投げ込まれた世界で

(注)2016年の記事です。



「世界に投げ込まれている」

 様々なものが倒れ、さらに飛んでいく中で、私が思ったことだった。これだけだと頭が混乱しているようだが、そこに至るまでには理由があった。


 五年前。震災は遠い場所の出来事だったが、ネットの中では身近なことだった。ツイッターの中から、当事者の声がどんどんと聞こえてくる。余震のたびにつぶやきが溢れ返る。そしてその度に、揺れていない自分の方が、どこか外の世界にいるのではないかと感じた。それまで距離を感じなかった人々が、現実に東側で生活している人々なのだと実感した。そして、全く揺れない場所で、ただただ情報に触れているだけの状況に後ろめたささえ感じた。

 しかし、そんな思いは口にすることができなかった。実際に困っている人が多い中で、私の悩みはとても小さいことだと思った。


 『五割・一分・一厘』に登場する月子さんは、田舎から自転車で東京に来たのだが、実はちゃんとその田舎は設定されていた。改稿して発表するときには、その土地に絡めたエピソードを付け加えようとも思っていた。けれども結局、それはできなかった。

 月子さん、そして三東先生の故郷は福島である。

 設定は七年前に考えたものだ。「自転車で東京に来るには遠い場所」、それが福島にした理由だった。

 しかし震災によって、福島は単なる「自転車で東京に来るには遠い場所」ではなくなった。月子さんが福島からやってくることを書けば、そこに特別な意味が込められていると感じる人も多いだろう。私にはそれを書ききる自信がなかったし、月子さんのいる世界では、地震が起こっていないのだ。


 震災を経験していない自分は、経験した人と別の世界にいるのではないか。そんなわだかまりはずっと抱えていた。研究者として、自分にできることをするしかないのだとは分かっていた。それでも自分が「世界の外側」にいるとしたら、世界の内側にいる人たちの真実にたどり着けないかもしれない、と感じた。

 これは「経験してみなければわからない」とは少し違う感覚だ。経験しない方が客観的に判断できることが多いのは知っている。人は特別な経験をすることにより、自分の経験が代表的事例だと思い込んでしまうのだ。その上で、「どうせ経験していない人にはわからない」と攻撃的になることもある。

 私が感じていたのは、「経験しない側にいる自分」への違和感だ。これほど多くの地震が起こる日本にいて、あれだけのことがあった日本にいて、ほとんど揺れていない熊本にいる私。熊本に来たのは本当に偶然だ。縁もゆかりもない土地だった。恐ろしかった。その分未来で、まとめて何かが訪れるのではないかと思った。


 実は、五年の間に大きめの地震に三回遭っている。二つは同じ体験をした人も多いのではないか。文学フリマで訪れた土地で、二回続けて揺れた。そして三回目は、祖父の墓参りをした直後、新潟だった。九州を出ると必ず地震に遭う、そんな状況が続いた。

 ますます怖くなった。九州だけが大きな地震のない世界として独立しているかのようだった。そんなはずはない、と冷静な部分が判断する。九州だっていつかは大きな地震が来る。いつか、何十年かのうちには……


 そして、それは五年後だった。本や小さなものがいくつか落ちた、最初の地震。前震の段階では、とにかく余震に備えなければ、と思った。寝る場所を本棚から遠くして、鞄に非常用のものを詰めて、頭に毛布を抱えていた。それでも「一番大きいはずの」地震に耐えたことで、侮っていた。私は部屋の中で、揺れが収まるときを待っていたのだ。

 しかし、そう甘くはなかった。感じたことのない大きな揺れ。電気が消え、闇が訪れた。大きな音とともに、本棚や鏡台が倒れるのがわかった。布団をかぶったまま、とにかく体を丸めて時が過ぎるのを待っていた。死ぬかもしれないとは思ったが、それでも死の恐怖は感じなかった。いつかは死ぬ、それは今かもしれない。ずっとそう考えて生きてきて、それは大きな揺れの中でも変わらなかった。そしてまさに死ぬか生きるかわからないという時に、「本当にいつ死ぬかわからない、地震のある世界の中に私は存在させられている」と感じたのである。

 不思議な感覚だった。ポジティブでもネガティブでもなく、この空間と時間にどういうわけか存在している自分を実感した。存在しなくなるかもしれないまさにその瞬間だからこそ、明晰に存在している不思議を受け取ることができたのだ。数秒の間、私はいつ揺れるかわからない「世界に投げ込まれている」と、澄んだ気持ちで受け止めていたのだ。


 揺れが収まると、現実の様々な問題が襲いかかってきた。用意していたものが全て本棚の下敷きになってしまったのだ。暗闇の中手さぐりで鞄をつかみ、引っ張り出すことができた。懐中電灯と予備の眼鏡を取り出し、部屋の中を確認する。とにかく、ひどい有様だということは分かった。三度目はもっとひどいかもしれない。とにかく逃げなければならなかった。手さぐりでさらに探すと、携帯電話をつかむことができた。そしてなぜか足下に服が散乱していた。洋服ケースから飛び出た引き出しが、頭を飛び越えていたのである。

 考えている暇はなかった。たまたまあったセーターを着て、外に出る。懐中電灯の光が何本も伸びていた。同じアパートの人と話をする。そして、隣の駐車場に落ちた塊を発見した。屋上にあったはずの受水塔が落ちて、自動車をつぶしていた。とんでもないことになった、そのことを実感し始めた。


 公園で一夜を過ごした。私は生きている。そして、これからも生きていくだろう。ただ、どうやって生きていけばいいのだろう、そのことが不安になってきた。明るくなって部屋に戻ると、確かに大変な状況ではあったが、壊れたものは予想よりは少なかった。運よくパソコンも無傷だったので、鞄に詰め込んだ。本棚の裏になぜか『三月のライオン』が一冊乗っていた。零君が、天井を見つめていた。

 コンセントを全て抜いて、ブレーカーを戻した。何とかスペースのある台所で、携帯電話を充電した。外ではすでに片づけを始める人たちが。多くのことが変わってしまったが、変わらない世界も続いている。これから起こることは、いろいろと予想できた。物質的なことだけでない困難が訪れるだろう。私にできることはなんだろう。

 考えた結果、「学生たちに未来を与えること」だと思った。具体的に言えば、教え子たちにしっかりと教えて、単位を取ってもらって、卒業して、活躍してもらう。そのためには教えられる状態にならなければ、そう思ったのだ。


 今、水もガスも出ない部屋でこれを書いている。数日のうちにはどちらも復旧する予定だ。本棚も衣装ラックもないので、部屋の中に物が積み上がっている。来週からは授業が再開される。変わったことと変わらないこと。できることとできないこと。現実の様々なことと向き合っていくことになるだろう。

 投げ込まれた世界の中で、とにかく生きていくしかない。地震なんてない方がよかった。けれども起こったことは、受け止めていくしかない。これから私の書くものも、何らかの形で変わっていくと思う。今よりつまらなくなるかもしれない。せめて、本気でありたい。……なんて気持ちも、徐々に薄れていくのかもしれない。また、世界を疑う日が来るかもしれない。


 とりあえず、この文章を書ける日が来た。今は、それが嬉しい。



初出 note(2016) https://note.com/rakuha/n/ne8d969fb2acc

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