61.はるか昔の話

 ――はるか昔の話。


 今や大陸を牛耳るこの王国が、まだ弱小国家だった時代。




  この王国は滅亡の危機に瀕していた。




 当時、世界征服を目指し、侵略と略奪を繰り返していた帝国があった。

 その帝国は、様々な国を討ち滅ぼし、自らの領土とすることで栄華を極めた。

 この小国が目をつけられたのも、この一連の過程における当然の帰結だった。


 はじめはもちろん抵抗した。


 しかし、圧倒的な国力の差によって、ことごとく要所が制圧されていく。

 王城に伝わる陥落の知らせ。兵の士気は落ち、早々に降伏する部隊も増えた。ただでさえ少ない兵力がどんどんと削がれ、戦線は信じられないスピードで押されている。

 蹂躙される、とはまさにこのことだった。


 そして、侵略が始まってまだ1ヶ月も立たない頃――王城が包囲された。


 ……そう。

 はじめから、王国に生きる道は残されていなかったのだ。

 城壁を取り囲む、数万の帝国の兵を見た王は、この国の運命を悟った。




 ――だがしかし、一つの奇跡が起きた。


 空を覆う巨大な影。

 絶望の最中、それは王国に救いをもたらした。


 帝国の軍勢にたった一匹で立ち向かう、巨大な竜。

 漆黒に覆われた体表と、月のように輝く金色の瞳。恐ろしくあり、だがそれでいて、神秘的なその姿に誰もが魅了された。


 その竜は、たった一匹で帝国の軍勢に立ち向かった。

 一対数万……それだけ聞けば、帝国側に利があるように聞こえるだろう。


 しかし現実は、圧倒的な帝国の敗北で終わった。


 攻撃の届かない高所から放たれる、巨大な火球。

 その一発一発だけでも、とてつもない威力を誇った。地形を変えるほどの高い破壊力が、兵を襲った。そんなものが、極めて短時間に何百発も向けられたのだ。

 抵抗しようにも、高所を構える竜には攻撃が届かない。ほんの一部、竜へ到達した攻撃もあったが、その厚いウロコによって完全に阻まれ、傷をつけることすら叶わなかった。



 圧倒的な力による蹂躙。

 今まで帝国が繰り返してきた行為の、重たすぎるしっぺ返しだった。


 帝国の軍勢は、あらゆる装備と勝ち取った領土を捨て、敗走した。

 一夜にして、王国の運命は逆転したのだ。



 この戦いの日から、黒竜は王家と関係を持つようになった。

 なぜ黒竜が王国を助け、そしてそのまま居座るようになったのかは分からない。だが、王国にとっては好都合だった。黒竜が存在しているだけで、王国に平和をもららすのだから。


 最初は、王国側が黒竜に、主に食べ物で構成された貢ぎ物を渡すだけの、一方的な関係だった。この地を気に入ってもらい、あわよくばずっと留まってもらうための、打算的なものだった。

 黒竜はその中から食べ物を受け取っては、むしゃむしゃと美味しそうに食べ、やがて満足して去っていく。そして空腹になったのだろうか、一定期間をおいて、また同じ場所に戻ってくる。

 そんなやり取りをずっと繰り返した。


 黒竜は気まぐれだった。

 次にやってくるまでの期間に、全くといっていいほど周期性がなかった。

 1ヶ月ぶりに来訪した次は3日後だったり。そう思えば、半年間音沙汰がなかったり。その勝手さには王国の人々も手を焼かされ続けた。

 だが一方で、黒竜は必ず王国を訪れ続けた。


 数年にもわたるそんなやり取りの末、黒竜は、少しずつ人と関わるようになった。

 そうして気づかないうちに、黒竜が王国を訪れる頻度は短くなっていった。

 はじめは月1回がいいところだったのに、それはいつの間にか週に1回となった。そしてその週1回は、最終的には毎日に変わっていた。

 

 この頃には、黒竜は言葉を少しだけ話せるようになっていた。巨大な竜がカタコトで話す姿は、少し滑稽だっただろう。

 だが、黒竜と意思疎通ができることは、王国側にとっても望ましいことだった。


 この国の王子は、そんな黒竜に尽くし続けた。


 はじめは、この国の安寧のためだった。黒竜との関係を取り持ち、この王国を庇護してもらうため。

 だが日々話をするにつれ、その関係は深くなっていった。

 恭しかった王子の態度も、時間が経つにつれてより自然なものへと変わっていった。王子は、毎日のように黒竜の元に遊びに行っては、共に食事をし、他愛もない話をして、その仲を深めあった。


 種族は異なっていたが、なぜかこの2人は惹かれ合った。

 それが何故だかは分からない。だが、理由なんてそこには必要なかった。

 お互い、日々の話に耳を傾け合い、少しずつお互いのことを知っていった。




 そして数年が経った頃。

 黒竜は、姿を変えて王子のもとへと現れた。


 美しい光沢をもつ黒髪に、月を思わせる大きな瞳。妖艶な笑みを浮かべているが、どこか抜けているその表情。

 王子は、その少女がすぐに黒竜であると気がついた。


 そして彼女は、王子に告げる。




「――あなたのこと、知りたい」




 何を今更、と王子は思った。


 考えてみれば、王子と黒竜は、少し変な関係だったかもしれない。

 それはある意味、違う種族だからこそ起きる、当たり前の現象であったとは言えるだろう。

 価値観は違うし、それぞれが得意とすることも違う。

 だがその2人がずっと繋がりあったのは、お互いを知りたいという興味心からであった。それは彼女が口にした言葉、そのものであった。


 賑やかな街を歩き、一緒に同じものを食べ。

 それぞれが、なにかプレゼントを送りあったり。

 なんでもないような話をして、笑い合ったり。


 取り留めるようなことは殆どなかったが、そのどれもが輝いていて、眩しかった。だがこれは黒竜の言葉通り、お互いを知るための道のりであったことは間違いない。

 もはやこの頃になれば、彼らの関係は何ものにも代えがたいものとなっていた。


 そして――、




 この2人はやがて結ばれることとなる。





 王城のもとに広がる、広大な街並み。赤い屋根が無数に立ち並ぶこの素晴らしい景色は、数百年前から大きくは変わっていない。

 そしてそれは、国母であり、侵すことのできない神聖な存在である黒竜。その名を冠した、立派な街である。


 ――神竜セレスティア。


 その奇跡を起こした黒竜を、人々はそう呼ぶ。

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