安井高志歌集『サトゥルヌス菓子店』のご案内

(注)2018年の記事です



 浮島さんが突如この世を去ってから一年と少し。ご遺族や「舟の会」の方々によって編纂された歌集が本名「安井高志」名義で刊行された。その名も『サトゥルヌス菓子店』



子供たちみんなが大きなチョコレートケーキにされるサトゥルヌス菓子店



 長年、彼と共に同人活動を行ってきた。毎月欠かさず1日に詩歌誌を出してきたが、それ以外にも彼は多くの歌を作っていた。編纂途中の原稿を見せてもらった時、「こんなにあったのか!」と正直驚いた。


 私も、解説を寄せることとなった。短歌の技術的なことはわからない。ただ、はっきりとしていることがある。彼の作風は独特であったということ。そして、歌人以外の心をつかむ力があったということである。



彼は、作風においては、現代短歌に合流する気分が希薄であった。(p.244)



 師匠である依田仁美よしはる氏の解説には、このように書かれている。具体的な情景や感情が、浮かび上がってこないものが多数である。最初から説明を放棄して、こちらの心の深層に問いかけてきているようでもある。もしかしたら、「詩的」の一言で片づけられてしまうかもしれない。しかしその詩性が、私たちの心を揺らすとしたら。



缶切りのための音楽 天気雨そそぐ湖底に腐ってく靴



 私が解説で取り上げた歌である。意味を取ろうとしても、よくわからない。けれどもここで示されている景色は、私の心を穏やかにはさせてくれない。安井高志は、不穏な場面を、描き出す。


 二人で活動を始めた頃、一度だけ短歌について言い争ったことがある。創り始めたばかりの私に対して、短歌の作法、ルールめいたものを守るようにと助言してくれたのである。だが私は、「書きたいように書く。守らなければいけないという理由では守らない」と突っぱねたのである。いくらかやり取りした後、彼は「そういえば自分もそうだった」と言い始めた。彼もまた自由に書こうと思う中で、いつの間にか短歌の「ありうべき姿」にとらわれ始めていたのだ。

 それ以来、彼は自分の創りたいように創り続けてきたと思う。


 二人での創作の道は、決して順風満帆ではなかった。締め切りは必ず守り、毎月きちんと発行した。盤外号や紙の本も作った。良い詩や短歌を発表していけている実感はあったが、いかんせん注目されなかった。私がもっと活躍すれば、もっと社交的であれば、浮島さんの歌も世に出るのに。たびたびそのようなことを思い悩んだ。



送り狼をさせてよきみだけのぼくだけの赤ずきんになってよ


ああ驟雨音をかきとるすべなくば逃げ出す俺を誰も止めるな


答えてよガリレオフィガロピタゴラス息のできない明日の長さは?



 毎月お題を決めて、創る。創りたいものを、創る。そのことによって多くの、他で発表したのとは雰囲気の違う作品もできたと思う。発表時には注目されなかったが、こうして歌集の中に収録され、多くの人に読まれるチャンスができた。


 亡くなる少し前に、「実は俺も賞が欲しいんだ」と彼は言った。胸が締め付けられる思いだった。2016年には、日本短歌大会・井辻朱美賞を受賞している。決して賞レース向きの作風でないことは、彼自身もわかっていたと思う。それでもやはり、そういう欲求はあったのである。もっともっと彼の作品が創られていれば、大きな賞に届いたかもしれない。それは永遠にわからないままだが、一つ言えることがある。彼の遺した作品も、十分に素晴らしい。多くの読者が、個人的に賞をくれるはずだ。そのために俺は、いっぱい宣伝するよ。



2021年追記


 早いもので、あれから三年がたった。『サトゥルヌス菓子店』は多くの人に読まれ、言及された。安井高志の言葉は、今も生きている。

 とはいえ、そうなるとやはり新作が出ないことは悲しい。もっともっと、彼の短歌を読んでみたかった。

 私たちは、何百年前の短歌も楽しむすべを知っている。安井高志の短歌も、何百年後まで楽しまれることを私は望む。そのためにいくつかの歌を追加で紹介しておきたい。



獅子座流星群さがしてぼくは書くやさしい風邪のひき方入門


水槽であなたは楽譜を飼育していますね? ミスター それもラヴェルの


この箱のなかには雨が降るのだ、と祖父は語った酒蔵の夏


海底に沈んだ図書館たくさんの栞がわりの白い鳥たち


朝顔はうつむくばかりほの白く蒸発していく月を見ている



初出 note(2018) https://note.com/rakuha/n/n0a8f589f5563

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る