第6話 眠りを妨げるもの 《如月の古月…の巻》
冷え込みも厳しい今日この頃でございます。
夜に書き物などしておりますと、手先が冷たくなって無意識に手をこすり合わせてしまいます。
火鉢が恋しく片時も離れたくない如月(きさらぎ)の夜。
そういう寒さが骨身にまで染み込む季節は、人の温もりが恋しくなるのでしょうか?
ある日のこと・・・。
珍しい御方から
「名笙を見に来ませんか?」
というお誘いを受けました。
楽所(がくそ)の要であらせられるその御方は、普段のお姿から想像できないほど気さくにお声を掛けてくださったので、わたくしのほうが恐縮してしまうほどでございます。
お稽古は厳しく、時には棒で叩かれることなど珍しくもございません。
礼節を重んじる方であるゆえに、余計に恐れられている存在でございまして、わたくしなど恐れ多くてお話などしたことなどございませんでした。
その御方は笙を極められているお方で、その御方自らが“名笙”というのですから伺わないわけにはいきません。
笙というものは、17本の細い竹管が丸い器の周りを取り囲むように差し込んであります。
自然の竹が同じような状態である程度決まった本数が揃うことなど珍しく、節の具合などが左右対称になるように組み合わせるなど奇跡に近いと申しましょうか・・・。
その中でも煤竹(すすたけ)という長年囲炉裏の煙に燻された竹が、その光沢や音色などの点で最高級と言われております。
名笙というからには、ぜひとも拝見、拝聴するべきでしょう。
緊張しながらも喜んで伺うことにいたしました。
いつものような鬼のように釣りあがった目、血管の浮き出た額、苦虫を噛み潰したような口元が全く影をひそめ、温和なご老人そのものであったので、わたくしはどうしていいものやら戸惑っておりました。
「今日はお招きありがとうございます。」
と、まずはご挨拶をいたしましたところ、
「さあさあ、そんな堅苦しい挨拶は今日は止めませんか?どうぞ、中へ、中へ・・・」
と、拍子抜けするほどの温和な別人でございました。
しばらくすると奥から立派な布にくるまれた桐の箱をお持ちになりました。
「こちらですか・・・。」
興味津々になり、思わず覗き込んでしまいました。
「さよう・・・。先日、蔵の中を整理しておりましたら、書簡と一緒に出てまいりました。
書簡には、さる高貴な方から代々の家宝である笙を譲り受けた・・・・というようなことが書いてございました。それで、今日それを開けてみようと思い立った訳です。」
「今日・・・?開ける?」
「はい。ぜひとも、景時殿に立ち会っていただこうと・・・。」
「名笙とおっしゃったのでは・・・?」
「はい、書簡によりますと紛れも無い名笙だと。家宝になるくらいですから・・・。」
「はあ・・・。」
(名笙というのは、まだ日の目を見ていないこの箱の中の笙ということか・・・。)
わたくしはとっくに開封されたものかと思っておりました。
まあどういう結果においても、名笙であろうこの箱の中身を目にすることが出来るのならば光栄でございます。
しかし、ありがたい品だけにしまいこんであったのでございましょう。
古臭い布を開くだけでも、咳込んでしまいました。
そして恐る恐る紐を解きますと、さらに箱が現れました。
表には多分“松沢家代々の品”と書かれていたのでございましょう。
ところどころ染みが出来ていて、はっきり読めませんが、文字のそれぞれの一部分が見えます。
二人の興奮が高まるに連れ、手先は慎重になりました。
ふたを開けます。
なかには、やや黄ばんだ布に包まれた何かがあります。
それを開けましたら、管が外れ、少しばかり痛んだ形跡のある笙が出てまいりました。
紛れも無い笙でございます。
しかし、口をつけるなどと言うのは、正直ためらわれます。
布で全体を軽く拭きながら様子を確かめます。
笙は分解できますので、少しずつはずして状態を確認いたします。
「いかがです?」
「う~む・・・。多少手を入れたら持ち直すでしょう。状態は思ったほど悪くは無いようですから少し息を入れてみましょう。」
そう言って吹き込むがやはり満足な音などは出ず、かすれたような風音が気休めのように鳴っただけでございました。
期待したもののそんな結果に落胆した二人は、言葉少なく撫でまわして外をみた後、
「これを何とかせねばなりますまい。こんな状態の笙をまともな笙、名笙といわれるようにするのがわたくしの役目なのでしょうな。」
そうおっしゃるので、わたくしは
「そうでございましょうな。貴殿ならば可能でしょう。」
名器というものは、滅多にございません。
自分にいかにしっくりくる楽器にするかという醍醐味でもあり、また挑戦でもあるわけで、楽器と奏者の長年のせめぎあいなのでございます。
楽器についてのよもや話に花が咲いただけで、この日はおいとますることにいたしました。
今宵も、しんしんと冷え込んでくる部屋で譜をよんでおりました。
火鉢の炭がパチパチっと音を立て、静寂を破ります。
冷たくなった手先をこうして火鉢にあてておりますと、笙のことが思い起こされました。
笙は水気を嫌うもので、演奏の前や最中にも火鉢で炙って水気を飛ばします。
(ああ・・・今日の笙も火鉢で炙ってみればよかったものだなぁ・・・。)
