82.再来
「ごくらくだぁ……」
思っていたより疲れてしまっていた私は、誰よりも長風呂に浸っていた。やっぱり風呂はいいものだ。身も心も洗われていく。
早々に飽きて離脱したセレスを背に、私は手で水面を揺らしてみた。波紋が広がり、鏡写しとなった星々が歪んでいく。
ふぅ……。
そろそろ火照ってきたし、上がっちゃおうかなぁ。
「あれ……?」
水面に写る夜空。そこにふと、なにか塊のような大きな影が通過したのが見えた。
はじめは気の所為か見間違いかとも思ったけど、今日の出来事が頭に残っていた私は、そのもやもやする気分を払拭することができず、おもむろに空を見上げた。
「セレス……ねぇ」
「ん?」
確認のため、私はセレスに問いかけた。
空を自由に旋回する赤黒い影は、決して私の勘違いでは無かった。そのフォルム、大きさ――とても高いところにいるけれど、私の目にはあれがドラゴンにしか見えない。
「あれって、赤竜じゃ……ない?」
嘘だと思いたかったが、セレスはそれを裏付けるようにあっけらかんと言う。
「ルーナ、気づいてない? ずっといる、アレ」
「気づいてないよ!!」
私は大きな声でセレスに怒鳴った。
……どうやらセレスは最初からその存在に気付いたようで、――それに気付いた上でずっと傍観していたようなのだ。
もう、教えてよ、こんな大事なこと!!
「アイラ、ルルちゃん! せきりゅーが!!」
私はお風呂からがばっと立ち上がり、一糸まとわぬ姿のままアイラとルルちゃんに駆け寄った。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「あれ、見て!」
「本当ね……念の為、隊長に報告――」
アイラがそう言いかけたところで、突然赤竜の軌道が変わったが見て取れた。
「……来ますね」
首をこちらに向けて、突然の急降下を始める赤竜。風を切る音がここまで聞こえ、そのスピードを物語っている。
堅牢そうな真っ赤な金属質なウロコが、びっしりとその流線型の体に広がる。火山に住むというこの赤竜は、まさに炎の化身のような見た目だ。
燃えるような真紅の瞳は、まっすぐこちらを見つめ、なにか切羽詰まったような、闘志に燃えるような……なんというか、そんな感じの意思が感じられた。
私たちは屋内へ逃げようと後ずさりをするが、そんな間もないほどのスピードで、赤竜はもうすぐそこまで迫っていた。
赤竜は浴場の上空十数メートルのところで急減速、翼を大きく広げその勢いを殺すと、余波で地上には強烈な風が広がる。吹き飛ばされそうになりながらも、アイラにしがみつき事なきを得る。
「何の用なの!?」
舞い上がる土埃に私は思わず目を背けた。
だが次にふと前を見たときには――赤竜の姿はなかった。
「……あれ?」
「ルーナ、これって」
突如目の前から姿を消した赤竜に、てっきり襲われるのかと思っていた私たちは、拍子抜けしたように首を傾げた。
この一瞬でどこに……消えたのか。私はぐるぐると浴場内を見渡す。だがどこにもいなかった。
「――わっ、私と勝負しろ!」
その時、初めて聞く女の子の声が浴場にこだまする。ハスキーな声で、なんというか……小学生くらいの幼い声だった。
声の主を探すため、その音を頼りに振り向くと、
――あっ、いた。
「えっと……」
私の視線の先は、
舞い上がる湯けむりの中、びしょびしょに濡れた全裸の少女が、真っ赤な瞳でこちらをじっと睨みつけていた。身長は……たぶん私と同じくらいか、ちょっと上くらい。
髪は瞳と同じ真っ赤な色だが、毛先に向かうにつれて黒っぽい色へと変わっていっている。
だがそれ以上に特筆すべきは、その頭部から大きな2本のツノが生えていることと、お尻の部分から長い尻尾が生えているということ。人間には絶対にないはずのこれらの部位は、彼女が人外であることたらしめていた。
そのなんとも見覚えのある特徴に、言うまでもなく私はシンパシーを感じた。
――もうお分かりだろう。
このお風呂の中、全裸で仁王立ちのこの少女こそが、『エストラーダの赤竜』その本人だった。
「えっと、赤竜さん……なんで、お風呂の中にいるの?」
「うるさい! 早く私と勝負しろ!」
えっと……話が通じないんだけど、もしかして私が悪いの?
赤竜は鬼気迫るような表情で、ずっと私に向けて”勝負”とやらを挑み続けていた。それよりまずは、お風呂から上がったほうがいいんじゃないかな?
そんな私の願いが通じたのか、赤竜はゆっくりとお湯をかき分け、こちらへと歩み寄ってきた。一歩ごとに尻尾がぺしぺしと水面に叩きつけられ、水しぶきが激しく舞う。
そしてようやく湯船の端にたどり着くと、やはり一糸まとわぬ姿のまま、再び私の前で仁王立ち。
そんな赤竜に対し、私は勇気を出して、ずっと思っていたことを伝えた。
「あのさ……服、着てからでいい?」
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