第9話 六道の辻奇談 《皐月の奇月…の巻》
春も活気付いた今日この頃・・・
わたくしは今日も神社で、春の豊饒の祭りの楽を奏じておりました。
春は神社などで、穀物の豊作を願う神事などが多く催されます。
人々は美しい巫女の舞いに見とれ、装束の色とりどりな美しさに酔いしれる中、胡蝶(こちょう)という蝶の装束をまとった童(わらわ)はたいそう愛らしく、春の野に戯れる蝶さながらの可愛らしさでございました。
ちょうど人々が豊かな実りを神に祈願する奉納の舞いが終わった頃のことでございました。
「景時!」
ひときわ大きな声でと呼ぶ声がいたします。
その姿は、小さい頃の面影を十分に残している幼馴染。
「義貞!」
お互いに名前で呼び合うほどの仲で一瞬のうちに笑顔がほころび、しばらく会わない間の時間など感じさせない二人でございました。
「久しぶりだな。どうしていた?」
「相変わらずさ。景時は?」
「同じだ。しばらく都にいるのだろう?うちに来ないか?」
「ああ、ぜひそうさせてもらう。」
こうして七年ぶりに、懐かしい友人との再会となりました。
義貞はわたくしの最も気の許せる友人で、家族ぐるみでお付き合いする間柄なのでございます。
夕刻から二人でゆったりと酒を楽しむことになり、朝取りのたけのこを煮付けたものなど、春満喫のお初の自慢料理が並びました。
酒が進む中、お互いの近況や身の上話やらで大いに笑い、酒も進みます。
すると義貞が言いにくそうに、話し始めました。
「景時、お前の噂がこっちにも届いているぞ。」
義貞は生駒の地(奈良県)に住んでおります。
「噂って・・・?」
「お前、大丈夫か?」
「はっきり言ってみろよ。」
奥歯に何かが挟まったような言い方に、わたくしはじれったさを感じ、ついこう言ってしまいました。
「景時がこの世とあの世を行き来してる・・・らしいという噂だ。」
「あっはっは・・・。」
もみじのことならある程度は覚悟しておりましたが、あまりの突拍子も無い話なので大声で笑ってしまいます。
「まあ、その様子からすれば嘘だと分かるが・・・。」
「どんな噂だ?」
「聞いた所によると、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)という寺の門前にあの世とこの世の境といわれてる辻があるそうじゃないか。その辻から景時が地獄から帰ってきたばかりみたいな身なりで歩いてるのを見た・・・という噂だ。」
「まさか・・・。」
わたくしは、思い当たる節がないわけではないのでゆっくり記憶を呼び起こしてみました。
たしか先月のことでしたか・・・すみれをもとの野原に返した日、夜明けの街を戻ってくる最中、たしかあの辺りを通ったかもしれないと・・・。
確かに地獄から舞い戻ったような格好というのは正しく、この世の者と思えない格好だったことは素直に認めるしかないでしょう。
しかし、六道珍皇寺の近くを通ったというだけで、この世とあの世を行き来している・・・というのは少々大げさでしょう。
六道珍皇寺の裏庭の井戸から冥界に通い、明け方嵯峨の薬師寺の井戸から現世に戻っていたという偉人・小野 篁(おののたかむら)ではありません。
「まさか・・・なんていうところをみると、本当のことなのか?」
義貞は、本当にうろたえたような表情でわたくしを見つめておりました。
「いや・・・先月に風邪をこじらせてしまい、熱にうなされて街をさまよったことがあってな。どこをどう戻ったのか覚えていないんだが・・・。明け方に家に戻ったのだがひどい格好でなぁ。お初にもひどく怒られたのさ。その時、わたしの姿を見かけたのかもしれない・・・と思ったのだ。」
「まあ、そういうことなら安心した。妙な笛の噂も聞くし、しばらく会っていないからこれを機会に会いにきてよかった。」
そういう義貞は、相変わらずの笑顔を浮かべたのでございます。
その表情を見て、わたくしもほっといたしました。
(やはり・・・もみじのことは噂になっているのだな。それも都だけでないのか・・・。)
そう考えると広まってしまった噂が、もう自分の手の届かない所に行ってしまったやりきれなさで一杯になります。
しばらくして会話が途切れたころ・・・
「行ってみないか?その辻へ。」
「やめておけ。そのような怪しい所へどうして行くのだ?」
「いや・・・都の土産にでも、こんな話は喜ばれるしな。」
「土産なら他の物にしろ。俺は行かぬ。」
そのような噂になっているならなおさらで、そのような危ないところへは行きたくありません。
「よし!では行ってこよう!噂を確かめてくる。」
そう言って、義貞は一人で出かけていってしまいました。
(困ったものだ・・・。)
「困った奴じゃのう・・・。」
もみじが言います。
「俺は知らんぞ。」
強がってみたものの、心配は拭えませんでした。
「わらわのことが噂になっているようじゃのう・・・。ああ、楽し。」
「面白がっていていいものか・・・?」
「所詮、景時にしか見えまい。放っておけ。しかし、すみれの話は知らぬぞよ。そんなことがあったのか、景時?」
「ああ。風邪をこじらした時、お初が薬草を取りに行った野原で、野のすみれを摘んできたのだ。可愛らしい花だったが、夜に枕もとで泣くので困ってなぁ。家族の所へ返して欲しいというので元の野に戻しに行った時、ぬかるみにはまって明け方にひどい格好で戻ったのだ。街の人にその姿を見られたばかりに、あの世とこの世を行き来してる・・・とまで言われる羽目になったのだ。ついてない。」
「あっはっは・・・。愉快、愉快~!」
言いたくもなかった事を告白してしまった自分と、人間でない者に笑われている自分を恨みました。
そろそろ、戻るだろう・・・と思っている義貞は、漆黒の夜になっても未だに戻ってきません。
心配になったわたくしは、気が進まぬまま迎えにいくことにいたしました。
懐にもみじを入れて行きます。( お守り代わりに)
「景時は心細くなると、わらわを引き合いにだすのう・・・。しょうがない奴じゃ。」
今はそんな憎まれ口にも、耐えるしかないのです、本当に心細いのですから・・・。
暗くなった街並みをそろそろと歩きます。
明かりも時々炎を揺らし、気味悪くたなびきます。
「義貞~!」
何度か呼んでみましたが、返事はありませんでした。
ぐるりと寺の周りを探しましたが見当たらないのでとうとう、境内の方へと踏み込みます。
(やはり止めるべきだった・・・。)
そんなことを考えていると、ゆらゆらと炎が近づいてきました。
(誰か・・・いらっしゃったな。)
人の気配というのは、大きな安心を与えるものです。
しかし、それが人ならばの話です。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ・・・
確かに人が砂利のようなものを踏みしめる足音が聞こえました。
しかし、その足音と明かりが通り過ぎるとき、その明かりに映し出されたのは馬の顔でした。
(馬?・・・人?)
