32.クッキーですわね……
「ここがキッチンですわ」
「ひろーい!!」
ティーナに連れてこられたのは、屋敷の食事を一手に担う、調理場である。
広い。とても広い。砦の調理場には流石に勝てないけど、普通のお家だと考えたら十分すぎる広さだ。かけっこできるよ、これ。
いまは私達以外に人はいないが、なんだろう、なにかお菓子のような甘い香りが未だに漂っている。
「デルモラ家とその使用人の食事は全てここで作られますわ。
来賓がいらっしゃった時も対応できるように、一流の調理器具を取り揃えておりますのよ。
例えばこのオーブンなんか――って聞いてますの!?」
あっ、ティーナが怒った。
私の意識が上の空だったのがバレてしまった。
「ごめん、あれ美味しそうだなって……」
確かに広くて綺麗で、とってもすごいキッチンだとは思うんだけど、私の関心は棚の上にある瓶に移っていた。
「ああ、あれは、クッキーですわね……」
それは、たっぷりのクッキーが入ったジャーだった。
ティーナは、私の目線に気がつくと、クッキージャーに手をのばす。
ティーナは一生懸命「んー!」と声を発しながら、背伸びをしているが……
………………届かないようだ。
「私が取るよ……?」
「……お任せしようかしら」
ティーナは結構しっかりしてるから、うっかり忘れそうになるけど、日本で言えば小学生くらいの歳だ。
当然だが身長もまだ伸び盛り。言い換えれば、ちっちゃいのだ。
――まあ、私のほうがちっちゃいけどな!
私はパタパタと翼をはためかせ、ゆっくりと空中に浮上する。
ふよふよ~と瓶のある高さまで到達すると、棚に近づいて、瓶にギュッと抱きつく。
「受け止めて」
「え、あ、わかりましたわ」
大きな瓶を持つと不安定なので、下でティーナに受け止めてもらう。
「クッキー、とれたよ」
「え、ええ、助かりましたわ」
ティーナは私から瓶を受け取ると、蓋をかぱっと開ける。大きな瓶だ。
中からは、バターの芳醇な香りがほのかに漂う。
「このクッキーは、私と使用人たちで手作りしたものなんですの」
「へえーすごく美味しそう」
取り出されたのは、飾りっ気のないただの丸いクッキーだった。ほんとに装飾などはなくて、ただ生地を丸くくり抜いて、そのまま焼いただけだ。
だが、それはまるで黄金色に輝いている宝石のようだ。
「これは本来、お客様にお出しするものではございませんの。ですから……秘密ですわよ?」
「わかった、秘密」
ティーナは唇に人差し指をあて、そう言った。
「ですが、味には自信がありますのよ」
クッキーが口の前まで持ってこられた。すんすん、いい匂いだ。
私はくしゃりと、一口噛み砕いた。
「……うまい!」
絶妙な水分の具合で、硬すぎず柔らかすぎず、サクサクとしつつも、わずかにしっとりとした軽快な感触に心が躍る。
香りからもわかっていたが、たぶんバターと砂糖だけしか使っていない、シンプルな味。でもそれが癖になるのだ。
もしゃもしゃとクッキーの味を堪能していると、ティーナが私の顔を嬉しそうに見つめていることに気づいた。
「人に料理を振る舞うって、こんな感じなんですのね」
「おかわりください」
「もちろんですわ」
ティーナは、瓶からクッキーを2枚取り出した。
1つは私だ。ティーナは微笑みながら、手にとったもう1枚のクッキーを食べた。
◇
「ルーナ、どこにいる」
しばらく屋敷を一緒に探索していたところだったが、ふと隊長さんの声が聞こえた。
「ここだよ!」
私はその声に返事する。
あんまりこういうところで大声を出すべきではないとは分かっているけど、隊長さんの語気が強かったので、思わず叫んでしまった。
「どうかしたのかしら……」
ティーナが不思議そうに言う。
まだ応接室を離れてから、30分も経っていない。お茶会はまだ途中だろうに、探しに来るなんてよっぽどだ。
隊長さんは私の声を聞き、階段を登って私達のところまでやってきた。
その横にはハーディーさんも並んでいた。
「お父様、ウェルナー様、なにか――」
「ルーナ、すまないが今日は中止だ。砦に戻る」
隊長さんはもう既にコートを羽織り、帰り支度を済ませていた。かなり急いでいるように見える。
その雰囲気から、ただならない事態であることを感じ取った私は、素直に隊長さんの元へ駆け寄った。
「お父様、どうかされたのでしょうか」
「隊長殿はこれから仕事にいかれる。挨拶なさい」
ハーヴィーさんは、ティーナの横につくとそう促した。
ティーナはちょっと困惑した表情を浮かべながらも、ドレスの裾を持ってお別れの挨拶をした。
「本日はとても残念ですわ……またお待ちしております」
「ああ申し訳ない。また呼んでいただけると嬉しい」
隊長さんは、ハーヴィーさんとティーナにそう言うと、私のことを抱き上げた。
「ではまた――」
「ルーナ! …………また来てくださる?」
別れの挨拶を言おうとしたところで、今度はティーナがほんの少しだけ、私達を引き止める。
それは紛れもなく、私に向けた言葉であった。
「もちろん!」
「約束ですわ」
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