第4話
――初めましてお嬢様。私はゴーレム。お嬢様のために創造された、仮初の存在です。どうぞお気に召すまま、存分に御使いくださいませ。
もし、そんな風に現れるものならその場で解体してしまおう、と情華は考えていた。あまりにも予想通りの言動は面白くない。なんでもかんでも、自分の思い通りに扱えるものになど興味はない。この期に及んで実にひねくれた考え方だとは思う。しかしどうしようもないほど変えることのできない考え方だった。上辺だけの振る舞いで満たされるような心だったらこんなにも苦しんではいないはず。この実感があるからこそ、情華は自分の中にわだかまる承認欲求をうまく満たせないのだ。
情華の自己評価は低い。ある種の潔癖といってしまえばそれまでだが、彼女に誇れるような自分は存在せず、ともすれば、その振る舞いからは卑屈さが滲み出ていた。見ていて痛々しい。しかし、悲しいかな。
それを指摘してくれるような友人は彼女には一人として存在しなかった。
呆然としているうちにタイマーが時間を告げていた。向こうから自然とやってくるのだろうか。こちらから出迎えるべきなのか。逡巡している間に浴室の方から物音が、一つ、二つ、と響いてきたような気がした。
生々しい人間の動きを模した音。
その音につられて情華はバスルームの扉を開いた。
浴槽の中で蹲る肌色の塊がそこにはあった。直面した現実に情華は驚いた。慌ててリビングに逃げ帰ってしまう。
あんなものは、想定していなかった。あんなにもリアルに人間の姿に酷似しているではないか。あれは少女の形を模した人形のはず。商品のパッケージとは似て非なるありありとした存在感に狼狽えた。
どうしたらいい、どうしたらいいの。情華が深く考える間もなく状況は進行していく。
乳白色の裸体が、瑞々しい光沢を放ってその場に出現した。
情華の目にはつるりとした股間の内側で卑猥気に脈打つぬめりが飛び込んできた。身を包み隠すようなものはなかった。素っ裸で現れた少女に得も言えない胸騒ぎを覚えた。
「あ、あ、」
言葉が出てこない。そのあまりに人間らしすぎる出で立ちが情華の思い描いていた少女像と乖離していた。もの、ではないはっきりとした存在。
情華が何も言えないでいると、しびれを切らしたのかどうか判然とはしないものの『ゴーレム少女(仮)』の上ずった声音が響いた。
「……」ここはどこ? あなたは?
およそそのような音が情華の頭の中に直接響いたのだ。
おろおろする間もなく、少女が情華の目の前に膝をつく。
「……」くだらない質問だったかな? 場所は……そうね、きっとあなたの家なんだと思う。それであなた、名前は?
この頭の中で鳴り響く音の正体が目の前の少女から発せられているものだと気が付くのに、しばらく時間が必要だった。でも、だからといってその、ゴーレム少女が情華のことを急かしてくることはなかった。事情はよく心得ているから……、そんな眼差しだけを落ち着き話ができるようになるまでずっと情華に向けていた。
「あの、あの、あの……」
面と向かって人と話すなんていつぐらいだろうか。仕事ではいつも俯いて相手の顔も良く確認しないで相槌だけを返すような生活を送っていたから言葉が上手く紡げない。
「……」落ち着いて。
なおも辛抱強く少女は言う。
「……私は、情華。海神情華です」
やっと、か細い声を絞り出すことができた。すると、少女はふっと笑むと不思議なことを言う。
「……」そう。情華ね。いい響き。私にも何か名前を付けてくれないかしら?
「いきなりそんなこと言われても」
戸惑いが酷くてどうしていいのか、情華の思考が止まる。あまりにも人間に酷似した、それも飛び切りの美少女を前にして言葉も出ない。その上、その彼女とコミュニケーションを取らなくてはならない。想定していた状況と違い、高度に密接したやり取りを求められてどうしていいのか……。情華にはあらゆる経験が少なすぎて解からなかった。
「……」性急すぎたかしら……。いいんだよ。ゆっくりで。べつに逃げも隠れもしない。まあ、私もこんな状況で少し驚いてるけど、何をするのかは心得ている。そういう風に出来てるから。ゆっくりやっていきましょう。
少女は情華のことを優しく労わってくれた。すっと伸ばされた手で髪の毛を梳いてくれる。柔らかくって少しだけ冷たい手だった。こんなことはされたことがなかった。だから、妙な気分だった。情華の表情がふっと和らいだ。しばらくそうされている内になにかが、かっ、と閃いてその音を口にしていた。
「アンジ」
「……」暗示? あんじ? アンジ? そう。私の名前は〝アンジ〟ね。いい響きだと思うよ。うん。気に入った。私はアンジ。あなたは情華。これからよろしくね。
そうして、名を与えたことに情華は思い至った。『ゴーレム少女(仮)』から作り出された少女の名は〝アンジ〟。字は当ててない。その響きが名だった。
アンジは言った。
「……」これで正式に契約が結ばれた。私と情華の魂は深く結びついたことになる。
「魂?」
「……」そう。魂。私たちゴーレムは仮初の肉体を持つけれどもその魂は純粋なもの。これを主人となる人間と結び付けて初めて行為に至るための契約が為されたことになるの。まあ、利用規約に同意したとでも考えてくれれば大丈夫。あまりむつかしく考えないで。少なくとも私たちは情華のことを傷つけることはないから。
そこまで言うとアンジは情華の手を引いて寝室へと促す。複雑な造りの家でもない。どこで寝起きするかはだいたい察しが付くのだろう。
まだ、状況をうまく呑み込めていない情華でも、これから何をするかは理解している。
そもそも『ゴーレム少女(仮)』とはアダルトジョークグッツの類なのだから。
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