映画「ハンナ・アーレント」におけるハンス・ヨナス

(以前Google+に投稿した記事を改稿したものです。ネタバレを含みますので、映画を今後ご覧になる予定の方はご注意ください)




 客観的であることは時に愚かで、極度に客観的であることは罪である。哲学研究をしているものならば、そう感じたことのある人も多いだろう。人々が求めるのは、真理だとは限らない。隠しておいてほしいこと、勘違いしておきたいこと、そういうものがある。そしてそれらの感情が集まると、期待された事柄が真理と呼ばれ始める。


 哲学者は人々の期待を裏切る。ただしそれは、客観視を貫く哲学者に限る。人々の期待に応えようと、真理ではなく望まれることを真理だと言い始める哲学者もいるだろうし、それこそが真理だと思い始める哲学者もいるはずだ。


 アーレントは客観的であろうとし続けた。それは、魂の鎧を剥いでいくような行為だった。映画「ハンナ・アーレント」は、表向きにはそのような真理探究における残酷さを描写しようとしていると感じた。


 私はアーレントについては詳しくない。私が研究しているのはアーレントの友人、ハンス・ヨナスである。アーレントに比べれば知名度の低い彼だが、映画「ハンナ・アーレント」の中では重要な役目を担っていた。私は動くヨナスを見るのは初めてなので、楽しみにしていた。


 ヨナスはドイツ生まれのユダヤ人で、ハイデガーに師事していた。ハイデガーの存在論とグノーシス主義を関連させる論文を書き、高評価を受けた。そして学生時代にアーレントと出会っていた。二人は友人であったが、それ以上の感情があったかもしれないことは映画でも語られる通りである。しかしヨナスがアーレントとの恋愛を予感した時、アーレントは彼にハイデガーとの関係を打ち明けた。それから二人は、友人であり続けることを約束したのだ。ヨナスは何かあった時、両親とアーレントに電報を打った。彼にとって、友人の中でも彼女が特別な存在であったのは確かである。


 ヨナスとハイデガーの関係はそれだけでも複雑になっていくわけだが、更なる事態が待ち構えていた。ハイデガーがナチスと協力したのである。師弟はナチスとユダヤ人という関係になってしまった。しかもハイデガーは単なるナチスの党員ではなかった。彼は積極的にナチスを支持し、ユダヤ人の敵となったのである。もちろんアーレントにとっても由々しき事態だっただろう。偉大な師匠が、自らの敵になったのだ。そして必然として、師弟の道は分かれていく。心だけではない。生きるために弟子たちは逃げなければならず、ドイツを出ることになるのである。


 戦後アーレントがハイデガーを赦したようには、ヨナスはハイデガーを赦すことはできなかった。ヨナスの母はゲットーで亡くなった。ヨナスは自らがユダヤ人であることを強く意識した。彼はシオニストであったし、イスラエルで戦いもした。人として、ハイデガーに対して許せないという思いは続いていただろう。ヨナスは後に、ナチスに加担したことにより、ハイデガーの哲学までも傷ついたのだと非難している。


 個人的には、戦後ヨナスの哲学はぶれはじめたと感じている。グノーシス主義とハイデガーの哲学を研究していたヨナスには、客観性を失う理由がなかった。しかし続いて行われた生命の哲学には、「何かのために」という視点が見える。戦争が、アウシュヴィッツがもたらした「死」について、その答えを求めたい、「答えが欲しい」という要求が生じたように感じる。ヨナスの生命の哲学では、思考の道筋がショートカットされているような箇所がいくつか見受けられる。答えを早く見つけたいというヨナスの苦悩が、にじみ出ているかのようである。


 アメリカで再会することになったアーレントとヨナス。二人の関係は、以前にも増して複雑になっていた。ハイデガーへの思い、祖国への思い、ユダヤ人としての思い、学問に対する姿勢。友人であることには変わりなかっただろうが、その関係の維持は非常に危ういものとなっていたことだろう。アーレントは強く強く、客観的であることを続けようとしていた。それに比べて、ヨナスはそこまで強くなかった。ヨナスの持つ人並の弱さ、それがこの映画ではよく描かれている。




