夏の文庫を卒業した日

※2019年の記事です



 子供の頃は、とても多くの本を読んだ。私の部屋には本棚が二つあって、ほとんどの棚に親の本が入っていた。読もうと思えば、いくらでも読むものがあったのだ。図書室でもよく本を借りた。

 夏になると、各社文庫本のフェアをやる。その紹介冊子を見るのが好きだった。気になる紹介文にチェックを入れる。自分で買える本には限りがある。毎年、三、四冊を買って読んでいたと思う。


 古典的名作から詩集まで、何冊もの文庫を読んだ。つまらなかった、という記憶はほとんどない。さすが選ばれるだけのことはある、とフェアに信頼を寄せていた。

 あの時までは。

 私が選んだのは、ある小説だった。あらすじが魅力的だった。しかし、読み始めてみると、違和感があった。文章が下手なのだ。まさか、という思いだった。そんな本が出版されて、しかもフェアで選ばれるなんてことは、子供の私には信じられなかったのだ。

 その小説を書いたのは、小説家が本業ではない人だった。本業ではすでに評価されており、あらすじが魅力的なのは納得である。まんまと、だまされたのである。

 小説家として実力がなくても小説を出版できる。しかもそれが「おすすめ」として選ばれる。子供の私にとっては大きなショックだったし、読書に対する警戒心を生むことにもなったし、いろいろなことを考えるきっかけにもなった。何かを世に出したいならば、まっすぐ進むだけが方法じゃない。そして中身が伴っていなくとも、実際私が本を買ってしまったように、「売れれば目的を達した」となることもあるのだろう。


 それ以後、フェアの作品を楽しみにすることはなくなった。読書は続けていたけれど、出版社のおすすめはあまり信じないようになった。そして、将来作る側になったときのことも考えた。ある分野で活躍すれば、別の分野で近道を歩くこともできるだろう。けれどもそのことにより、受け手は良いものを見極めるのが難しくなる。だから私は、どの道も出発点から歩いていく、そういう作り手になろうと思った。

 今では小説家以外の小説が出版されるのはあの頃より当たり前になったし、良い作品も多い。そして「おすすめを安易に信用しない」も当たり前の時代になったとも思う。けれども、あの頃の私のように、夏の文庫フェアにワクワクしている子供もいるだろう。いくつものあたりを引いて、すっかりおすすめを信じていることもあるはずだ。そういう子供ができるだけ裏切られないような、そんなラインナップだといいな、と思う。



初出 note(2019)https://note.com/rakuha/n/n040aa604e754

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