第13話 菊姫の涙 《長月の寂月…の巻》

 暑い夏がようやく勢力を衰えさせ、秋の気配が感じられるようになった今日この頃のことでございます。

久しぶりに受けた父の厳しい手ほどきに、いささか気分が滅入っておりました。

わたくしはさる楽家に生を受けました身の上でございまして、父の後を継ぎ楽師としての運命を背負っております。

それは生まれた時にすでに烙印として押されているのですが、その運命の重責を意識すればするほど、突きつけられればられるほど自分の身の置き方に不安が立ち込めてまいります。

さすがに今日のような厳しい言われ方をされますと、人間というものは落胆してしまう生き物のようでございまして・・・。

何事にも試練というものはつきものなのでしょうが、運命ばかりはどうしようもございません。

そんな晴れ晴れとしない気分の折に、ある公家の方から

“菊の花が美しく咲いたので見に来ませんか?”という、嬉しいお誘いをお受けいたしました。

花というものには、ほんの短い間に自分を惜しげもなく捧げる無償の潔さを感じ、胸を打たれます。

その花は手間と愛情を溢れんばかりにかけられた、大切な大切な存在で自分の手塩にかけた娘を嫁に出すときのような晴れ晴れしくも、どこか淋しいような感情も見え隠れいたしておりました。

伺ったご主人は、今か今かとわたくしの到着を待っておられたようです。

挨拶もそこそこに菊の薫り高い匂いに導かれるように案内されますと、部屋の中にはたくさんの菊の花が咲き乱れておりました。

「なんと、美しいこと・・・。」

わたくしは思わずそう申し上げました。

その言葉は主人の目尻をさらに下げ、そのお顔は喜びに満ち溢れておいででした。

その菊の花の中に、ひときわ美しく凛と大輪を開いている白い花に目を奪われました。

美しさの中にいても、他の追従に大きく差をつけていたのでございます。

しばらく仏界にいるような薫り高い世界に酔いしれておりました。

「このような見事に美しい菊を拝見できまして、幸せでございます。」

そうお礼を申し上げると、主人は感慨深げにつぶやかれました。

「わたくしの役目もこれ終わりでございます。あとは、一日一日と花びらを落としていくだけ。淋しさのあまり気を病んでしまうのでは・・・と思っております。」

「そのように、お淋しいことをおっしゃらずに・・・。」

そう励ましたものの、自然の摂理とはそういうものでございます。

花とて愛情をたくさんつぎ込んでくれたことへの感謝として、このようなえもいわれぬ美しさを披露したのでございます。

それを前にして、哀しい気分というのは申し訳ないような気分にさえなってしまいますが、お気持ちを察するとそのようなことも申し上げられず、

「このような美しい菊の花に、お礼の気持ちを込めまして笛を吹かせていただきます。」

と、ささやかなお礼の気持ちからそう申し出ました。

主人はたいそう喜んで下さったのでわたくしも嬉しく思い、心を込めて匂い立つ美しい菊の花々にわたくしの心に浮かんだ自由な旋律をお送りいたしました。

屋敷を後にするときまでも、香り高い菊の残り香が、私を引き留めるかのようでした。


その後、このご主人から文を頂きました。

<景時様

 先日は起こしいただきありがとうございました。あれから毎日、菊たちの世話をしておりますが、いつ散り始めるのだろう?・・・と訝しむほど、一向に散る気配がいたしません。今もなお、美しさはあのときのままでございます。わたくしの勝手な邪推ですが、これはもしや景時様の笛のお陰ではないか?と感じております。

とはいえ、永遠に咲き続けることは叶わぬと十分に承知しております。

ご安心くださいませ。あの時の美しい笛の音に、わたくしもずいぶんと癒されました。

ありがとうございました。またぜひお越し下さいませ。   

 菊の翁  北条 兼定>


この文を受け取り、お礼の手紙をしたためた数日後の出来事でございました。

所要を済ましての帰りの牛車の中で、薫り高い菊の香りが立ち込めてまいりました。

(菊の季節としてもこの様な香り高い芳香が漂うとは・・・)

辺りに聞くが咲き乱れているのでは?と。少しばかり御簾を上げて外を見た時でございました。

ぼんやりと霧の中に浮かんでいる透き透ったその霞のような姿は、この世のものでないという感じはいたしましたが、取り立てて怖くはないのでそのまま軽く会釈をいたしました。

「わたくしは、菊の精霊・雛菊と申します。先日は起こしいただきまして、また美しい笛をどうもありがとうございました。」

「ああ、そなたはあの時の・・・。」

「本来ならすぐ枯れ果てる運命でございますが、景時様の笛のお陰で命永らえました。

しかし・・・心掛りなことがございまして、未だに旅立てずにおりました。」

「翁様のことでしょうか?」

「はい。わたくしがあのまま枯れ果てていたら、翁様もきっと長くは持たなかったでしょう。それが心掛りで旅立てずにおりましたが笛のおかげで命を得て、翁様が段々とお元気になられましたので、安心いたしました。しかしいつまでもこうしてはおられませんので、今夜旅立とうと思います。それゆえ急なことですが、ご挨拶にと参った次第でございます。」

「そうでしたか・・・。こちらこそ雛菊様の美しさに魅了されました。ありがとうございます。どうぞ、案ずることなく旅立たれますように・・・。」

会釈をするとともに、菊の精・雛菊姫は匂い高く旅立っていかれました。

偶然にも、その場所は菊の翁様のお屋敷の目の先でございました。


風の便りによれば、翁様は都を離れ田舎に住まいを改め、毎年美しい菊をさかせることに使命を感じ、菊の花に囲まれた人生をまっとうされたそうでございます。

夜露にぬれた菊の花についた小さな水滴は、きっと菊姫の翁を思う優しい涙なのでございましょう。

                              景時 記



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