 ヨナスはアーレントの夫と激しく口論し、アーレントの原稿に失望し、そしてアーレントのスピーチ後、決別を宣言する。映画におけるヨナスは、アーレントに比べてとても卑小で意固地な人間という印象である。日本において彼のもっとも有名な著作、『責任という原理』でヨナスを知ったという人には、随分と意外に映るかもしれない。なぜなら『責任という原理』におけるヨナスは、非常に禁欲的に、私情を押し込めて倫理を語るからである。まさに映画においてアーレントが行ったように、客観的に「理解」しようとした、それが『責任という原理』なのである。


 ヨナスは晩年においても客観視を徹底したわけではない。とりわけ宗教について語る時には、非常に感情的である。そんな中でも『責任という原理』を書き上げられたのは使命感あってのことであろうし、次第にさまざまなことを「許す」心境になったからかもしれない。ちなみにアーレントが亡くなったのが1975年、ハイデガーが亡くなったのが1976年、『責任という原理』が刊行されたのが1979年である。


 ヨナスは『回想記』において、次のように書いている。




 しかし、ハイデガーへの愛はけっして弱まることはなかった。たしかに彼女は、ヒトラー時代初期のハイデガーとは内面的には疎遠になっていた。この時期に、彼女はハイデガーがどのように振る舞うかを体験しなければならなかったのである――だが、私はそのことについては彼女と一度も話すことがなかった。私が知っているのは、彼女が比較的早くそのことについて彼を許したということだけである。(p.249-50 以下引用ページは邦訳書)




 ヨナスはアーレントとハイデガーの関係を知っていたし、そのことについて特別な思いを巡らせていた。もしハイデガーがナチスに加担しなくとも、戦争の悲劇がなくとも、三人が何事もなく幸せな関係を持ち続ける、という未来は訪れなかっただろう。ヨナスはアーレントの夫に対しても嫉妬していたことを認めている。お互いの夫婦同士が交流するようになっても、ヨナスは友人としてアーレントと二人の時間を楽しみたいと思っていた。この微妙な関係は、はたから見ても危ういものだったのではないか。


 そしてヨナスは、アーレントのアイヒマンについての文章に対して、以下のように述べている。




 最初の記事で私は愕然とした――第一に語り口について。第二に彼女の寄稿の明白な反シオニズム的なニュアンスについて。第三にユダヤ的なことに関するハンナの無知について。最後の点については私にはわかっていたことであった。というのは、彼女はユダヤ教(judaicis)における権威であるとは決して自称していなかったからである。(p.252)




 上記の点は、映画では描かれていなかった。ヨナスはアーレントの草稿についても憤慨していたが、映画を観る限りそれはアイヒマンに対する評価が主な原因であるように見受けられる。しかし最後のスピーチの後には、はっきりとユダヤ人としての問題だとヨナスは言っている。観客には、ヨナスの言いたいことはまったくわからなかっただろう。


 ヨナスはシオニストであった。ユダヤ人として故郷を求め、ユダヤ人としての自覚を強く持っていた。アーレントもシオニズムに関わった時期はあったが、彼女はそこを通り過ぎて行き、さらにはそれを強く拒絶さえした。たしかにヨナスもまた、シオニストであり続けることはなかった。しかしイスラエルを去った彼は、より一層ユダヤ人とは何かについて考えることになった。二人は同じ道をたどったようでいて、ヨナスには全く別に感じられていた。ヨナスは常にユダヤ人としての自分、ユダヤ人の未来を考え、そのためにユダヤ人の過去にも思いを巡らせていた。それに対してアーレントは、ユダヤ人の過去に対して無頓着だったのである。少なくともヨナスにはそう感じられており、アイヒマンの件に至っては、世の中にそのような無知を元にした文章を公表してはならない、と指摘するに至ったのである。


 私には、ヨナスの指摘が全面的に正しいと確信することはできない。私こそ、ユダヤに対して無知だからである。ただし、ヨナスがこのように主張していたという事実は重要である。もし映画のタイトルが「ハンス・ヨナス」であったならば、この点は絶対に描かれていたであろう。


 映画「ハンナ・アーレント」においては、当然アーレントが主人公である。よって、アーレントの立場から見たヨナスが描かれている。親友であるヨナスは、学友ではあるが、だからと言って同じ思想を持っているわけではない。理解してほしい気持ちはあっただろうが、忠告によって主張を変えるような選択肢を、彼女はまったく考えなかっただろう。アーレントにとってヨナスは、深い悲しみの原因となっていった。彼女は心から、客観的に真理を探究していたのだ。ただし、だからと言ってそれが真理であるとは限らない。


