31.呼び捨て
「ルーナ様が来られることも、とても楽しみにしていたようで。昨日の夜から、使用人たちと共に張り切って作っていたらしく――」
「お、お父様、なんでそれも……!!」
クリスティーナがせっせとお菓子を作っていたという極秘情報を、簡単に私にバラすハーディーさん。
ふとクリスティーナを見れば、両手で顔面を覆い隠して悶絶しているところだった。隠しきれていない両耳も真っ赤だ。
もうその辺にしてあげてほしい。
でも、でもだ。私と会うことを楽しみにしていたなんて、考えてみればとても嬉しい……!
遠足が楽しみすぎて寝れなくなる子供みたいな可愛さがあるよね。
……となると、私のことをじっと見ていた理由も説明がつく。
「タルト、美味しかったか?」
「うん、とても」
「そうか。……俺も1つ頂けるか」
「もう、ウェルナー様まで!!」
隊長さんは悪ノリなのか、無遠慮にタルトを要求し始めた。
だが隊長さんに言われた手前、断ることも出来ず、クリスティーナは渋々といった体で使用人に追加を頼んでいた。
もともと私以外に出す予定は無かったみたいだけど、ちゃんと余剰分もあるようだ。
ハーヴィーさんもちゃっかりタルトを要求したため、結局、全員にタルトが1皿配られることになった。私は2つ目。
さっきと同じモノだけど、やはり飽きないくらい美味しい。隊長さんも「うまいな」とか言ってて、クリスティーナが更に恥ずかしそうにしている。
3人食べている中、自分だけ食べないのも変だろうということなのか。クリスティーナは、自身の作ったタルトを恥ずかしそうに咀嚼していた。
「随分と可愛らしい性格をしているじゃないか」
「……………………ありがとうございます」
隊長さんがそう褒めると、もう蚊の鳴くような小さな小さな声でお礼を言っていた。
その後、タルトを全て食べきると、照れ隠しかティーカップの紅茶をグビグビと飲み干していた。
まだ熱いと思うけど、大丈夫?
「お、お父様。私、ルーナ様にお屋敷を紹介したいわ」
まだ全然ぬるくはないだろうに、そんな事お構いなしに私を屋敷の案内に誘うクリスティーナ。
この場から逃げ出したいつもりなのだろう。
「私は大丈夫だよ?」
隊長さんが断る前に、私は先手を打っておくことにした。だって、屋敷の中気になるし。
それに、クリスティーナにも興味が湧き始めていた。せっかくなら2人でもお話ししてみたい。
「ルーナ様がそうおっしゃるなら……案内してあげなさい」
ハーヴィーさんが言い、それに同調するように隊長さんもうんうんと頷いていた。
「そういうことなら! 早く行きましょう?」
クリスティーナは私の目を見て、そう言った。逃げたいのかな?
私も隊長さんの膝からスルリと飛び降りる。
「行ってくる!」
「ああ、楽しんでこい」
隊長さんに見送られ、私とクリスティーナは部屋を後にするのだった。
◇
「先程は父が失礼致しましたわ……」
「ふふ、いいお父さんだね」
とことこと廊下を歩く私達。見回して思ったけど、屋敷広い。アホみたいに広い。声が響いてる気がするもん。
いや砦に比べたらまだ小さい建物だけど、一家が住むには十分すぎる家だ。
「ここに住んでるの?」
「ええ。私とお父様、使用人たちで暮らしているわ」
ちなみにだけど、私はクリスティーナに掴まれている。人形でも抱きかかえるかのような感じ。
「少し持ってもいいかしら……?」と聞いてきたので、喜んでOKした。「意外と冷たいのね」とか言ってた。
抱かれるのは慣れてるし、なによりクリスティーナが楽しそうだから問題ない。
「お母さんはいないの?」
「……お母様はおりませんわ。私が生まれてすぐに亡くなったの」
クリスティーナの顔は見えなかったけど、その声色はどこか寂しそうだった。
「そうなんだ……ごめんなさい、そんなこと聞いて」
「お母様の顔は覚えていませんの。なにも思いませんわ」
……なんだか悪いことを聞いてしまった気がするので、私は謝罪した。
するとクリスティーナは吹っ切れたように笑う。だが、その声のトーンとは裏腹に、廊下のど真ん中で立ち止まっていた。
「それにルーナ様と比べれば、私なんてとても……」
事前に私の話を聞いていたのか、クリスティーナは小さな声でそう言った。
たしかに、私はこの世界に家族なんかいない。砦でお世話してもらっている。
だけど、別にその境遇が辛いなんて思ったことはない。
「クリスティーナさん。……私は、砦での生活、とても楽しんでるよ」
「そうですか……それは失礼いたしましたわ」
それを聞いたクリスティーナは、私を抱く力をほんの少しだけ強めた。
「ティーナ」
「え?」
「ルーナ様、私を『ティーナ』と呼んでくださいません?」
突然のその言葉に私は困惑したものの、彼女自身からそう言ってもらえたことがなんだか嬉しくなった。
「ティーナ、私も……呼び捨てにしてほしいかな」
私もお返しに、呼び捨てを要求する。「ルーナ様」と呼ばれるのは、なんだか性にあわない。
こちらが「ティーナ」と呼ぶのなら、向こうにも譲歩していただかないと。
「構いませんわ、ルーナ」
クリスティーナ、改め、ティーナは、なんだか嬉しそうにしていた。
なんとなくだけど、足取りがさっきよりも軽い。
広い広い屋敷だ。私はティーナに抱かれたまま、その広大な敷地を探索するのだった。
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