第5話 妖しの世界との境目 《睦月の妖月…の巻》
世の中には、真に不思議なことも存在するのでございます。
かく言うわたくしも、その体験者でありますが・・・。
わたくしは、さる楽家に生まれました景時と申すものでございます。
神事などで神楽などを奏ずることもございます。
年が明けまして睦月は何かと神社へと足を運びました。
その時、神主様が大層お悩みの様子でおられたのが気にかかりました。
何かと行事が多くご多忙なのだろうと察しておりましたその帰り際、
「景時様、景時様・・・。」
と呼び止められたのでございます。
「どなたか、陰陽師(おんみょうじ)の方をご存知ありませんでしょうか?」
突飛な申し出に少々驚きまして、
「何事ですか?神主様たるお方が陰陽師とは。」
わたくしも驚きついでに、声を荒げてしまいました。
「神主だからこそ、分かると申しましょうか・・・。私の手には負えないと申しましょうか・・・。」
何だかはっきりしないものの言い方にじれったいような気もいたしましたが、よほどのことであろうと察しがつきました。
神仏並びに、人間でないものの世界を扱う立場の者にとって、そのような勘が働く事もございます。
「存じ上げている方は居られますが・・・。どのような事情かもわからぬままお話は出来かねます。一体何があったのです?」
「では、こちらへ・・・。」
そう言われて、わたくしは神主様の後に続きました。
小さな部屋には四方に清めの四手(しで)があり、その中に一人の娘が居りました。
「この娘は村の娘です。身の危険が及ぶので、今は神の御前にてお守りいただいております。この娘は、“いと”と申しまして、隣の村まで峠を越え、毎日花を売りに行っておりました。峠の帰り道に声がするのだそうです。
どこからともなく聞こえてくる声は、初めは“花は売れたか?”とか“明日も来いや~”などという声でしたが、いとは最初は嫌な感じではなかったといいます。
ある日“お前の名は?”と聞かれて答えてしまってから、段々と恐ろしくなってきたそうです。“どこに住んでる?”とか“もうすぐお前に会いにいく”とか“待っていろ!”などと声もしつこく追って来るような感じがしてきたそうで大層、怯えておりました。
ある日、日暮れ近くになってほとんど日が暮れようとしていた頃、帰り道の恐ろしさもあって小走りで山道を急いでおりますと、またもや声が迫ってくるような感じがして耳を両手で塞ぎ走っておりましたら、背中が急に熱くなったそうでございます。
家に戻ると、背負っていた花籠はずたずたになり、背中の着物も裂け血がにじんでおりました。細い細い獣の爪跡のような傷だったそうでございます。
娘は、ある寺の住職からお札をもらっておりました。そのお札は着物の懐に縫い付けてあったので、幸い正面から襲われることはなかったのだと思うのですが、お札もそれほど効力がないとすれば私の領域でもないような気がするのです。祓うだけなら私もお力を・・・と思うのですが、いとの命がかかっておりますので悠長なことも言っておられず・・・。」
「そうでしたか。それは、さぞ恐ろしかったことでしょう・・・。」
わたくしは神主様がその話を始めた途端、震え出した娘が不憫でなりませんでした。
「神主様、心当たりの陰陽師様にこのお話をお伝えしてみます。しかし引き受て下さるかどうかは分かりかねますので・・・。しばらくお待ちくださいますか?」
「はあ・・・そうしていただけると助かります。しかし、あまり猶予はないとお心に留め置いてくださいますよう・・・。」
「と申しますと?」
「時々、この辺りがとてつもなく臭うのです。獣臭が立ち込めてることを考えると、相手は神社の聖域にも入ってくるほどの者かと・・・。」
その語尾の強さに緊迫したものを感じたしだいでございます。
心当たりの陰陽師様に文をしたため、ざわつく心を落ち着かせようともみじ
を奏でておりました。
「なんじゃ、心ここにあらずじゃな。」
もみじがわたくしの心を見透かして口を挟みました。
「ああ、すまない。昼間の娘の様子が気になってなぁ。」
「景時の領域ではないぞ。気をつけよ。」
(だろうな・・・。)
「陰陽師さまに景時もお札を書いてもらえ。安心じゃ。」
「そうだな・・・。」
わたくしは、何か心に気に掛かると無口になるようでございます。
その夜、恐ろしい夢をみました。
何者かがわたくしの上にどっかりと乗っかり、何やら唸り声を上げておりました。
暗く姿は見えませんが、どっかと乗ったものの爪の感触がちょうど心臓あたりに少し食い込んでいるように感じ、悪寒が全身に走ります。
そして、唸り声とともに“近づくでない・・・さもなければ、お前も喰う”
と警告を発したのでございます。
辺りは神主様の言う、獣臭が立ち込めておりました。
