第10話 赤き月の晩の出来事 《水無月の迷月…の巻》
今宵の月は、何かの災いの暗示なのでしょうか?
東の空の、それもかなり低いところに現われた大きな赤い月は、燃え盛るように・・・また人の血潮を飲んだように赤く不気味でございました。
そんな赤い月の晩のことでございます。
夕餉の席で、いつになく父上がお話をされました。
「景時、最近宮中で噂を聞くか?」
「どのような噂でしょう?」
「神隠しの噂だ。」
「はい・・・。今日も近衛府のお方がお話になっておられました。」
「どのようにだ?」
「わたくしが聞いた所によると、都の童が数人、神隠しのように姿を消したそうです。それも一度に三人もだそうで・・・。」
「神がそのようなことをなさるとは、思えないが・・・不思議な事もあるのだな。」
(不思議なことに関しては、最近あまり驚かなくなった・・・。)
わたくしの心の中は複雑でございました。
もみじと出会ったお陰でいろんな奇々怪々な事に遭遇するようにもなり、また助けられたり、新しい出会いもあり・・・そんな波乱に見舞われております。
今回の神隠しの妙な噂は宮中にまでじんわりと広がっておりました。
一方都ではそうした不幸を悪戯に商売にし、親の気持ちを弄んだりする者もいるようで、神隠しにあった子どもの行方を占う・・・などという占い師や護符を売りさばくような、不幸につけ込む輩もじわじわと沸いているようでございました。
子どもがいなくなったその辛い心境はお察しいたしますが、何を勘違いされたか、わたくしのところへいらっしゃるのは、はっきり申し上げて間違いでございます。
もみじの噂がこの事件に巻き込まれたようで、今日も実際に尋ねていらっしゃった方がおられるのです。
父が話をお伺いしたところ、やはりわたくしのもみじが何かの助言をくれるのではないか?ということでございました。
お父上はそのお方のお辛い心境を察しながらも、この普段からもみじの噂を頭痛の種にしておりましたので、丁重にお断りいたしたようでございます。
藁にもすがりたい気持ちでしょうが、わたくしにはどうしようもありません。もみじは、。
「神隠し・・・というのは人間では考えられんことを、すべてそう呼ぶのじゃ。」
と平然と申します。
「もみじはどう思う?」
「何かの仕業と思いたいのじゃ、人間はな。」
「誰かの仕業なのか?」
「さてどうかのう・・・?」
もみじが何が言いたいのかさっぱりで、全く話になりません。
しかし、人の弱みに付け込むような事は、同じ人間として決して許せません。
翌日、楽の合わせ稽古の後、都で噂の占い師の話が持ち上がりました。
とにかくよく当たると評判の占い師なのだそうで、話が盛り上がったついでに皆で行こう・・・ということになったのでございます。
皆、半信半疑であり、占いをして欲しいくせに、一人では不安・・・そんな仲間の集まりが情けないことに五人にもなりました。
しかし、五人もいれば安心でございます。
(なぜかその中に、わたくしも入っております)
意気揚揚とその方をお尋ねいたしました。
案の定、噂を聞きつけてたくさんの人が集まっておりました。
また、それだけの人が集まっているというのが、より信憑性を高めるようでございます。
いよいよわたくしたち五人の番がやってまいりました。
巫女のような出で立ちの老婆は、細い目を鋭く光らせ、五人の顔を一人づつにらみ付けました。
「貴方は・・・女難の相がでております。そして、お隣の貴方は、何か重要な秘密を抱えておられる、そして貴方は短命、貴方様は近々、災難に遭うでしょう。そして貴方は人の恨みをたくさん背負っていらっしゃる・・・いかがですかな?」
そういわれた五人は、それぞれに思い当たる節があるようで、血の気を失いました。
もちろん、わたくしは二人目ですので、“重要な秘密を抱えている”・・・と言われたので頭にもみじのことが真っ先に浮かんだのでございます。
五人が皆、口篭もったので老婆はニヤリと不気味な笑いを浮かべました。
しかし、このままでは終わりません。
老婆は、
「女の情念というものは、恐ろしいものでございますぞ~。捨てられた女の情念はぐるぐるととぐろを巻いて貴方様をきりきりとねじ上げ、締め上げて蛇のように貴方に巻きついて苦しめますぞ。あぁ~、恐ろしや~。」
不安をあおり、自分はそんな目に会うのは真っ平だと言いたげに身ぶるいなどして盛り上げます。
実に憎い演出です。
不安の種を持っている人間は、言葉一つでその不安が大きく膨らむものです。
そんな言葉を聞いて、一番初めに座ったお方が必死にお頼みします。
「お助けくださいませ、お助け下さいませ~。」
泣きつきますと、老婆は待ってましたとばかりにさらさらと筆を動かしお札を書きました。
手渡しながら、
「この札は、貴方の守り神となるでしょう。しかし安いものではございません。貴方の誠意をお示し下さい。考えられる限りの誠意を・・・。渋れば、効力は半減。一生分の命の代金と思うならそれなりに・・・。」
実にはっきりとしたものの言い方をいたしたもので感心いたします。
続いて老婆はわたくしに向き合いました。
「重要な秘密をかかえておられる・・・。いつか、その秘密によって身を滅ぼされるでありましょう。」
老婆のそのような言葉をさえぎるように、もみじがわたくしの心の中に語りかけて言いました。
(嘘つき!この老婆には狸がついておるぞ、用心しろ、景時。わらわの正体が見破れるか試してみよ。信じるのはその後でも遅くはない!)
