第7話 桃夜の約束 《弥生の桃月・・・の巻》
わたくしは景時(かげとき)と申すものでございます。
楽家に生を受けまして、宮中の行事や、神事の際に笛を奏じます。
弥生(やよい)の月は、上巳の節供(じょうみのせちく)がございまして宮中でも祓いの儀式が行われます。
昔から弥生の上旬の巳の日に災いが起こりやすかったことから、祓いの儀式を行うようになったそうでございます。
季節も段々と春へと移り変わる頃、人の体も冬から春への準備を始めるからでございましょうか?
野辺の様子も少しずつザワザワとし始めてくる予感がいたします。
今まで眠っていたものが芽を出し現れると言うのは良いこともあり、その反対も然り。
ある貴族の方から、密かにお話を頂きました。
最近、自分の娘の様子が芳しくなく、落ち込んでいるので笛などふいてもらえないか・・・というお依頼でございました。
“もみじ”というわたくしの愛笛の噂が最近、大げさに広まっているようで困っているのですが、わたくしでも少なからずお役にたてるのであればと、お引き受けしたのでございます。
はっきり言っておきますが、もみじには病人を治したり、厄除けや安産の効力など全く持ってないのです。
しかし、最近このように噂に尾ひれがついて困惑しておりました。
その日、少しでもお慰めになれば・・・と思い桃のつぼみのついた枝を何本かお持ちしました。
若芽というものは生命の息吹あふれ、それだけでも力が湧いてくるものです。
お渡しした途端、その姫様はおいおいと泣き崩れてしまいました。
何かとても辛いことを思い出させてしまったのかもしれません。
どうしてよいか解らず、とりあえずもみじを奏でる事に致しました。
心に浮かんだ旋律は、越天楽。
春の陽気のように、柔らかで温かい雰囲気は天界にすむという天女の奏でる音色のようでございます。
その音色に導かれるように、姫様は段々と落ち着きを取り戻されました。
しばらくして、ぽつり・・ぽつり・・・とお話になられました。
「人の心と言うものは、まさに季節の移り変わりのようなものなのですね。」
「さようでございます。四季それぞれに美しく、それぞれに切ないものです。そしてまた巡るのです。」
「めぐり巡って、戻ってくるものでしょうか?」
「戻ってくるかどうかは、わかりません。春といっても、同じ春が来るのではないとわたくしは思います。今年の春は、去年の春とは違うものだと思いますが・・・。」
「そうかもしれませんね。この世は一期一会。人の心も一度壊れたものは元に戻らないのでしょう。」
「しかし姫さま・・・もとには戻らないとしても、新なものがやってくるのではないでしょうか。去年と違えど、春は来ます。」
「ええ・・・。」
心細いその吐息とも、溜息とも取れるような小さな言葉をもらしておいででした。
「今から聞く話を他言しないと約束できますか?」
「他言してほしくないのですね。わかりました。」
「思いを寄せているお方がいるのです。その方とは文のやり取りをしておりました。桃の花が開いた夜、桃夜に一度だけ逢おう・・・という約束を取り交わしたものの、それを果たせぬまま、ある日突然お別れの文をいただいて・・・ぷつりと途絶えてしまったのです。」
「そうでしたか・・・。それはお辛いことでしょう。」
「その方とは身分も名も明かさないまま、きままな文のやり取りをかれこれ1年しておりました。そして一度だけお会いするという約束を楽しみにしておりましたのに・・・。なぜ急にこのようなことになったのか、理由がわからないのがとにかく辛いのです。ただ、この文が最後ですと・・・・だけ。」
「何か事情が変わったか、あなた様を傷つけたくないとか、心配をかけないための思いやりではないでしょうか?」
「それは、逆に残酷ではありませんか?」
わたくしに詰め寄られても困りますが、姫様のお気持を思うと致し方ないのかもしれません。。
「今申し上げたのは、わたくしの推量でして・・・。事実はわかりません。」
「調べていただけませんか?」
「わたくしが・・・ですか?」
「景時様にしかお話していませんもの・・・。」
「使いの者が居られるでしょうに・・・。」
やんわりとお断り申し上げます。
「田舎へ帰ってしまって・・・。」
しかし、ここまで首を突っ込んでしまったら、後には引けない事もわかります。
しょうがなく・・・その使い走りをすることになりました。
小さな親切心が、やっかいなことを背負い込むことになり本心は当惑して
おりました。
姫様のお話ですと、その文を小さな寺の裏庭の楠(くすのき)の枝に結び文を
していたそうでございます。
楠は裏庭ゆえにあまり人目にもさらされず、その枝葉が雨を防いでもくれました。
目印に桃色の紙縒り(こより)をつけ、相手の方は蝋紙(ろうがみ)を巻いているそうです。
娘様から文を預かり、その相手の方とお会い出来たら、また伺うという約束をいたしました。