ふと、そんなことが頭をよぎります。
「そんなことをしても無駄じゃ。わしが嫌じゃ!といったらどんなことをしたって音など出るわけが無い。」
「えっ?」
しわがれた声がどこからともなく言いました。
「失礼つかまつりますが・・・。」
恐縮しながら聞いたのには訳があります。
背丈は手のひらほどの、白髪で長い長い白ひげを気持ちよさそうに撫でながら、その小さな人は火鉢の縁に腰掛けておっしゃりました。
その風体が小さいながらにも仙人のように見えたからです。
「わしは笙におるものじゃ。ふぁ~、眠たい、眠たい・・・。」
そういってわたしの手のひらによじ登るとすやすやと肘枕をして寝込んでしまいました。
ちょうど手のひらに乗る大きさなのでございます。
弱りました。
このまま手のひらの中で眠っていただいては困ります。
どうすればよいのか分からず見渡すと、丁度いい筆箱がございましたので、そこに笛を包むための布をひいてお休みいただきました。
「景時、いかがするつもりじゃ?」
もみじは、寝込んでいる白髪の小さい人をわたしの背後から覗き込んで見ています。
「いかがする?と言われても、困ったものだ・・・。」
もみじはわたくしが困るのを、かすかに喜んでいる節が見受けられます。
「この方は早く言えば、わらわと同じものじゃ。今は笙に宿ってはいるが元々は唐の宮廷の楽器に住んでいらした。かれこれ・・・500年くらいは眠っておられたらしく、今日、どうやらその眠りを覚ましてしまったようじゃのう・・・。さあ、いかがする?」
「そのようにいわれても・・・。」
わたくしの元にこれ以上、この手のもの(人間とは言い難い存在)が集まってもらっても困ります。
「帰っていただくしかない・・・か。」
さて、どのようにお戻りいただきましょうか・・・?
楽のお稽古の時に何度か笙のことをお尋ねしようと思いましたが、何かと機会を逃しておりました。
逆に催促するようではいけませんし、それより何よりいつにもまして厳しい表情をしておられたので話し掛けるような雰囲気ではございませんでした。
人間、思い通りに行かないことがあるときは必ず顔にでてしまうものでございます。
その表情から、やはり苦戦しておられるのが感じられました。
わたくしの家では、相変わらず小さい白髪の老人は筆箱の中で寝ておられます。
いつか、誰かに見つかるのでは・・・と心配しておりますと、もみじは
「心配せずとも、景時にしか見えまい。」
と変な安心感を与えます。
とある日、思いがけずその方が訪ねて参られました。
「珍しいお菓子を頂いたので・・・」
これは口実であるというのも分かっておりましたが、そこはあえて黙っております。
「実は・・・笙のことで・・・。」
早速、口火を切られたのでほっといたしました。
「竹を入れ替えても、掃除をしても、温めても、何をしても音が出ないのです。ほとほと嫌気がさしました。」
やはり最近の苛立ちの元は、やはりこの笙にあったようでございます。
「幼きころから笙を手にしておりましたので、多少の経験がございます。
その経験を持ってきても無理でした。最後は意地になり、躍起になっておりましたので、いっそこの手で壊してしまおうかとも思いました。しかし、家宝の名器を壊すなどと言うことは絶対に出来ません。いささか、疲れ果てました。」
精も根も尽き果てたという哀れな感じがいたしました。
最後の頼みと、わたくしの所へわざわざ足を運んでくださったのでしょう。
「わたくしが思いますに・・・この笙は精が抜けているのではないでしょうか。
それも、長いこと暗く静かな蔵の中で眠っていた代物でございます。今日明日に、吹こうなどと思わず、しばらくふたをあけたままお宅の客間などに置いておいてはいかがでしょう。いずれ目覚め、思いがけないときに手に取って息吹を吹き込んでみたらいかがでしょうか?わたくしたちも、眠っていて起き抜けにすぐ笛などふけませぬ。同じことではないでしょうか?」
「・・・はあ、なるほど。それもそうですな。実は目にするのも癪(しゃく)に障るのでまた蔵に戻してしまおうとしたのですが、しばらく我が宅で気に晒してみましょう。」
そういって、いつぞやの桐の箱を取り出されました。
「またいつ拝見できるか分かりませんので、今一度、拝見してもよろしいですか?」
そう申し出ると、その御方は紐を解いて見せてくださいました。
そのとき、わたくしはひらめいたのです。
あの小さい人は、わたくししか見えないのです。
今こそ、あの小さい人をこっそり笙にお返しすることが出きるのではないか?・・・と。
わたくしは拝観の記念にといって、筆箱を取り出し紙にしたためたいと不自然にも申し出ました。
そして、眠ったままの小さい人を何とか笙の箱に戻すことが出来たのでございます。
たいそう、苦しいこじつけではありましたが・・・。
こうして小さい人は笙へもどり、名器は無事に松沢家にもどったのでございます。
季節もゆっくり移り変わろうとしているこの頃、春の訪れを心待ちにしながら、ほっとしたわたくしでございました。
きっと季節が芽吹く頃、あの小さい方もお目覚めになるでしょう。
景時 記
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