【アマチュア創作と倫理】 4

(注)2018年の記事です。


 久しぶりとなりましたが、今回も『未来型サバイバル音楽論』を参照していきたいと思います。話題は、コミュニケーションについて。

 CDが売れない時代になったことにより、音楽の「売り方」が変わってきました。第2章「過去のレーベル 未来のレーベル」では、小さなレーベルの形について書かれています。70年代以降、様々な形のレーベルが登場して、個性的な活動を行ってきました。しかし、CDの売り上げが落ちるわけですから、多くのレーベルが立ちいかなくなります。そんな中で、「一人1レーベル」という新しい形について言及されています。



 今、資金は、人材は、営業力は、プレス工場はもう以前のような規模は必要ありません。だからこそ、政策と宣伝が浮かび上がってきたのです。

 ファンのサポートによってもたらされる、その収益をさらに良い作品作りに、アーティスト育成に投資するレーベルが可能になってきたのです。(pp.106-7)



 音楽に限らず、様々なものを創って受け手に届けるのが簡単になり、個人で様々なことができるようになりました。逆に、大きなレーベルが大きな力で何でもしてくれる、そういう状況が崩れたともいえます。

 メガヒットが誕生する時代には、何組かのアーティストの売り上げによって、他のアーティストを育てる余裕があったはずです。しかし現在は、売り手側にはなかなか育てる余裕がありません。例えば小説などでも、デビュー作が売れないと第二作が出してもらえず、すぐにアマチュアに逆戻り、なんてケースはざらです。売り手側としては、リスクをかけずにヒット作を生み出す人だけを売り続けるか、すでに売れることがある程度保証された人だけに手をかけるか、とった両極端な状況になりがちです。

 一人1レーベルでは、多くのことを自分一人でしなければなりません。別の人の売り上げによって育ててもらうことができないわけで、自分で育っていかなければなりません。また、いくらいい作品を創っても、受け手に届かなければ買ってもらうことができません。そこで、いかに作品を届けるか、受け手とコミュニケーションをとっていくかが重要となります。


 そんなわけで、第3章は「コミュニケーション・マネタイズ」となっています。まず、音楽業界ではCDは売れなくなりましたが、ライブの売り上げは伸びています。近年、フェスなどもかなり増えました。単に作品を買うのではなく、直接会って、場を共有することに対して、人々はお金を払うようになったのです。

 この傾向は、様々なところに波及していると感じます。最近プロレスや相撲を観戦する若い人が増えたと言われていますが、これもいわば「ライブ」です。将棋などは対局を直接見ることはなかなかできませんが、ライブ中継によってファンの楽しみ方がかなり変わってきたように感じますし、タイトル戦などでは現地の解説会などが盛り上がっています。

 このような場では、「人」がまず大事です。どんな魅力のある人なのか、ファンにどう接してくれる人なのか。作品が素晴らしくても魅力のない人とは場を共有したくはないでしょうし、魅力があれば作品が平凡でも場を共有したいと思うかもしれません。

 そしてインターネットの発達により、普段から創り手と受け手はコミュニケーションをとることが可能になっています。アーティストは情報のみならず、自らの魅力を発信していくことができます。時には、ファンとの相互的なやり取りも可能になります。



津田 インターネットがつながりやすくなり、メディア環境自体がどんどん変わっていくことで何が起きたかというと、単に商品とか情報を売るというよりも、コミュニケーションに注目が集まったことですね。音楽を売る一方、アーティストとファンのコミュニケーション自体が、商売になっている。(p.145)


 インターネットにおけるコミュニケーションは、誰にでもできます。それゆえ、上手く使えば個人でも多くの人に魅力を知ってもらうことができます。ただそれは逆に言えば、インターネット的なコミュニケーションでは、作品の質が高くても、コミュニケーションが下手だとなかなかファンを獲得できないこともある、ということです。

 プロアマ問わず、作品を届けるためには自らをプロデュースし、受け手とコミュニケーションを取っていくことになります。コミュニケーションですから、当然トラブルも起きます。作り手側は自分をよく見せたいがために嘘をついたり、受け手に対して横暴な態度をとってしまうことがあるかもしれません。受け手側も作り手側に過剰に何かを求めたり、他のファンとの関係性に嫉妬して攻撃的になってしまうこともあるでしょう。

 当然昔から作り手側の倫理観は問われたでしょうが、大きな組織に属していれば「悪いことをしてしまう」機会が減るわけです。広報担当の人がいれば、作り手が広報で問題を起こすことはないのです。しかし一人ですべてをするということは、全ての面で責任は自分にある、ということです。普段のファンとの交流、作品の制作、協力の要請、宣伝、販売、告知、訂正のお知らせ、感謝の言葉。すべて自分でするわけですから、倫理的に問題のある作り手にとっては、トラブルの機会が多いことになります。



 また、アマチュア創作者にとっては、決して「作り手の人格」ばかりが重要ではない、という問題もあるでしょう。もちろんプロだってそうなのですが、アマは特に仕事は別にある、創作意外にも好きなことがある、という場合が多いでしょうから、「創作以外の自分」を普通に発信していることも多いと思います。けれども受け手側は「創作者としての私」に興味があり、その部分での発信を期待している、という場合も多いはずです。

 ファンは創作者としての発信を期待しているけれど、友人や趣味の仲間はそこばかりだと嫌だと思うかもしれない。コミュニケーションが求められる状況では、「創作者としての私をどのぐらい重要視するか」がアマチュア創作者にとっては大きな問題となりかねないのです。

 実は私もツイッターを始めた頃、とても傷つくことがありました。作品の宣伝をしていると、「アマチュアのくせに作家きどりか」という言葉を投げつけてきた人がいたのです。趣味でつながっているフォロワーでした。確かに趣味とは無関係な投稿ですから、その人にとっては気持ちのいい投稿ではなかったことでしょう。今の私なら「だからどうした」とその人と縁を切って終わるのですが、当時の私は「みんなそう思っていたらどうしよう」と思って、創作用にアカウントを新しく作りました。「人格を分けた」のです。

 ツイッターなどでアカウントを分けている人は多いと思います。様々な理由があるとは思いますが、創作をする上では「ありのままの自分」ばかりは見せられない、と悩んでいる人も多いのではないでしょうか。


 一人で全部できる時代は、様々な人にとって可能性が開けた時代です。しかしそれは、多くの責任を一人で抱えるということでもあるのです。せっかくいい作品が創れても、コミュニケーションに疲れて発表を辞めていく人もいると思います。中には炎上商法と呼ばれるような、わざと問題を起こして注目される方法をとる人もいます。「偽ってでも注目される人がいる」ということは、「あなたも偽っているのではないか」という視線が向けられやすいということでもあります。

 解決策の一つは、情報を共有することです。個人で創って宣伝して売っていくとしても、創作をする仲間たちとつながり、様々なノウハウやリスクについて共有しておくことによって、未然に防げるトラブルもあります。また、相談できる人がいるということ自体が、安心にもつながるでしょう。そのつながり自体がトラブルのもとになることもあるので、適切な関係というのはどこまでいっても難しいのですが。

 アマチュア創作者にとって、作品を届けるという意味ではとてもいい時代になったと言えます。しかしより多くの人に届けようと思うと、何もかもがいいことばかりではありません。


引用・参照 津田大介+牧村憲一『未来型サバイバル音楽論』2010年、中公新書クラレ

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