【アマチュア創作と倫理】 3

(注)2018年の記事です。


 過去二回、プロとアマについて考察してきました。そこで、アマの活躍する場は増えていますが、誰がプロでだれがアマかははっきりしない、ということを確認しました。

 今回からはそれを踏まえて、ある本を参照しながら音楽について考えてみようと思います。その本とは、『未来型サバイバル音楽論』(津田大介+牧村憲一 中公新書クラレ)です。この本は授業の教科書でしたが、プロについて書かれた本なので意外に感じる人もいると思います。なぜ教科書にしたかというと、他に適切な本が見つからなかったのです。授業は漫画以外を扱うことになっていたので、漫画についての本はまず外しました。また、高価な専門書も学生の負担が大きくなるので、教科書にはしないでおこうと決めていました。その結果、この本になったのです。

 理由はほかにもあります。音楽は、創作のジャンルの中で最も受け手が触れる機会の多いものだからです。詩や小説、絵やゲーム。様々なジャンルがありますが、興味のない人は触れる機会がなく、全く知らない、というものもあるでしょう。それに対して音楽は、「いつの間にか触れている」ということが多いです。テレビの主題歌やCMで、買い物に行ったお店で。偶然どこかで聴いて、「あ、いいな」と思う。皆様にもそのような経験が一度ぐらいはあるのではないでしょうか。

 そんなわけで、いろいろなジャンルをみていくのと同時に、『未来型サバイバル音楽論』を読み進めていく、そういう形の授業にしたのです。この本が出たのが2010年。第1章「いま、音楽業界に何が起こっているか」の第1節は「音楽はゼロ年代からテン年代へ」というものでした。そのテン年代ももうすぐ終わります。現状と照らし合わせつつ、中身を確認していきたいと思います。


 まず第1章では、CDが売れなくなったりする中で、音楽業界に何が起こっているのか、が書かれています。ミュージシャンが直販したり、ipadが出てミュージシャンの在り方自体に変化が出てくるのでは、という話。発信と受信の間の距離が縮まり、売り方や売るものが変わっていくのでは、という話。これらは今振り返っても、「流れが続いていく」ものだったとわかります。

 そんな中興味深いのが「twitter×USTREAMの伝播力」という話題です。実はこの話題、授業で伝えるのが困難でした。というのも、学生のUSTREAM認知度が0%だったのです。ツイッター使用率も最初は低かったのですが、年々上昇していきました。それに対してUSTREAMは使用率どころか認知率が、変わらず0のままだったのです。

 USTREAMはアメリカの軍人が離れた場所で家族とコミュニケーションをとるためのものとして生まれました。その後動画を配信・共有するサイトとして発展し、テレビ番組と連携することもありました。2017年にIBMに買収され、ブランドはなくなっています。

 私にとって印象深いのは、2011年に配信された小室哲哉のライヴです。血に染まった手で鍵盤を叩く姿は衝撃的でした。私は彼のファンというわけではなく、twitterで情報が流れてきて、たまたまそれを観たのです。まさに「twitter×USTREAMの伝播力」を実感したわけですが、学生たちはそんなことが起こっていたことも知りません。ここには、温度差が感じられます。新しいツールであるTwitterやUSTREAMは、新しい可能性をもたらしました。ただし、あくまで音楽を積極的に受容しようとした人に対して、という限定付きだったのかもしれません。

 これに関しては、子供の頃FMを聴いていた時の感覚を思い出します。FMからは様々なアーティストの曲が流れてきて、ヒットしていない名曲などを先取りして聴くことができました。ただ、それらはまだ世間には届いていません。「コアな音楽ファンなら知っているけれど、それ以外の人たちは全然知らない」というアーティストも多かったのではないでしょうか。

 インターネットに関しては、「多くの人に伝わる」という側面が注目されることが多いと思います。しかし実は、「狭く深く」という在り方もまた、インターネットの中で発展しているのではないでしょうか。後の章ではMyspaceについても言及されていますが、こちらも学生の認知度0でした。そして、私もほとんど使いこなすことができませんでした。私には向いていなかったな、というのが実感です。

 音楽を楽しむうえで、その人に会ったツールを探し、選ぶ。ニコニコ動画のランキングを観て新曲を探す人もいれば、YouTubeで過去好きだった曲を繰り返し聴く人もいるでしょう。Twitterやnoteにアップされた短い音源から、アーティストに興味を持つこともあるでしょう。多くの人が自分なりの楽しみ方をして、他の人々がどう楽しんでいるのかをあまり知らない。そういう時代なのではないかと思います。

 この、「受け手の多様さ」は、「作り手」「売り手」の多様さでもあります。津田は、自分の曲を広めるうえでプラスαの要素を付け加えていくことを、「ドーピング」と呼んでいます。



 なんらかのドーピングをしなければ、大勢の人には広まっていきませんから。拡散する方法は、いろいろとあるわけです。その手段を使うときに、無限の選択肢がある中で、どうしぼっていくか。選択するということは、リスクやコストを取ることなのでそのマイナス面に対して、どうギャンブルが打てるか。ここに今の時代に響く音楽を作ることの本質があるかもしれません。(pp.47-48)



 まさに今この場(note)がそうであるように、音楽に限らず拡散方法の多様化という傾向は進んでいると思います。創作の場も発表する人も大勢いて、「なんでこんなにレベルの高いものを創る人が埋もれているんだ」と感じることもしばしばです。受け手に作品を届けるためには、単にいいものを創るだけではなく、その人がどのように発信していくかが大事なのです。

 発信していくにあたり、自分の選んだツールには拡散力がなかったり、自分に合っていなかったりというリスクがあります。さらには、ツールは廃れたり、なくなってしまうこともあります。たとえアマチュアでも、自分の作品を知ってもらうには「どこで、どのように伝えるか」が大事になってきます。そしてそのためには、「誰に伝えたいか」も考えなければならないでしょう。


 次回も続けて、この本を参照していきたいと思います。そこで、「倫理」についても言及していくことになると思います。


初出 note(2018) https://note.com/rakuha/n/n7b4b2f92a7f7

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