その疑問に答えが出ぬまま、進んでいきます。
石段がありました。
数段の石段でした。
しかし、登っても登っても上がりきらない不思議な石段でした。
そのうち、疲れ果てたので向きを変え下り始めると、五段ほどで元の場所に戻りました。
永遠に登れない石段に登ったのはそれが始めてのことです。
(やはり・・・戻ろう!)
気味の悪い感覚が押し寄せて我慢が限界を迎え、そう決心したとき、
「景時、急いで戻れ!振り返るでない!」
もみじの叫ぶような声が聞こえたので、その言葉とおりに一目散に振り返らずに家に戻りました。
ぜいぜいと、息はなかなか納まってくれません。
大きく息をする私を無表情に見つめる義貞が、部屋にポツンとすわっておりました。
「なんだ・・・義貞。戻っておったのか。探しに行ったのだぞ。」
「ああ・・・そうか。悪かったな。」
しかし、その表情は血の気を失ったような青白い顔でした。
わたくしがカラカラに乾いて悲鳴を上げている喉に酒をゴクゴクと飲み干した時、
「見たか?」
と目がギラギラと不気味に光っている義貞が言いました。
「何を?」
「馬だ。」
「ああ、馬の様な人の様な・・・。」
「人か?いや・・・馬だ。“たてがみ”があった。」
「いや、明かりを持っていた。歩いていた人だ。」
「同じものを見たわけではないのか・・・?」
「俺とお前の見たものは同じだろうか?馬でも人でも構わんが・・・。」
「多分・・・同じだろう。上に上がれぬ石段の手前で会った。」
「そうだ・・・。なら、いい。」
義貞はそれっきり黙ってしまったので、二人はそのうち無言のまま床につきました。
翌朝・・・。
いつもと変わらない様子の義貞を見て安心いたしました。
都にいる間に見物など案内をすると言いましても、義貞は戻ると言い張ったまま聞きませんので、そのまま慌ただしくわたくしの元を去ることになりました。
ただその時、身支度をする義貞の背中に馬のひずめの跡が残されているのを見つけ、わたしは言葉を失いました。
はっきりと残されておりましたが、多分それは他の者には見えないのでしょう。
どうにも気にかかったわたくしは、数日後、義定に文を届けさせました。
義貞は戻って以来、原因不明の熱病にかかり臥せっている・・・との返事が戻りました。
不安な気持ちが的中するのは、なぜこんなに気分が悪いのでしょう。
知り合いの陰陽師様にお願いして、お祓いをしていただくことにいたします。
(六道珍皇寺の一件を素直にお話したら陰陽師様が引き受けてくださいました。)
引き受けてくださったことで安心しようとも、なぜか胸騒ぎな収まりません。
後日・・・。
その時の陰陽師様が、わたくしを尋ねてくださいました。
「義貞さまは難をのがれました。しかし、悪戯にあのような場所に行ってはなりません。」
ときつく叱責を受けたのでございます。
「はい・・・。それは深く反省しております。」
「あのような者たちは、遊び半分な気持ちで接すれば命はありません。どうぞ、お気をつけ下さいませ。」
「この度はありがとうございました。義貞は・・・」
「あそこの場所は、あの世とこの世の辻と言われておりますが本当です。ですから、あそこで出会ったものは人間ではありません。現に上半身は馬、下半身は人間・・・というものに出会ったのでしょう。あれは馬頭(めず)といって地獄の閻魔庁の使いのもので、死者を迎えに行く者です。義貞様はそのものと言葉を交わしたため、背中に印を押されてしまいました。地獄へ送られる寸前だったのでございます。」
「そうでしたか・・・。背中のひずめの印を見たときは、さすがに驚きました。」
「景時様も、見えたのですね。」
陰陽師様は、静かに白湯をお飲みになりました。
「わたくしの背中は・・・どうでしょうか?」
不安になり背中をお見せすると、
「大丈夫でございます。しかし、くれぐれもお気をつけくださいませ。では・・・。」
陰陽師様は固い顔のままお帰りになりました。
今回は深く反省いたしましたし、遊び半分で近づいてはならい・・・という陰陽師様のお言葉が身にしみました。
ただあの時・・・。
もみじが“振り返らずに急いで戻れ!”と言ったその言葉がわたくしを救ってくれたのです。
景時 記
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