第5話

「……」リラックスしていていいからね。

 アンジのふくよかな胸に抱かれてベッドの上に寝かされる。少女のような見た目ではあるけどその姿態はなよやかで成熟した女性のものだった。情華の貧相な裸体とは似ても似つかない代物。そこに劣等感こそ抱かないのはアンジのリードがとても自然であったからかもしれない。とにかく、情華には上手い表現は思いつけなかったが率直にいって母性で包み込まれているような心地よさだけは感じていた。

「……」私の準備はできてるけど、情華はだいぶ疲れてるみたい。少しの間こうしてようか?

 アンジに優しく抱かれながら心地よく頭をなでられていた。幼子に戻ったかのような甘やかされ方なんて、それこそ幼少期のころから経験はない。大人になってからの、孤独に耐え続けてきた情華には尚のこと、癒しを感じるひと時だった。

 幸福感が大きかった。別にこれ以上の行為なんて求める必要なんてない。とはいえ、アンジが述べた通り彼女の身体はその為の準備が完了している。見るまでもなく、密着する太ももの辺りに、つー、と生暖かなぬめりが押し付けられていることに気が付いていた。

「私なんかと……その、そういうのってどう思う?」

 包み込まれる安息の中にも、ぞくぞくとした期待感はあった。そうだと言われなければ気付けないかもしれないが、そういう雰囲気を作り出す催淫のようなものが発動しているのかもしれない。もちろん、アンジはそういった事実があることを言ったりはしない。

「……」そういうものだから。私たちの存在意義っていうの? それは決められたことだから。本能的に求めるようにもなってる。それでもどんなところで誰に呼ばれるか解らないから、情華に呼び出されたことは幸運だったかもしれない。

「それってどういう意味?」

「……」だって、はっきり言って男なんて興味ないもの。まあ、男を相手にするのがほとんどって、それを解っていて私はゴーレムになったんだと思うけど……。仮に情華じゃない別の男の下に呼び出されていたら、私はどうしてたかなって。

「そう、か。でも、だとしても本能的なことだとしたら私にしてくれているようにアンジはその人の下でも同じことをしてたんじゃないかな?」

「……」ううん。そうなのかな。そうかもしれない。というか、本当のところは解らない。多分ゴーレムとして生まれてきたのはこれが初めてのことだから。どういった経緯で私がゴーレムになることを決めたのかも今じゃなにも解らない。記憶にないの。ただ、仄暗い部屋の中で誰かに呼び出されるのをじっと待っていたような気がする。

「そうなんだね」

 しばらくお互いのことを語り合っている間に、どちらからともなくキスをしていた。恐る恐る互いの意思を確認し合うような触れるか触れないかのキス。徐々に興奮は高まりお互いの存在を貪りつくす為の激しいキス。粘膜をこねくり回して、自分の唾液でマーキングしていく。情華もアンジもとろりとした眼差しで一心にデリケートな部分に欲望をこすり付けていった。初めこそ緊張と経験のない状況におどおどしていた情華も、場が愛欲で満たされるにつれその流れに身を任せていった。

 情華は呼吸を忘れるほどの甘美な痺れに襲われ続けた。生まれて初めてのセックスだった。その相手が女性、それもゴーレムという幻想の中にのみ存在する概念に抱かれているという奇妙さ。その非現実的な状況も相まって快楽に果てがない。どこまでも膨れ上がっていく快感の熱に溺れる。

「……」情華のここ、すごく熱い。

「う、あっ、……ぅん、アンジの舌。気持ちいい」

 ため息する暇さえアンジは与えてくれない。ひたすら注がれる快楽。情華の表情は喜悦に歪み、涙と唾液でぐしゃぐしゃだった。様々なしがらみから解放されて、唯一の個を愛で愛してくれる。アンジの注ぐ愛情がしっかりと伝わってくる。生まれて初めて、こんなにも幸福を直に感じられることがあることに情華は驚いた。その驚きも、喘ぎによって遮られる。

 果てて、果てて、なお果てて。すべてを吐き尽くした後の情華の肉体はぐったりとしていた。存外心地のいい気怠さである。

「……」素質があるみたい。

 くすくす、とアンジは笑っていた。

「アンジが凄いから。素質なんて言い方、エッチな娘みたい」

「……」エッチだっていいじゃない。情華のそういうところが、きっと生きづらくしちゃってる原因かもよ。

「そんなこと……」

 どうなのだろう? ただ無性に息苦しさが社会のあちこちにはびこっている。それらを敏感に察知し避けていく生き方もあったはずだ。しかし、情華はそうはできなかった。上から押し付けられた〝こうあるべき〟という型に窮屈に収まろうとした結果が、今の私なのかもしれない。