帰り道、当てのない約束にお喜びだった様子からして、姫様はきっと何がしかの“希望”が欲しかったのではないかと感じました。
落胆した人はどんな小さなことにでも、希望をつなぎたいのだと・・・。
そんな当てのない約束一つにも、あの姫様はかすかな望みを持ったのでございましょう。
それから毎日、暇を作ってはその裏庭の楠のもとに足を運びました。
境内の木々には意外にもたくさんの文が結んであることから、ここが想い合う二人の通い文の聖地なのかもしれません。
しかし何日経っても、裏庭の楠には、姫様の文の返事はございませんでした。
十日ほどたったある日・・・
わたくしが楠のもとに参りますと、ちょうど一人のお方が木に結んである姫様の文を解いていらっしゃいました。
思い切って話し掛けます。
「あの・・・申し・・・。」
声をかけると、驚きながらもその方は返事をしてくださいました。
「は・・・い、わたしでしょうか・・・。」
「ええ。突然声をおかけして申し訳ありません。少々、お尋ねしたことがあるのですが・・・。」
わたくしが申しますと、
そのお方は、私の言葉をじっと聞いてくださいました。
見た感じは商家の方であるらしく、身なりも着こなしもきちんとされておられました。
「というわけで・・・その娘様は文の内容の合点がいかぬことでたいそうお悩みなのです。あなた様さえよければ、その理由をお聞かせ願えませんか?娘様はとにかく理由が知りたいと申しまして・・・。」
「そうですか。実はわたしも、おかしいと思っておりました。ある日突然、夫婦になりたい・・・好きだ・・・との文をもらい、実は困っていたのです。そんなお方ではないと思っていたのに、まるで別人のような感じがしておりました。」
「娘様は突然、これが最後の文だ・・・と言い渡されたとお嘆きでした。」
「わたしはそのような文を書いた覚えはありません。」
二人の言い分と、文の内容が食い違うことから
「何かがおかしいですね。」
とわたくしが申しますとり、
「ええ、そのようですね。」
とそのお方も不思議がっておられました。
「たしか目印は桃色の紙縒りと蝋紙と聞いておりますが・・・。」
「ええ、そうです。間違いない。でも、あの日の文は何かがおかしかった。何かの拍子に風に飛ばされたり、誰かが結びなおしたか?今思えばの話ですが。」
「そうですか。お互いの内容が食い違っているので、恐らく誰かが手紙を取り違えたのでは?と感じます。」
「ええ、言われてみれば、結び目に少し違和感ありました。いつもより低いところに結んであった気もします。確かにそうかもしれません。あなた様のお話からしても、やはり誰かが取り違えたのでしょう。」
「では、この文をあの方へ届けていただけませんか?これで誤解が解けるといいのですが・・・。」
その方は先ほど結びかけていた蝋紙に包まれた文をわたくしにお渡しになりました。
「かしこまりました。できれば、これからは結ぶ場所を変えたほうがよろしいでしょうな。」
「ええ、そのようですね。しかし、この寺は結び文が多いので探すのは大変ですね。」
「時に人の縁も、絡まったり間違えてしまうこともあるようですね。」
「今回は、あなた様のお陰で誤解が解けそうです。ありがとうございました。
申し遅れましたが・・・。」
その方が名を明かそうとなさったので、
「お互い、名乗るのはよしましょう。世の中には知らなくてもいいこともあります。」
そういって、その方とは一期一会となりました。
後日、文を姫様にお届けいたしましたところ、たいそうお喜びになりました。
その後、お体のほうも持ち直されたと聞き及びましたので、嬉しい限りでございます。
わたくしとしましては、ひょんなことから橋渡しをすることになりましたが、小さな事で絡まってしまった糸が元に戻ってよかったと胸をなでおろしたのでございます。
人間、何かの役にたつ・・・というのはいい気分なものです。
「景時、人の世話を焼いている場合か?」
もみじは時々、親のような言い方をします。
「放っておいてくれ。」
(好き好んで人の色恋に首を突っ込んだのではない!)
と心の中で抵抗を試みます。
「景時も文の一つでも結んでこればよかったものを・・・。」
最近のもみじは小癪(こしゃく)なことを言うので、正直苛立ちます。
後に、その寺が縁結びの寺で、かなりのご利益があるという噂を聞きました。
その境内の木々に結わえられた文の多さを思い出し、あの縁結びの糸たちが絡まったりしないであろうか?と気を揉んでおります。
迷ったり絡まったりせず、想い人の元へたどり着けますようにお祈りいたします。
その夜・・・我が家の桃の花が静かにつぼみを開きました。
こんな夜を、きっと桃夜というのでしょうね。 景時 記
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