第12話 鈴の音の恐怖 《葉月の瞑月…の巻》
お盆の行事の準備をそろそろ始めるころ、あるお寺の和尚様から説法会のお誘いをうけ参加させて頂くことになりました。
“説法の会”は、仏教の教えを分かりやすく説く和尚様のお話し会なのでございます。
その和尚様は定期的に説法を説いていらっしゃいまして、これが近所の方同士の楽しみといいますか、人々が集まるのにいい口実にもなっているようで、熱心な信者の方はもちろんのこと、背中に子どもを負ぶった方もいらっしゃり、一種の寄り合い的ないみもあり、賑やかで楽しい雰囲気でございました。
いつも夕刻から行われており、いつのまにか子どもなどは負ぶわれたまま寝ております。
葉月はお盆の行事もありますので、先祖様とのかかわりを今一度考え直すのにはいい機会かもしれません。
いつもいつも固いお話ばかりでなく、脱線したり、悩み相談だったり・・・とにかく狭い境内はいつも満員だそうでございます。
暑い境内の中でございますので、汗をぬぐいながらもどんどんと話に引き込まれていきました。
「今宵もよくお集まりくださいました。仏教では盂蘭盆会(うらぼんえ)というという言葉がございます。まあ、難しい話は短くいたしまして・・・。お盆というのは地獄の釜の蓋が開く・・・というのは、このまえの説法でお話ししましたなぁ~。今日は地獄の餓鬼世界(がきせかい)で苦しむ母を助ける息子の話でしたな。餓鬼というのは、ものすごい世界でございましてなぁ~。」
この和尚の話し方は本当に、心地よい何かの“まじない”でもあるかの様な独特のものがございます。
眠たくなるというより心地よく、話も興味深いのもあって、そこに居る人は皆が和尚に惹きつけられておりました。不思議な感覚です。
蒸し暑いはずの境内はそっくりどこかの世界に浮いているような感覚で、暑いとか足が窮屈とか・・・そんな感覚さえも忘れてしまっておりました。
この頃は土葬が普通で殯(もがり)という仮の埋葬をしてから本葬を行います。
死者を一度穴に埋めてから、本当に死んだかどうかを確認するのでございますが、遺体の土の中に竹の筒を差し、土の上に鈴をぶら下げ、遺体が少しでも動いたら鈴が鳴る仕掛けになっておりました。
ちょうど和尚の話の最中に“チリンチリン”という鈴の音がしたときは、その場の全員の背中が一瞬、凍りついたのでございます。
「なあ・・・今確か、鈴の音が聞こえねがったかぇ?」
皆がお互いに顔を見合せております。
「気のせいでねぇの?虫の鳴き声だぁ~。」
「そんだ、そんだ!気のせいだ。」
安心したいからか、言い出した本人も半信半疑であったようですので一応、そう結論がでました。
和尚さんは、
「どこまで行きましたかねぇ~、あっ、そうそう!先祖を供養するというあたりでしたな。」
またゆったりと話を始めますが、何人かが注意深く聞き耳を立てておりますとまたもや
チリンチリン・・・今度はほとんどの人がはっきりと聞いております。
「ほら、やっぱり!間違いねえだ。」
「この前死んだ、やっさんとこの十助(とすけ)じゃねえか?」
などと人物を確定したものですから、その場は大騒ぎになったのでございます。
和尚さんは、
「まあまあ、落ち着きなさい。もしそうだとしたら、息を吹き返したことになる。わしが見てくるから、ここを動かないように・・・。」
和尚はその場を離れました。
こういう場合、残されたものが一番不安なのでございます。
皆が口々にいろんな話を始めました。
「まだ五つばかりやったろ?十助はついこの前、藍染川で溺れたんや。」
「みんなが河童の仕業だというとったなぁ。川から引き揚げたときはもう真っ青だったそうやないか・・・。かわいそうに。」
「子どもが生き返るのならいうて、かかさんは泣き崩れとった。」
「そうやった・・・そうやった。」
そういういきさつを聞きますと、生き返ってほしいような願望もわいてまいります。
が、決して手放しで喜べる状況でもございません。
肝心の和尚は全然戻ってこないので、その場の者たちの何人かは探しに行く支度を始めました。
夜中の・・・それも墓や殯のあたりを歩くのは気味のいいものではございません。
しかし、探しに行った何人かの男衆達は和尚を見つけられず、早々に引き揚げてまいりました。
誰かが
「和尚がどこにもおらん。道連れにされたんだ・・・きっと。そうに違いねえ。」
不安をあおる言い方に、その場の大勢が家へとそそくさと逃げるように引き返して行きました。
ポツンと残ったのは、私と2人の男衆だけでございました。
しばらくその場で車座になって座っておりますと、ひょっこり和尚が戻ってきて驚いたようにおっしゃいました。
「皆はどこへ行きよった?」
「和尚さま、ご無事でしたか?」
「こりゃ、やりすぎたわい!」
和尚様はこの暑さを少しでも癒そうと思い、皆を怖がらせようとしたそうでございます。
鈴の音は小坊主にやらせていたそうで、和尚様は皆が騒ぎ出したところで出て行こうと思ったそうですが、もう少しじらしてやろう・・・と考えて待っている間に眠ってしまったとのこと。
一応ホッとした残りの者であれこれ四方山話に花が咲きかけたころ、また鈴の音がいたしました。
「子坊主や、もうよい、もうよい。もう休みなさい。」
和尚様が言っても、鈴の音は止みません。
痺れを切らした和尚様は
「子坊主や、明日お経を多く上げさせるぞ。もう休めと言っておるに・・・。」
そう言ったものの、いっこうに鳴り止みません。
本堂へ渡る廊下あたりを見回してもおりませんので、和尚様は蚊帳のつってある寝所へ行き確認いたしますと、鈴の係を頼んだ子坊主はすやすやと眠っておりました。
和尚様は、わたくし達の所へ戻ってくるや否や、
「嘘が真実になったわい!」
と声を張り上げて本堂を出て行かれました。
もうこうなったらここに残っている理由などありませんから、残っていた男衆とともに一目散に逃げ帰ったわたくしでございました。
その後・・・和尚様から文が届きました。
またもや説法会のお誘いでございましたが、今回は丁重にお断りいたしました。
「行きたくないものは、行きたくない!」
そういうわたくしに、もみじは
「自分の身に替えても生き返ってほしい・・・と思う人ならばどうじゃ?
愛しの姫ならば話は別じゃ。まぁ愛しの姫がおればの話じゃ。ほほほ・・・。」
と小生意気にも申しております。
「さあな・・・。多分、生き返ってほしいと思うだろうな。だが、一度でも死の淵をまたいだら戻れないというではないか。黄泉の国から来た者は、やはり怖い!いくら愛する者でもな。」
「景時も、まだまだじゃのう。ほっほっほ・・・。」
もみじの意味深な笑いはどういう意味なのでしょうか・・・?
十助が本当に生き返ったものですから、和尚様のいたずらも多めに見てもらえたのでしょうか?
十助と十助の家族は喜んでいただいた命のありがたさを痛感したそうでございます。
十助はそんな奇特な体験をしたものですから、その後お寺に住み込むようになり、ついには仏門に入る決心をしたそうでございます。
和尚様は十助に
「あの時のことを覚えておるか?」
とその後何度となく聞いたそうでございます。
すると
「なんとなく覚えておりますが、言葉で説明するのは大変難しいものです。」
とだけしか言わなかったそうで・・・。
和尚様はきっと、十助が何を見たのかをこれから何度も何度もお聞きになるのでしょう。
景時 記
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