「でもそれはやっぱりアンジのおかげかもしれない。アンジがしてくれることだったから私は素直に身体を預けられたんだと思う」

 大きな包容力と回帰的な本能を刺激する母性。それらが具わったアンジだったからこそ情華はこれほどまで心を開くことができたのだ。ひと時とはいえ、これほど充実した時間を過ごしたのは産まれて初めてだったかもしれない。

「……」ごめんね。そろそろ、時間かな。

 まだ、お互いの身体を濡らす情欲の雫を滴らせながらアンジは身を起こす。

 微かに甘ったるかった香りが情華の傍から離れていく。心細さと名残り惜しさが胸を締め付ける。情華の伸ばした手は空を掴む。

「時間って?」

 忘れているわけではなかった。いや、忘れようとしていたのだ。至福の時間の中でまどろむ心地よさから追放されることが怖かった。どれだけ安らいだ時を過ごしても、心のどこかでは不安を抱えていたから。

「……」これは約束だから。理解できるよね? いまの情華ならがんばれるよね?

 アンジの優しい眼差し。そこに微かな怯えを見た気がした。

「……」情華は情華の思うように生きるべきなんだよ。誰にも、邪魔される理由はない。自分に素直に生きる力は誰にだって平等のはずなんだから。

「私にそれができるのかな?」

「……」きっと大丈夫。……ごめん。本当のところは解らない。でも、情華ならできると思う。私の見つけた情華なんだから。きっとこれからもずっと大丈夫なはずだから。

 アンジが柔らかな手で情華の頭に触れる。出会った瞬間のときのように。気持ちのいい感触と胸の内に巣食う自分を蝕む澱みを掬い取るような解放感に包まれていく。

「ありがとう、アンジ。あなたに会えてよかった。もし……また、私が、」

 いいや、よしておこう。情華はそれ以上言葉を紡ぐことをやめた。そんな必要はないような気がした。一々、口に出して確認し合うような関係ではないことに気が付いていたから。アンジの目を見つめて、少しだけ情華は笑った。

「……」うん。それじゃあ。楽しかったよ。

「私もだよ」

 アンジは情華の黒髪をくしゃりと一掴みし、それからゆっくりとその手に絡みついた髪の毛を慈しむように解いていった。

 それが合図だった。

 情華はアンジの首筋に噛みついた。全然筋っぽくないアンジの肉を引き千切って、咀嚼して、嚥下する。まったく肉の味はしない。ただ少しだけ塩っぽい辛みを感じる。一思いに食い殺してあげようと思ったが、そう簡単には彼女たちゴーレム少女を無に帰すことは出来ないようだ。

「痛かった?」

 情華の問いに、アンジは無言で首を横に振るだけだった。

 また一口、二口と情華は咀嚼していく。アンジの輪郭は段々と歪な曲線に変貌していく。

 食べなくては食べなくてはと、気ばかり急いてのどの奥にはアンジのパサついた身体が詰まって激しくむせる。むせたから良かったものの水分もなしで食べるには口中の水分を簡単に奪っていく。想像すらできなかったアンジの味、食感はほとんど食パンと変わりなかった。

 いつしか情華の目からは涙があふれていた。

 つい先ほどまでセックスをしていた相手なのだ。それをいまは食べている。これは何なんだろう? わけのわからない感情が堰を切ったように溢れ出してくる。悲しみ? 憤り? 理不尽な現実を許容できないのか? しかし、そうでもない。確かな満足感を感じているから。情華の腹を満たすアンジの重みを感じているから……。

 アンジの豊満なおっぱいに食らいつく。十分な柔らかさを伴った食感は彼女の肉体からそれが食いちぎられると共に消失する。口の中には塩辛さと食べ応えのない食感だけが残る。

 その身体には血も肉も、骨も内臓も存在しなかった。だから本当にゴーレムなのだと。人間によく似た形だけの器なのだと理解した。

「……」また、いつでも会えるから。情華が望んだその時に。だから泣かないで。

 情華の頬を流れる涙がアンジの瞳に落下して、まるで彼女も泣いているようだった。もう、頭しか残っていないのに、アンジの声が頭の中に響く。ああ、そうか。人間じゃないから声が頭の中に直接響くように作られているのか。

「ありがとう。またね。美味しかったよ」

 本当はそれほど情華の好みの味ではなかった。アンジを悲しませたくないから嘘を吐いたのか。よく解らないけど自然と口に出ていたのがこの言葉だった。

 情華の腹は半分ほど満たされた。人間大の食物を食べたというのにその程度の腹のふくらみに過ぎなかった。それも、いまの情華にとっては十分満足できる範疇である。帰宅した当初と同じ一人になって、よりアンジの存在を強く感じられるような気がした。涙は乾いていた。明日からはどうしたらいいのだろうか? その答えもある程度、固まっていた。

 だいぶ時間が経っていた。情華はこのまま眠りにつくことにした。膨らんだ腹とは別に魂一つ分重くなった身体は心地のいい眠りを彼女にもたらした。

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