長命種の発想
最近エルフの活躍するアニメが多かったせいか、「長命種」が一つのテーマになることをよく目にする気がします。ファンタジーの世界では定番で、人型の種族や魔法使いは、見た目は人間に近くても寿命が長い、という設定が多いですね。
考えてみれば、竜宮城の住民も長命種かもしれません。浦島太郎と違ってずっと年を取らないとすれば、長生きもするでしょう。世界中にそういう「想定」があるのでしょうね。
人はなぜ長命種を思いつくのか、というのが子供のころからの疑問でした。妖精や妖怪、魔族や悪魔がいたとして、別に人間と同じような寿命でも役目は果たせるはずですからね。人間が想像する存在が「長命」になっていく過程を、いくつか考えたことがあります。
・ちょっと長命の人々がいた
沖縄の平均寿命が長いことは知られていますが、そういう場所に漂流などで突然訪れた人がいたら「長命の人々だ!」と思うかもしれませんね。そういう「長生きの人々」の話が、「長命種」へと変化していったということはないでしょうか。
・話が変化しなかった
ケルトの妖精たちは、敗北して島を去っていった人間の末裔だという話を読んだことがあります。そのようにいなくなった人々が「別の存在になって生きている」と思われることがあるわけですね。そして、その話が語り継がれるわけですが、ずっと同じ存在も残るわけです。「語り継がれる=生き続ける」になり、「今気づいたけど、何百年もいることにならないか?」となったのではないでしょうか。
・教訓として
物語というのは教訓としての側面があるわけですが、そのためには「怖い○○は死なないんだぞー」と伝えることが必要だったのではないでしょうか。「あの怖い悪魔もそろそろ死んだはずだ」なんてことになると、次の代についても考え出さなくてはなりません。また、有能な人の子供が無能であるという現実を見ていたら、「代替わりしたら怖さも薄れているかも」と考えるかもしれません。教訓を生かすための存在としては、「人間と違いいつまでも同じ恐怖の存在として居続ける」のが人外の役目だったのではないでしょうか。
・行方不明になった人
「神隠し」という言葉があるように、昔から突然いなくなった人はいるわけですね。神様が本当にそんなことをするかはわかりませんが、普通に考えると何らかの理由で行方不明になっているわけです。で、そんな人の中にはもちろん生還した人もいるはずですが、もとの場所に戻れるとは限りません。例えば山の中で迷子になって、全然違う集落にたどり着く。しかしその人にはそこが、元居た場所に見えてしまった。「年がたちすぎて様子は変わってしまったけれども、帰って来れたんだ!」と思い込むわけです。そして村の人に聞かれます。
「あんたは誰だ」
「俺は次郎左だ」
「珍しい名前だな。お前聞いたことあるか?」
「じっさまのじっさまの弟がそういう名前だったらしい。神隠しにあって行方知れずになったらしいんだが」
「そんならこの男がその次郎左か? はあ、不思議なことがあるもんだなあ」
というわけで行方不明になった人は未来に来たと思って、村の人々は過去から年を取らずに生き延びた人だと思う。迷い込んだ人が真実に気付いてこっそり逃げ出そうものなら、「あれは幻だったか? もしや昔から山におる、長生きの何かなのか?」てな話になっていくかもしれません。
……妄想が過ぎましたか?
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