【閑話】セレスのパンづくり(前編)
セレスは悩んでいた。
「…………………………」
どうすれば、ルーナに喜んでもらえるだろうか。
彼女の悩みは、切実だった。
ここ最近のセレスの行動の基準は、ルーナ……ただそれだけだ。ルーナと同じ場所で過ごし、同じ釜の飯を食らい、同じベッドで眠る。そんな生活を数カ月間ずっと続けていた。
しかし、セレスにとって、これだけでは満足に至らなかった。
今のセレスとルーナの関係は、どちらかというと一方的。もちろん、ルーナ側もセレスに対して少なからず好意を持っているが、セレス側からの好意に比べれば釣り合っていない。
これはひとえに、セレスが過保護すぎるが故なのだが……セレスにしてみれば、もっとルーナに振り向いて欲しかった。こう思うのは、当然の帰結であろう。
だから、セレスは考えた。
もっとルーナに関心を向けてもらえるよう、何か2人の関係にテコ入れをしなければ、と。
そこで彼女が向かったのは、食堂だった。
大きな空間の中に、机と椅子がたくさん並べられていて、その隣には厨房が併設されている。
たくさんの騎士のいるこの砦において、この食堂は生命線だ。食事というものは、人間の単純な欲求の最たるものであり、かつ、この砦の中においての共通の娯楽のひとつでもあるからだ。
「だれか、いる?」
セレスはずかずかと厨房の中に入っていく。たくさんの料理道具が並び、それらは綺麗に手入れされていた。
ここの食堂の料理は、騎士たちの間からも評価が高い。限られた材料と予算にも関わらず、多種多様かつクオリティの高い料理が提供される。ちなみに、味は全体的に濃いめ。日々過酷な訓練や任務をこなす騎士たちにとっては、カロリーの高いこのような味が好まれるのだ。
この料理の虜になったのは、騎士だけでなく、ルーナもだった。ルーナは食事中、毎日毎日、はちきれんばかりの笑顔を見せるのだ。
そんな彼女を見て、セレスは考えた。ここなら、なにかヒントが得られるのではないかと。
「こんな時間にどうしたんだい?」
その奥から、男の声が聞こえる。恰幅の良いその男は、この砦において「料理長」と呼ばれている。大層な名前だが、計3人いる調理担当のリーダー、というだけだが。
だが、そうはいっても料理の腕は確かであることは間違いない。
彼は、王都にある高級レストランで十数年間、必死の修行を積んだ。料理に人生を捧げ、頭の中は常に料理のことでいっぱいだ。
彼は家庭の事情で、やむを得ず王都のレストランを辞め、この地に舞い戻って来たという過去を持つ。だが未だ料理の道を諦めきれなかったようで、今日に至るまで騎士たちに料理を振る舞い続ける。
……要は、料理の腕はピカ一だということだ。
「料理、おしえて」
セレスはそんな彼に、料理を教えて欲しいと尋ねた。
もちろん、ただ料理を教わりに来たのではない。手料理をルーナに振る舞って、喜んでもらおうという魂胆だ。
「ほう……なにが作りたいんだい?」
だがその言葉は、料理長の心に火を付けた。温厚そうな普段とは比較にならないほど鋭い目で、セレスを見つめる。
対するセレスは、肝心の何を作りたいかまでは考えてなかったようで、料理長の質問に答えあぐねる。
「ふむ、質問を変えよう。……誰に、料理を作りたいんだい?」
料理長は、眼の前の女の子に優しく、だが、本気で尋ねた。
「ルーナ」
今度セレスは、はっきりと答えた。
大事なのは手段ではなく目的だ。セレスの目的は、あくまでルーナに喜んでもらうこと。それさえできれば、正直なんでもよかった。
だがこの浅はかな思いは、意外にも料理長に好意的に受け取られた。
料理というのは、人を幸せにできる手段の一つ。もちろん、技術やら食材の質やらも大事だが、料理長にとって一番重要なものは、その品にかける熱意だった。
――料理で喜んでもらいたい。
それは、料理長の信念に完全に一致していたのである。
「あの、ドラゴンの女の子にあげるんだね。
……それなら、パンはどうだい? それなりに手間もかかるし、大変だけど、その分きっと喜ぶと思うよ。それに丁度、小麦粉が少し余っててね」
料理長が指さした先には、麻袋がどんと1つ積まれていた。騎士たちの料理に使うにも半端な量で、その使い道に困っていた所だった。
料理長にとってはパン作りは専門ではないが、それなりに作り方は知っている。本職のパン職人には負けるかもしれないが、家庭で作るものよりは多分に美味しいと自負していた。
「私でも、作れる?」
セレスは若干不安そうにしていたが、どんと胸を張った料理長がそれを受け止める。
「もちろん。僕が手伝うよ」
「お願い」
セレスはこくりと頷いた。交渉成立である。
早速、料理長は準備に取り掛かる。セレスにどこからか取り出したエプロンを渡し、さらにテキパキと道具や材料を準備していく。
「じゃあまずは、生地を作ろうか。この粉とこの粉を混ぜて、お湯を入れるんだ――」
セレスは、一言一句聞き逃さまいと、料理長の一挙手一投足を真剣に観察していた。全ては……ルーナに喜んでもらうため。
この日を期に、セレスのパン作り修行が始まったのだった。
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