第14話

 九十九個あった『ゴーレム少女(仮)』の箱は、展開され部屋の隅に平たく積み重ねられている。ただの紙切れに過ぎない小箱だったが、情華にとってはその一つ一つが大切な思い出を呼び起こす宝物だともいえた。彼女が『ゴーレム少女(仮)』を作る際に唯一、利用しようとすら考えなかった〝大切なもの〟だったのだろう。

 残るセットは二つ。使い道は決まっている。一つはアンジ。一つは……。

「……」今日の情華、なんだか思いつめたような顔してる。いつもと違うよ。

 後ろから情華の肩を抱きしめながらアンジが言った。とても柔らかで、情華にはたまらない香気をふんわりと運んでくる。

「そんなことないよ。気のせい。気のせいだよ……。なにも思い詰めてないから」

 いや、それは嘘だったかもしれない。アンジには伝えておく必要があるはずだった。

「違うな。ある。アンジに伝えたいこと、ある」

 情華の銀行口座には次月分の家賃と半月分ほどの水道光熱費だけが残してあった。まあ、それも今後どれほど必要になるのかは解らない。余計な契約は一切していないから、これだけ残っていれば大丈夫だろうと、本人は納得していた。

 身辺整理はあらかた済んでいた。そもそも残っている物もほとんどない。必要最低限ベッドがある程度。十畳ほどのリビングには小さすぎたテーブルなんかは〝大切なもの〟としてアンジに変換された。

「……」改まって何かな? ……。あっ、こうしていられるのも後、二回なんだね。

 情華の咽がきゅっと縮こまり、下手をすると涙を零しそうになる。それを必死にこらえながら、この時を決意していたことを話さなくてはならない。漠然としてまとまりの取れた考えではなかったが、魂の還る場所を教えてくれたアンジになら伝わるはずだった。

「この、人間の素とか女の子の素っていうのは結局どういうものなんだろうね?」

 情華とアンジの前には箱から出してあったゴーレム少女の素となるキットが二つ分。〝女の子の素〟を片手に握った情華の表情は真っ青を通り越して白い。すべての色素を雪ぎ落した人間には不自然な白さ。死人のような……。

「……」そうだね。

 アンジは考えるように眉根を寄せる。情華は手に持ったゴーレム少女の素を凝視する。

 いつだって疑問に感じなかったことはない。しかし、問い質そうにもそれを理解している人なんていないんじゃないかと思った。『ゴーレム少女(仮)』の数が十数個を下回ったあたりで、〝Emeth〟のウェブサイトにアクセスしようと試みたが、再びあの幻惑的な奇妙な幾何学模様でデザインされたウェブサイトを特定することはできなかった。

「……」私たちに理解することはできない。見た目はただの塩のようだけど、人知の越えた力が働いてるような気がする。もしかしたら、本当にただの塩かもしれないけどね。

「アンジに解らなくって私が理解できるわけないよ。それに塩って……。アンジがしょっぱくなっちゃう」

 つまり、『ゴーレム少女(仮)』はあのカウンターが訴えていた通り、一人百個までが上限なのだ。百度だけ訪れる特別な時間。一度の人生で得られる悦びなら相応の回数なのではないだろうか? やりようによっては幾らでも自分の思い通りになる女の子が一人、手に入るのだから。

「実はね……。アンジに会えるのは今日が最後なんだ」

「……」それってどういう意味?

 ここに二体分の素材があるのに、アンジの疑問も然りである。

「なんていうのかな。こういう形でアンジに会うのは今日が最後なの。そして、私の願いをアンジに聞いてほしい」

「……」願い、ごと……?

 不穏な空気。というと大げさだが、アンジの端正な顔が只ならぬ雰囲気に押されて僅かに歪む。情華の目が真っ直ぐにアンジの瞳を見つめる。そこに映り込む自身の影をも覗き込むように。

「決めていたことだから。アンジに肯定されるかは解らなかったけど……。私にはもう何も残されていないと思うから」

 やつれて、酷く荒れた肌。眼球が零れ落ちそうなほどの痩せた頬。生きているのかどうかも判然としない人としてあってはいけない体色。それらは、満足に食事を取らないことや、一人になった瞬間の耐え難い孤独によって引き起こされたこと。

「……」そんなことない。あなたには、情華には私がいる。それがたとえ残り僅かの関係だったとしても、今ある現実を歪めることは誰にもできない。

「そう言ってもらえて私は幸せだよ。とても満たされてる」

 情華はあのアンジが語った魂の存在する場所に焦がれていた。どんな世界なのだろう。空虚な私でも受け入れてもらえるのだろうか。夢想しない日はなかった。

「私っていう道は、もう途絶えたの。新しい道を見つけなくちゃならない。その道のヒントはアンジに教えてもらった。絶対これだって大仰に決断したわけじゃないけど、あなたと一緒になれるなら、この記憶を失っても構わない」

 情華の身体は震えていた。怖い? 怖いに決まっている。なにが待ってるか解らない。それが、永遠の終わりである可能性は否定できない。でも、

 アンジがそっと情華の震えるやせ細った身体を抱きしめる。

「……」そうか。情華は自分の道を見つけることができたんだね。私のおかげっていうけど、それは紛れもない情華の強さが導き出した答えなんだよ。その想いを大切にしてあげて。

 こくり、こくり、幼子が母に諭されるように情華は頷く。頬を涙が伝っていく。悲しみとは無縁の、清々しい涙であった。

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