2.たすけてください
私は走る。ただただ、走る。
意外と追いつかれないものだが、オオカミたちを引き離すには及ばない。今の所スピードはトントンってところだ。
追いかけられ始めてから何分か経過しているが、そろそろ息もあがってきた。思った以上に私は健闘はしていると思うけど、いつ体力が尽きるかわからない。いまのところ全速力で逃げ惑って互角なのだから、群れで動くオオカミたちに持久力勝負に持ち込まれれば勝ち目は少ない。
「ガウゥッ!!!」
「うわあっ」
私の右後方、やや斜面となっているところから、一匹のオオカミが飛び出てきた。幸い私には当たらなかったが、こんな連携プレーを見せてくれるのが、とても厄介である。
これでは余命一日だ。どう頑張っても、確実に二度目の死を迎えてしまう。
まだ、死にたくない……! 自分のこの体を受け入れる段階さえ踏んでないのに!
「だれかぁー! たすけてー!!」
助けなどないとわかっていながらも、私は叫んだ。私の甲高い声が森の中に響き渡るが、無情にも反応はない。その後にやってくるのは静寂。私の耳に残るのは、風切り音と駆ける足の音だけだった。
このままじゃジリ貧なのはわかっていた。だが、一縷の望みに掛けるしかないのだ。
だから、どうにもならないと分かっていても、私は叫び続けた。
「だれかー!!」
もう水辺からは遠く離れてしまった。周りは黒い木の幹が何本も立ち並んでいる。その隙間を私はジグザグに抜けながら、必死にオオカミたちを撒こうと走り続けた。
「たすけて――……っわ!」
その時だった。突然体に衝撃が走る。
「なにッ……!」
体が急加速して、瞬時に景色が移り変わる。食べられたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
次に私の目に入ったのは、
「えっ……どういうこと」
私ははっとして上を見た。木から吊るされていたのはロープ。そしてそのロープの先端には、輪っかが作られている。その輪っかは私の銀色の足にぐるぐると巻き付いていた。
そして私は理解した。オオカミがぶらさがっているのではなく、私が天地ひっくり返っているということを。……そう、私は木に逆さに吊るされているのだ。
つまり私は、誰かが仕掛けた罠に引っかかったってことになる。
「助かった……」
私から漏れたのは、安堵の声だった。
遥かに高いところにいる私に、オオカミたちは為す術もなかったようで、名残惜しそうにガウガウとひとしきり吠えた後に、すごすごと立ち去っていった。
ふう、とひとつため息が漏れる。
空と地面が逆さまの景色の中、私はオオカミの悔しそうな後ろ姿を見送った。ざまあみろ!
「そろそろ、行ったかな」
しばらくじっと待っていると、オオカミの気配は消えた。
森もいつもの平穏に戻っていた。やっと安心できる。
――さあ、降りよう。そう決意したとき、私は大切なことに気がついてしまった。
「……どうやって降りよう」
おそらく……いや確実にこのロープは罠だ。動物を捕まえるために人が設置したものだろう。
だから、動物が少し暴れたくらいで抜け出せては困るわけだ。ここでは、その“動物”というのが私だ。
さあ、どうしよ。
「………………」
一瞬沈黙したあと、私はとりあえず上体を起こしてみた。腹筋を使って上半身を上に起こし、爪でロープを掻っ切る算段だ。
幸いにも爪は鋭い。この爪が上手くロープに当たれば、確実に切ることができるだろう。ありがとう、この体。
「……ふっ! んぐぐぐぐ……」
体を内側に曲げ、頭を足の方に寄せるように、体を頑張って起こしてみる。
しかし、私のへっぽこな腹筋の所為か、ちっこい体格の所為か。どっちが原因かはわからないが、到底ロープまで爪が届くことはなかった。
「ふんっ、ふんっ!!」
鼻息を荒くしながら、爪を右に左にと振ってみる。しかし、だめだ。せいぜい足の関節くらいまでしか爪は届かなくて、ロープは私をあざ笑うかのようにギシギシと音をたてて鳴いていた。
くっそ、やっぱこの体は使えない! 短い体が憎いぞ……。
「っぐぬ、このッ……んぎぎぎ……!」
なんどやっても駄目だった。一振り、二振り、いつか当たるんじゃないかとそう希望を持ちながら、体を揺らし、爪を振り続けた。
しかし、やがて体力に限界がやってきた。
「はあ、はあ、……私、ずっとこのままなの?」
宙ぶらりんに呟いた言葉は、森の空気にやっぱり霧散していく。木々は音を吸収する。叫んだ声も、漏れた声も誰にも届かない。
……なんだか急に心細くなってきた。
このまま誰も来なかったら? 誰も来ないまま餓死して、カラカラに干からびた自分の姿が脳裏に過ぎった。
「なによ、これ」
はじめて私以外の声が聞こえた。私は体を揺らして、声の聞こえた方向に振り返った。
そこに立っていたのは人、それも若い女の人だった。この土地ではじめて見た人間に、私は緊張から解き放たれた反動で泣きそうになった。
「たすけて、ください……」
そう私が言葉をひねり出すと、その女の人は怪訝そうな顔をしてただ私をじっと見つめた。
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