90.お出かけ(3)

「お腹が……空いてたんだ……」

「……ぷふっ」


 ヴァルは恐る恐るといった体で口を開いたが……あまりにも神妙な顔でそんなこと言うものだから、私はつい面白くなって吹き出してしまった。


「おい、今笑っただろ!! なあ、ルーナっ!?」

「い、いや、ソンナコトナイデス」


 顔を髪色と同じくらいに真っ赤にさせて、私の肩を揺さぶるヴァル。ちょ、ちょっと、力強いって。

 私だって笑うつもりは無かったんだよ。ごめん、ごめんってば。

 そうして目にうっすらと涙を浮かべながら、ひとしきり怒ったヴァル。ちょっと可愛そうなことをしてしまった。


「えっと、なんでお腹が空いたら、人を襲うの?」


 そんな彼女を宥めつつ、私はさらにその理由とやらを掘り下げることにした。


「――人間は……食べ物を持ってるからだ」


 ヴァルはそう静かに言った。

 アルベルトさんから聞いた話では、赤竜によって襲撃された人の多くが商隊だったらしい。食べ物を積んでいそうなところを、手当たり次第襲撃したということだろうか。


 ……でもそれにしては変だ。

 赤竜の被害が出始めたのはここ数ヶ月のこと。だけど、第10隊の調査では特に山で異常は見られなかった。なにかが不作になったとか、そういったことはなかったみたいなのだ。


 それなのにヴァルは、わざわざ住処を離れてまで人を襲った。空から高速で接近して馬車を丸ごと持ち上げてひったくるという、あまりにもダイナミックな手口で。

 確かにこの方法ならば、反撃を喰らう心配は少ないだろうけど、一方で手間に見合う結果を得られるかどうかは疑問だ。実際、持ち上げた馬車の多くが木製のために、すぐに破壊されていたというから、手に入れられた食料はそれほど多くはなかったのではなかろうか。


 そこまでしなければならないほどに、火山に食料がなかったということだろうか。

 私はヴァルの赤い瞳を覗き込んだ。


「食べるものがなかったの?」

「……………………」


 私がさらにこう質問をすると、ヴァルは小さな声でぶつぶつと何かを言って、すぐに押し黙ってしまった。正直全然聞き取れなかった。別に尋問をしようってわけじゃないんだよ?

 私はもう一度真面目な顔をして聞き返すと、

 

「……――――ああ、もうしょうがないだろっ!?

 アイツら・・・・、毎晩毎晩私を襲ってきて……逃げても逃げても追っかけてきて――食べ物もろくに探せないし、夜寝ることもできないし!

 もう毎日毎日限界で、だからその辺を歩いてる馬鹿な人間から取ったんだよ! 体が小さいのに、あんなたくさんの食べ物いらないだろ!」


 ヴァルは溜め込んだ鬱憤を全て撒き散らすかのように叫んだ。

 ちょっと……急に大声出さないでよヴァル!


「まってよヴァル、”アイツら”って誰のこと?」

「フェンリルだよ、フェンリル! アイツら、群れで襲ってきて私の翼や足を執拗に狙ってくるんだ! 卑怯だぞ!!」


 ……フェンリルのことは聞いたことがある。

 たしか、でっかい狼の魔物だよね。知能が高く、群れで行動して、獲物を捕らえる森のハンター。普通の狼よりも数段と大きくて、力も強い。

 その話をはじめて聞いたとき「まさか私が襲われたのってフェンリルだったの!?」と思ってアイラに尋ねたら、「あれは普通の狼よ」って言われてしまって、ちょっとだけ落ち込んだ記憶がある。


「そんな時にだ! お前らは、ずかずかと私の縄張りに入ってきて……追い返してやろうと、ちょっとビビらせてやろうと思ったのに――なんだよ、あの化け物っ!?」


 ヴァルは、少し離れた位置に立つセレスを指さした。ぼーっとしているみたいだ。


「私の火が全然効かないとか、どうなってんだよアイツ!!」

「しょうがないよ、セレスはつよいからね」

「大体、ルーナ……お前もなんで私と勝負しないんだ! せっかく練習して、おんなじ人間の姿になってやったというのに」


 今はセレスが文句の対象なんだと思っていたら、気づくとターゲットが私にチェンジしていた。

 その勝負がどういうものなのか分かんないけど、なにかしらで攻撃し合うのは間違いないよね?


 やだよ、そんなの。だってさ私、戦ったことなんてないんだよ?

 ちょっと前まで、空も飛べなかったんだよ、私!

 そりゃあ、断るのもしょうがないでしょ!


「勝負ならしてあげたでしょ。あれで我慢してよ!」

「あんなのどこが勝負だ! 同族なら正々堂々、私と戦え!!」

「……まあ、考えとくね」

「おいっ!」


 まあ、そんな話は置いといて。

 どうやらヴァルが住処を追われた理由は、フェンリルの群れが原因だったらしい。それで食べ物を探せなくなって、仕方なく馬車を襲ったと。

 それ自体は良くないことだけど――でも私は、そんなヴァルに同情心を抱いていた。


 なんてったって、私もこの世界に生まれてすぐ、狼に襲われたからね!

 オオカミ被害者の会を結成したいところだ。


「ヴァル……大変だったね」

「うるさい、お前に心配される筋合いはないぞ!」


 なんだか叫び倒して吹っ切れたヴァルは、私の手をぱんと跳ね除けると、いつもの強気な表情で私を見据えていた。


「……おいルーナ」

「どうしたの?」

「これがあれば、たくさん食べれるんだよな?」


 ヴァルは自身の持つ財布から、ひとつの銅貨を取り出した。


「えっと……そうだね。食べ物は買えるけど、たくさんかどうかは……」


 正直、隊長さんのくれたお小遣いは、まさにお小遣いなので、別に大した額は貰っていない。屋台ならばいくつか巡ることはできるかもしれないけど、ちゃんとしたレストランなら料理ひとつ頼めるかどうかというところ。

 なんなら唐揚げに少しお金を使ってしまっているので、それもできるかどうか怪しいし。


「わかった、これを集めればいいんだな。どうやったらこれが手に入るんだ?」


 話を理解したのかしていないのか。少なくともヴァルは、この銅貨がたくさんあれば色んな物が手に入ることは認識したみたいだ。

 でも……どうやったら手に入るかなんて、そんなこと私に聞かれても答えらんないよ。それだって、ただただ私たちが遊びに行くからって、隊長さんがくれたお小遣いだよ?


「あの、働く、とか……?」


 回答に困った私は、とりあえず広く一般的な話をしておいた。


「……よくわかんないけど、これがたくさんあればいいんだな!

 ルーナ、付いてこい。働くぞ」

「え、まってよ、ヴァル! そんなこと言ったって、働くってどうするのさ!!」


 それがどうやら間違いだったようで、「働く」の意味をよく理解していないヴァルは、やる気に満ち溢れた顔で「働く」ためにどこかへ向かおうとしてしまっていた。 

 いや、そんな就職活動みたいなこと言われても。


「ドラゴンってのは、こんなにも食事が好きな生き物なのか?」


 少しずつ離れていくヴァルの背中を眺めながら、ライルはそう呆れたようにいった。


「ほんとに、こまっちゃうよね」

「ルーナ、勘違いさせたようで悪いが……お前もだぞ」

「……え?」

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