「お言葉ですが・・・、そのわたくしを滅ぼすであろう者の正体は何でしょうか?」
「ここで言ってもよいか?」
「ええ、構いません。」
老婆はしばらく、わたくしに手をかざしたあと
「その者は・・・なかなか正体を現さない、しぶとい奴じゃ。用心されませ。」
と、老婆は不思議な珠のついた数珠のようなものをふりまわしながら言いました。
「見えないのですか?」
「いや・・・正体を見抜かれないように光で煙幕を張っておる。が、確かに貴方に付いている。」
(そんじょそこらの化け狸に、わらわが見えるはずは無い!)
もみじは確信を持ってそう語りかけてまいりました。
わたくしには、どちらの言葉を信じるべきか最初から解っており、もみじが自分にとって、どういう存在なのか・・・というのは自分が一番よくわかっております。
三人目のお方は、近々不幸が訪れるといわれた時、病がちな妹君のことが浮かんだそうでございます。
「是非、お札を・・・。」
お札で妹の命が長らえるなら・・・と老婆にすがるように申し上げると、また法外なお布施を強要されておいででした。
四人目のお方は、短命と自分の家系の事を言い当てられておりました。
確かに、その通りでございました。
身近な者たちが短命であると常日頃から、そのお方は気にしておいでだったのでございます。
五人目は人の恨みを買っているというのも、うなずけます。
そのお方は篳篥(ひちりき)の名手で、それはあちこちで嫉妬・羨望を受けるのは当然だからでございます。
当たり前といえば、当たり前なのですが、暗示というものはかかった事に気づかないものなのです。
こうして、五人は帰路につきながら話し合っておりました。
「一生分のお布施といわれたら家財を投げ出せということか?」
「しかし、命には変えられん・・・。」
「そうだ、そうだ。命あってのことだからな。」
「どうするつもりだ?」
「出せるだけ、お布施するしかないだろうなぁ~。」
「そういうのはお布施とは言わないだろう。袖の下じゃないのか?」
わたくしの反論に、四人が一斉に目を向けました。
「あの老婆に全財産貢いだって、人の寿命や運命は神が決めることだ。神は金や財産でどうにかなる訳ではない。そう思わないか?」
「まあ・・・確かにな。」
「しかし、同じ寿命をまっとうするなら、苦しみぬく方を選ぶか?」
妹の病を案じているお方が言うと、他の四人が足を止めました。
「金で何とかなる運命なら、貧乏な人はどうなる?金持ちが何千年も生きた・・・なんて話は聞いたことが無い。人は決められた人生を一生懸命生きるしかないのさ。」
わたくしは独りでにすらすらとこんなことを口走っておりました。
しばらくたって、一人の女難の相の持ち主がいいました。
「ああ・・・そうだな。女難の相・・・というのも種をまいたのは自分だ。しょうがない。」
そう考えはじめると、お札の効果も実に怪しくなってまいります。
皆で話し合い、お札は神社でお焚き上げしてもらうことになりました。
四人が方向を見失わなくて幸いでした。
しかし、あの場所に来ていた多くの人は、決して裕福な人ばかりではないはずです。
それに、人の命をお布施でどうにかできる・・・と人々に思わせたのは罪深いことです。
人は時に合点のいかぬことに、理由をこじつけたがる生き物なのでしょうか?
昨日の赤い月は神の怒りだ・・・という占い師の戯言(たわごと)をわたくしもまんまと信じ込みそうになりました。
その赤い月が今にも落ちそうなくらい近くに見えたのが不気味で、その理由のわからぬ不安な事柄が人々の心の闇に火をつけたのかもしれません。
人々は自分で自分の心の不安に駆られたのでしょう。
しばらくして、神隠しの噂も消えうせるように、あの怪しい老婆も都から姿を消したと噂で聞きました。
いろんな場所に流れながら、たくさんの人々から財産を巻き上げ、不安をあおり、金品を奪った老婆は、きっとあの世でたっぷりそのツケを払うことになるのでしょう。
与えられた命を全うする使命、またその難しさこそが生まれてきた理由なのかもしれません。
赤い月も、青い月も、金色の月も、すべて月。
老婆の戯言を信じるかどうかはあなた次第!
景時 記
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