地響きのするような低いうなり声が、がるる・・・と威嚇をはじめ、かっと開かれた口は大きく裂け、その中はざ柘榴(ざくろ)のように赤く、どろりとしたよだれを、わたくしの顔に垂らしていきました。
その匂いたる感触をあえて表現するならば、世の中の全ての穢れ(けがれ)を集めた不快感この上ないものでございました。
翌朝、わたくしの顔はその気味の悪いよだれにまみれていて、そのべっとりと張り付く気持ちの悪さといったら・・・。
それが全くの夢でないという事を知らしめたかったのでございましょう。
早速、父上の知り合いの陰陽師様をお訪ねし、昨夜の悪夢と事のいきさつをお話いたしました。
陰陽師様は神妙なお顔をされておりましたが、
「景時様に、脅しをかけたのでしょうな。陰陽師のところに話が届くのを恐れたのでしょう。とんだとばっちりでございましたな。それではお札をお渡ししましょう。おそらく・・・峠というのは、蜩(ひぐらし)峠のことでしょう。あそこにはたくさんの蜩がおりますのでそう呼ばれております。わたくしが感じますに、その娘は名を聞かれ名を明かしてしまった、その声の問いに答えたということで、その“妖しのもの”に魂を売り渡す密約を結んだことになってしまったのです。それを諦めさせるのは難儀なことですねぇ。」
と、おっしゃいました。
「そうでございましたか・・・。」
諦めながら返事をいたしますと
「しかし、方法がないわけではない。その娘との密約を破棄し、新しく“妖しのもの”と取り引きしなくてはいけない。ただし、正攻法での取り引きではいけません。はっきり申し上げれば、こちらが有利でないと勝てません。」
「方法と言いますと・・・?」
「それは、こちらにもいろいろございますので・・・。」
「それでは、引き受けて頂けると?」
「はい。ただし、何時(いつ)とか誰とか一切の名前などの口外はされませんように・・・。」
「かしこまりました。」
こうして、策を講じることになった次第でございます。
新春の神事も一段落した頃、神主様からお招きを頂きました。
人々もいつのまにか絶えた神社はいつもの荘厳さと静けさを取り戻しております。
神社の中は暖かな慈悲の光があふれておりました。
「景時様、この前の一件ではお力添えいただきましてありがとうございました。」
神主様は安堵の表情でおっしゃいました。
「無事に一件落着したのでございますね。」
何の音沙汰も無いので、少々おどろきましたが・・・。
「えっ、景時様はご存知なかったのですか?」
「ええ。きつく口外するなと言われておりましたし・・・。陰陽師様がどのようになされたかも存じませんでした。」
「ああ、それは申し訳ございませんでした。お力添えを頂いた方を、蚊帳の外にしてしまうとは・・・。」
かえってそのほうが良かったようにも感じます。
「いえ、いえ。怪しのものを扱う陰陽師様の領域のことは、わたくしはわかりませんので・・・。」
「私が思いますに、景時様も全くの他人事とはいっておられませんぞ。」
神主様は、意味深にそうおっしゃられました。
「その後、“いと”はどうなりましたか?」
「はい、今も同じようにあの峠を越え花を売っております。何事もなく・・・。ただ・・・。」
「ただ?」
「“いと”という娘はおりません。今は“さと”という娘でございます。」
「???」
「詳しいことは分かりませんが、“いと”という娘に似せた人形(ひとかた)を妖しのものにくれてやり、生身の“いと”は、別の人間に生まれ変わったという訳らしいです。
何かそのような秘策を講じたらしく・・・。ですから、“いと”はもうおりません。」
「そういうことですか・・・。なるほど。」
わたくしは陰陽師様の“正攻法でない取り引き”という言葉を思い出し、深く納得したのでございます。
「神主様・・・。」
声のするほうを振り向くと、“いと”でない“さと”がおりました。
白い野の花を胸に抱えて走り寄ってまいりまして、会釈をして神主様にその花を手渡しました。
「神様にお供えして下さい。景時様、その節はお世話になりました。」
「ご無事で何よりです。い・・・。」
思わず“いと”と言いそうになって、慌てて口をつぐみました。
“さと”は、微笑んでから立ち去りました。
その後ろ姿を見送りながら、神主様は
「この世には、まだまだ不思議なことがたくさんあるのですな。」
としみじみおっしゃりました。
その時、ふと疑問が湧き
「わたくしは、だいじょうぶでしょうか?」
と問うと、
「もみじ様のことなら、大丈夫です。景時様を守って下さっていますから・・・。」
その言葉を聞いてわたくしは、ほっいたしました。
神主様の笑顔を、信じることにいたしましょう。
景時 記
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