エスメラルダ論
「聖闘士星矢」で主に活躍するのは主人公を含めた五人組なのだが、その中でも一輝は特殊である。最初敵として現れ、他の四人と戦うことになる。以降は仲間になるものの神出鬼没で、敵地に乗り込む際も最初は一人だけいない。敵の大将格とも互角に渡り合い、何度でも不死鳥のごとく復活する。
そんな一輝は、作中最も人間関係が丁寧に描かれているのではないか、と思う。まず、彼は弟の瞬のことをとても大切に思っている。弟の代わりに厳しい修行の地、デスクイーン島に行ったため、彼はフェニックスの聖闘士になった。そして女性との関係においても、一番繊細に描かれているのではないか。
主人公の星矢は、主人公だけあってモテモテである。ライバルの師匠シャイナに愛されることになるし、
たいして紫龍は、修業時代に出会った春麗と相思相愛であると思われる。スピンオフ作品でも二人で暮らしていたり、息子が活躍する姿が描かれていたりする。
瞬も修業を共にした聖闘士のジュネに好かれている。だが瞬の方は彼女を気絶させて旅立っており、想いのほどはわからない。以後彼女は登場せず、瞬にとって女性の存在はそれほど重要でないように読める。
氷河は読み切りで母と同じ名を持つ少女、ナターシャとの絡みがある。時系列のわからない読み切りである点、そして「母と同じ名前だから」が好意につながる点などから、その後の展開やどれほど好意があったのかはわからない。とにかく氷河にとって大事な女性は死んだ母(マーマ)であり、今後恋ができるかすら心配である。
さて一輝であるが、彼もまた修業時代に一人の少女と出会っている。弟そっくりの顔をしたエスメラルダである。彼女は地獄のような修業時代において、唯一の癒しだったようだ。しかし、彼女は亡くなってしまう。「家族思いであることが描かれている」「最愛の人が亡くなっている」という点が氷河と共通しており、四人と一輝の戦いにおいて氷河が一輝に最も語り掛けていたのは、何か感じとるところがあったのかもしれない。
つらい修行の地において、弟とそっくりの女性と出会う。「漫画だから」「車田先生の描く顔だから」と言われてしまえばそれまでなのだが、なんとなく子供の頃からもやもやしている。そんな偶然がなくても大切な存在として描けたはずだし、明言させずに「そっくりだ」と読者に思わせる方が効果的ではないか、と。
一輝は、ハーデスとの戦いにおいて敵側の女性、パンドラから思いを託される。初期原作において、敵陣営の女性との関係が色濃く描かれるのは一輝ぐらいである。そしてパンドラも、一輝の前で命を失う。彼自身が不死鳥であることの代償であるかのように、彼の目の前で女性たちは亡くなっていくのだ。
ポセイドン編には、一輝を知るうえで重要なシーンが描かれている。変身能力のある敵、カーサが瞬の姿になったが、一輝はためらいなく攻撃する。しかしそれが「エスメラルダであったならば」危なかったと言うのである。一輝は時にはエスメラルダを瞬と見間違うほどであり、「エスメラルダを想うならば」似ている瞬への攻撃にも戸惑いが生じないかと思うのだが、やはり決定的に違う「魂に響く何か」があったのだろう。
女性に愛され、仲間を得ていく星矢に対して、一輝は失うことが多い。修行に行くときには瞬と別れなければならなかったし、エスメラルダとパンドラは死んでしまった。手下にしたブラック聖闘士は全滅した。そして瞬はハーデスに体を乗っ取られ、再び失いかける。戦いにおいては「不死鳥」でも、彼の心はどれほど強かったのだろうか。
思えば一輝は、「精神」にかかわる物語が極端に豊富である。自身が精神を破壊する「鳳凰幻魔拳」の使い手であるが、サガやカーサなど、敵も精神に干渉する技を使ってきた。幼い頃にパンドラと会っていたことや、シャカと対峙した記憶は一度消されている。
ここでもしや、と思ったので原作を確認してみた。カーサが一輝の心を見ようとした時、エスメラルダの姿は最初真っ白な輪郭でしめされる。そして最後は、一輝と共に真っ暗な影で示されるのだ。カーサの透視がだんだんとはっきりとし、最後は彼が死んでしまったため暗くなっていく、とも考えられる。しかし一輝の心の中で、エスメラルダの姿が「それほどはっきりしていない」という可能性はないだろうか。
厳しい修行の生活の中で、「心の安らぎであった」女性。しかし一輝は、けっして「恋していた」などとは言わない。なんとも都合よく、遠い地に弟そっくりの女性などいるものだろうか? 実は少し面影があるぐらいで、それほど瞬と似ていなかった、ということはなかっただろうか。一輝の無意識が恋心を拒み、思い出を崇高なものにするために、「エスメラルダの神格化→弟化」が行われたのではないか。
それならばカーサが気づけなかったのも、納得がいく。一輝が大事にしているのは「瞬の姿」だと思ったのが、実は「瞬の姿をさせた者」だったとしたら。一輝自身が「瞬の姿」を最も大事なものとして心に言い聞かせているが、その実本当は別の姿をしていたとしたら。
影として描かれるシーンで、一輝は「これでようやくきみのそばへいけそうだ エスメラルダ」と言う。これはカーサの想像だが、一輝の心から読み取ったものでもある。一輝は死んでエスメラルダと再会したいと願ってもいるのだ。
彼女が死んでいるからこそ、その本当の姿は忘却しようとしたのかもしれない。「大事な弟の顔」で覚えておくことによって、守るべき者や会いたい人の姿を、一つにしておけるように。もしくは瞬たちと敵対すると覚悟した時に、「守るべきだった顔をした人格」を入れ替えてしまったのかもしれない。
彼にとって「死ぬこと=エスメラルダに会える」だとしたら、死は恐怖ではないかもしれない。敵に記憶を消されることもあり、無意識は危機感を強く感じたことだろう。一輝の心が壊れてしまわぬように、大事なものを覚えておけるように、瞬とエスメラルダの姿は似せられたのではないか。
一輝が安らぎの生活を得るとき。愛を手に入れるとき。心の中のエスメラルダは、どのような存在になるだろうか。それともエスメラルダへの思いを抱いたまま、愛から遠ざかった生活をするだろうか。やはり五人の中で、一輝の人間関係がどうなっていくのかには一番興味が湧くのである。
参照・引用 車田正美「聖闘士星矢」(1986-90)小学館
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