望郷

 錆びついたバスに揺られていた一時間、僕が十年ぶりに帰省する言い訳をずっと考えていたのだが、やはりあの時のモモコにとどめをさす以外に思いつかなかった。

 小学五年生の夏、僕とモモコは頼みごとをされた。山の近くにある神社にモモコの母が作った饅頭を届けるだけの、簡単なものだ。モモコはいつも通り僕の手を引っ張りながら、二人の将来について大きな声で語っていた。

「今はあたしが一番大人だから、守ってあげる。大きくなったら、あたしを守ってね」

 僕は小さく頷いた。モモコは並びの悪い歯を見せつけるように笑った。

 神社へ辿り着くと神主が出迎えてくれた。モモコが饅頭を渡すと、白髪が少しだけある髪を掻きながら、とても喜んでいた。

「二人とも疲れたでしょう。少し休んでいきなさい」

 言われるがまま神社のベンチで休んでいると、モモコちゃん、ちょっと、と声が聞こえた。僕に冷たいお茶と漫画を一冊渡した神主は、モモコと共に小屋へ入っていった。

 ちょうど漫画を読み終えた頃に、二人は帰ってきた。神主は笑っていた。

「お手伝い、ありがとうね」

 家に戻るまでモモコは呆然としていて、どこか遠くを眺めたような目のまま、ずっと僕の後ろを歩いていた。

 それから今まで、モモコと僕は一度も会話をしていない。

 キャリーケースを引きずりながら、僕は何度も通っていた家のドアを思いきり叩く。鼻に大きな吹き出物のある女性が出てきたので、僕の名前を伝えると、その女性の口から並びの悪い歯が覗いた。

 モモコは大して驚きもせずに、久しぶり、随分と男前になったわねとだけ言う。相変わらず嘘が下手だなと思った。

「あの時、何があったか教えてほしい。二人で神社に行ったとき、一体何があったのかな?」

 僕の言葉を聞いて、モモコは呆れたような、悲しんでいるような、まるで期待外れだと言わんばかりのため息を吐いた。

「お手伝いよ。大人だから」

 大人ならもう少し分かりやすく喋ってくれないか。そう言おうと思った矢先、モモコの裏から少女がすり抜けるように外へ出ていった。

 その少女は初めて見るが、どこか懐かしかった。あの時のモモコそっくりの女の子だ。

「お饅頭、忘れてない?」

「しっかり持ってるよ。もう大人なんだから」

「そう、安心したわ」

 僕を間に挟んで会話していたモモコの瞳は、輝いているようで、どこか濁っているようにも思えた。その視線は浴び続けると吐いてしまいそうなので、僕は来た道を走り出した。

 どうやら、ここに置いてきた忘れ物はもう二度と取り戻せないようだ。

 泣きたい気持ちを抑えながら、足が動かなくなるまでひたすら逃げた。

 バス停を三つほど過ぎたあたりだろうか。青い制服を着た初老の男性が、反対側から自転車を漕ぎながらやってきた。僕はすがるように、あの神社は何なのかと尋ねた。

 警察官は少し考える素振りをしてから、ゆっくりと口を開いた。

「なあ、キミ、出身は?」

「小学生までここでした。中学から寮です。昔、とある女の子とあそこの神社へ行った時、明らかに様子がおかしくて」

 ああ、と警察官は納得した様子だった。

「あの神社の近くに住んでいる女はみんな、初潮が来たら土産を持って神社に行かされるんだよ。そんで、はじめてを神主に捧げて村の繁栄を願うのさ。つまり、神事のお手伝いだわな」

 男はそのまま豪快に笑った。それを見て、親への挨拶を忘れてたことに気づいた。

 すこしだけ、後悔した。

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