 ヨナス自身が、本当に書かれている理由だけからアーレントを拒絶したのかはわからない。アーレントの中に客観的でない部分、ハイデガーに対しての愛情を原因とするような、主観的な許しを感じ取ったのかもしれない。ヨナスは決別の時に、アーレントに対して「ハイデガーの愛弟子」という呼称を使った。ヨナスにとってアーレントとハイデガーの関係は決して忘れられないものであり、そこには敗北感も含まれていたはずである。映画でも描かれているように、アーレントはハイデガーの聡明さに惹かれていた。ヨナスもまたハイデガーがいかに偉大な哲学者であるかを知っていたからこそ、アーレントの愛情までもがそちらに向かうことに、何も感じなかったはずがない。愛情によって知的探求の目が曇ることがないように、友人としてはそう願ったことだろう。


 決別の後、二人の仲はヨナスの妻によって修復されることとなった。その後もヨナスは、アーレントのことを基本的には素晴らしい人間だと思っていたようである。しかし、彼女の弱さについても気付いたのだ、としている。




 しかし彼女は、まさにその偉大な性質にもかかわらず、耐えるのが難しい何らかの弱点も抱えていた。この弱点は、彼女が公の人物になったときに初めて明らかになった。彼女は自分に反対する人たちの動機を疑った。彼女のこの点を許すことは、私にとっても困難であった。彼女を批判した人たちの動機が信頼のおける信念であっても、それが多くの場合に事実上正しいものでもありえたことを、彼女は認めようとしなかった。(p.261)




  映画において、ヨナスは分からず屋であり、苦しめられているアーレントを救えなかった友人として描かれている。しかしヨナスは唯一アーレントの文章の中身について強いアドバイスができる友人でもあった。アーレントは強い意志で真理を探究したが、そのために対話しようとはしなかった。アーレントは真理探究を意図する中で、強い思い込みから逃れられなくなっていたのかもしれない。しかし映画では、アーレントは非常に冷静に真理を探究しているように見える。映画の中でアーレントを追っていくうちに、私自身もアーレントが全面的に正しいのではないかと思い始めていた。この映画は、人間の意図しないさまざまな「危うさ」を要素として含んでいるようである。


 映画におけるヨナスは、アーレントに対比される人物として非常に面白く描かれている、というのが私の感想である。二人とも、純粋に真理を探究しようという気持ちはあったはずである。しかしどうしても人生の様々な出来事、人間関係の影響からは逃れることができない。ヨナスもアーレントも、どこかで何かに捕われ、そのために必要以上に頑固になってしまう。ただし、アーレントの方がより迷いがなかった。彼女の名声は、そのような彼女の前進する力強さによってもたらされたのだろう。それに対してヨナスは大哲学者と呼ばれることはなかった。しかし、『責任という原理』によって倫理学における重要人物となった。私はこの映画を観て、『責任という原理』における禁欲性と、アーレントの力強さに関連があるような気がした。


 ヨナスは、研究者にしては人間味がありすぎた、と私は感じている。それ故何かに埋没して、そして徹底して何かを見下して無意味だと断定することができなかった。そのような中でも幸いにも長命であったことにより、『責任という原理』を完成させることができた。人間らしい人間が時間をかけ、流行にとらわれることなく新しい可能性を示したという点で、『責任という原理』は大変貴重な名著だと思っている。この映画を元にヨナスに興味を持った人が、ヨナスの研究成果に触れて新しい驚きを感じることになれば大変うれしい。


 この映画によってヨナスが嫌われることがあっても、それはそれで仕方のないことだと思う。むしろ私は、ヨナスが描かれ始めたということに喜びを感じている。おそらくヨナスは、何世紀か後になって評価され直す類の学者である。それにしては早めに表舞台に登場したのではないか、と思う。ぜひ生きているうちに、次なるヨナスに出会いたいものである。


参照・引用 ハンス・ヨナス(2010) 『回想記』 (盛永審一郎他訳) 東信堂



初出はGoogle+(2014・現在サービス終了)

note版(2014)はhttps://note.com/rakuha/n/n3cf7cdcfc38f

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