ミサト的「私の世界」

(注)2014年の記事です



 授業の資料としたため、「エヴァンゲリオン」の第一話のみを何回も観るという経験をすることになった。せっかくなのでそこで気づいたことを記録しておく。


 設定したテーマとしては、「何が主人公に決断をさせるのか」 世界の危機ともいえる事態を前にして、主人公であるシンジ君は結構私的な理由ばかりで物事を判断するのだが、誰しもが実はそんな感じで物事を考えているのではないか。そして十四歳の彼はまだ、「私の世界」と「皆の世界」の関係をうまく扱えていないように見える。大人たちはみんなの世界のために頑張っているように見えるが、誰もが私の世界を大事にしていて、それでもみんなの世界のこともちゃんと考えているようにみせる努力をしている。


 内気な少年がどのように「私の外の人たち」と関わっていくか、という成長の物語がエヴァの軸にはあると思うのだが、何回も観ているうちにシンジよりも危うい人がいることに気が付く。シンジの上司でありのちに同居人となるミサトだ。


 彼女はすでに「いい大人」なのだが、どこか人づきあいが大げさになっているように見える。場面場面で自らを何かに当てはめて演じているようなのだ。特にシンジとの関係は、一話の中でも大きく変化する。彼女とシンジは親子というほど歳は離れておらず、姉弟としてはちょっと離れている。それでも最初、シンジに対して気軽に話しかけられる姉のように接していた。しかしシンジにとっては普段あまりかかわることのない「結構年上な人」で、姉のようには感じてもらえていない様子であった。そして母親がおらず父親が嫌いだという彼の事情を知るため、ネルフに着くころには母親のような態度も見せるようになる。


 そしてネルフにおいて事態は切迫する。本当のシンジの父親は息子とうまく関われないダメな父親で、ほかの職員たちも世界の危機を前にして少年にやさしく接しようとはしない。少年の心を傷つけてでも、「皆の世界」のためになすべきことがあると思っている様子だ。ミサト以外の皆が黙って冷徹な視線を向けているシーンがある。ミサトだけが、感情を持った言葉でシンジと接する。「逃げちゃだめよ」と言うのだ。


 このシーンは以前から疑問だった。ミサトは本心を語っているのだろうか? 姉や母を演じようとしていたことはわかる。しかし実際にはどこまでシンジに心を開いていたのだろうか。シンジの心に深く突き刺さるような言葉を「言ってあげる」までに彼のことを考えてあげていたのだろうか。


 何回も観ているとやはり、それもミサトの演技なのだろうと思えてきた。その時点で最もシンジと心の交流ができていたミサトは、他の人々が冷たくしていることもありとにかく一番「温かい」存在とはなっていた。本来ならば組織においては「命令」によって出動がなされるべきだ。しかしシンジはまだ組織に属すると決心したわけではなく、しかも命令を下すトップは一番嫌いな父親なのである。だからその命令を、父親から引きはがす必要があった。だからミサトは「逃げちゃダメよ」と語りかけることによって、組織の問題、みんなの世界の問題をシンジの私的世界に押し込めたのだ。


 十四歳の内気な少年にその場で決断させるためには、おそらくそれはもっともふさわしい「脅迫」だった。シンジの私的世界の中で、その言葉は根を張っている。すぐに決断できるわけではなかったが、レイが傷ついているのを見て、彼は自ら「逃げちゃだめだ」と言う。なぜか? きっとそんなことはわかっていない。なぜならそれは外の世界から突然やってきた言葉だからだ。けれども、ミサトの言葉はちゃんと響いていた。おそらく、シンジに対してそんな言葉をかけてくれる人はいなかったのだ。父親すら久々に再会しても感情のない命令しかしない。そんな中ミサトだけが、感情をぶつけてきてくれた。彼の世界に、侵入してくれたのだ。


 結果、少年は決断して出撃する。ミサトの「作戦は成功」した。ミサトはエヴァンゲリオンがシンジを救った時、「いける」と言っている。彼女は、自らの職務を忘れていないのだ。ミサトとシンジはこれから、上司と部下の関係になっていく。母親的、姉的な振る舞いはあくまで演技で、一番重要なのは少年が一人前のパイロットになっていくように導く「上司としての振る舞い」だ。少年の心を支配して決断させることにより、ミサトは最初のステップを通過する。決して単なる命令としてではなく、しかし結果的には命令に従うように、少年の心を操ったのだ。


 ミサトがいなければ、この物語は始まらなかっただろう。見知らぬ人ばかりの組織の中で、父親を恨む少年はただうじうじ悩んでいたかもしれない。しかしミサトという少年の心に踏み込む存在がいたおかげで、とにかく少年は前に踏み出すことになる。しかしでは、ミサトの方はどうなのだろうか?


 第一話の中だけでこれだけ自らの役割をころころと変え、それでいて結果的には仕事を全うする彼女は一見「できる」人間である。けれどもどうしてもネルフの中で浮いているように見える。ネルフの中で迷ってしまうシーン、リツコから横目に見られるシーンなどは、ミサトが実際には組織の中にはまりきっていないことを表しているのだと感じる。


 二話以降で真相は分かっていくのだが、一話の段階で感じられるのは「ミサトもまた孤独なのではないか」ということだ。ミサトの私的世界にも、大きな穴が開いている。そして何かはっきりとした役目を自らに課すことで、みんなの世界と明確にかかわろうとしている。しかしそれでは、「演じない私」は救われない。少年と違い、大人には劇的な成長は待っていない。たとえ成功していても、演じ続けなければ評価されないとしたら、どこかで疲弊しきってしまうだろう。


 少年の成長に対して、大人がどう「折り合っていくのか」ということが、ミサトというキャラを通して描かれている気がしてきた。第一話の段階ではまだ、境遇の似た少年に対して共感している様子がうかがえる。しかし共感ののちにやってくるのは、共感できない部分の実感だ。もちろんその後の物語を知ってはいるのだが、第一話を何回も観てもっとも感じたのは「ミサトはこの後シンジに嫉妬するに違いない」ということだった。


 すでに十何年も前の作品だが、それでも観るたびに発見がある。「ミサト視点」を意識して、観なおしてみようかな、という気持ちになっているところである。



初出 note(2014) https://note.com/rakuha/n/n38fc8be3d7e5

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