな」
そこには居心地が悪そうにゆっくりと飛行するヴァルの姿があった。
ウェルナーは首を横に振る。あれを見れば……同じドラゴンであっても、扱いが少々違うことは明らかだ。
「赤竜――ヴァルとは、なにが違う?」
「理由、いる? 気になる?」
「人は理由を求める生き物なんだ」
「好きだから。それだけ」
セレスの瞳は、ただただ真っ直ぐだった。
決められた感情に落とし込むことは簡単だが、あくまでそれは人間の尺度。大雑把な気持ちの一つとして、宙ぶらりんにさせておくのが正解なのかもしれない。
だが、この優しくも芯のある視線は、かつての想い人にも向けられたものなのだろう。
「そうか」
ウェルナーがそう頷いたところで、セレスは付け足すように言葉を続けた。ぎこちなく飛ぶヴァルを指さしながら。
「勘違いしないで。アレも、私は嫌いじゃない」
「なら、もう少し優しくしてやるといい。ひどい怯え様だ」
「考えとく」
セレスは咀嚼しながら、相変わらずあまり興味がなさそうに言った。ただただ、カラカラと車輪の音だけが心地よく響く。
2つ目の焼き菓子を食べ終わったところで、彼女はウェルナーの肩にもたれかかった。
「また寝るのか?」
セレスが人間に対して、自ずから体を密着させるのは珍しい。思わずウェルナーがその意図を尋ねるも、返事は返ってこなかった。
穏やかな風が吹き抜け、ゆっくりと時間が流れていく。
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〔あとがき〕
いつの間にか20万PVを突破していたようです。
ありがとうございます。
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