第12話


 列車は十時前に小郡駅に着いた。山陽本線に山口線と宇部線が交差するこの駅にはホームが八番まである。湯田温泉に行くには山口線に乗換えなければならない。山口線は一番ホームから出ていた。照義は長い跨線橋を渡って一番ホームに降りた。ホームには車体を黄色と白に塗り分けた二両編成の列車が停まっていた。車体の側面に「小郡ー益田」という標示があった。乗り込むと七割方の混み様で、中学・高校生から老人まで、様々な年齢層の客が乗っていた。列車が動き出すと、窓の外を線路と平行してかなり大きな川が流れている。長門峡に続く川だろうかと照義は思った。列車は二十分もかからずに湯田温泉駅に着いた。駅前に出ると、高さ五、六メートルはある白狐の像が立っており、「白狐の湯」という表示が添えられていた。照義は喫茶店にでも入って一服しようと思いながら歩き出した。しばらく歩くと道が交差して、角に喫茶店があった。彼はその店に入った。

 時間は十分にあった。後は中原中也記念館を見て、Uターンするだけだった。少し寛ごうと照義は思った。折角旅に出てきているのだ。寛がなければ損だと彼は考えた。女店主にコーヒーを注文すると、照義は雑誌入れから週刊誌を取って読み始めた。それも確かに寛ぎの一つの形ではあった。しかし、興味を動かされた記事を読み終わると、後はペラペラとページを捲るだけになった。ゆったりと読む気にならないのだ。彼の目を引き止めるのはグラビアのヌード写真くらいだった。暗い想念がまた照義を捉えていた。間もなく始まる三学年が自分にとってどういう展開になるのか、それが見通せない不安が彼を心から寛がせないのだった。新三学年では照義はクラス担任を外されていた。それは彼の希望通りだったのだが、教科を教えるクラス、及び時間数が彼の予期した中で最悪の結果となっていた。照義は岩谷のいるクラスを週に九時限も教えることになっていたのだ。彼は岩谷とはもう接触したくなかった。それが岩谷のためでもあると思っていた。修学旅行で岩谷が問題を起こした時、部屋に来た学年主任に、この生徒は来年は持ちたくないと照義は話していた。それは担任を外されたことで叶ったのだが、教科担当の線で岩谷とのつながりが復活したのだ。岩谷のいるクラスを教えることにはなるまいという根拠のない希望的予測ははかなく崩れた。加えて耐え難いことは時間数が九時限ということだった。これは今年の担任クラスの授業時数と同じだった。そのクラスの授業が毎日あるのはもちろんだが、一日に二度授業をしなければならない日が週に三日あるのだ。楽しく教えられるクラスならともかく、毎時間が締め木にかけられるような思いをするクラスに一日に二度も行く苦痛は、今年照義がうんざりするほど味わされたことだった。それが来年度も繰り返されるのだ。週に四、五時間というのならまだしも、と彼は思った。それなら一日に二回ということはなくなる。一日に二度の授業というのは彼にとって何としても避けたいことだった。

 もう一つ、照義を滅入らせていたのは、岩谷のいるクラス自体の問題だった。それはもちろん私文の一般クラスだったが、三年の私文の一般クラスは二年のそれより生徒の平均偏差値はさらに下がっていた。というのは二年時私文の一般クラスで成績の良かった者は三年時は私文の優秀クラスに編入され、逆に優秀クラスで成績の不振だった者は一般クラスに移される仕組みになっていたからだ。一年から二年に上がる際、進路別という名目で偏差値による選別が行われ、二年から三年になる時に更にこうした篩にかけられることで、三年の私文の一般クラスには学年の学力的には下層の生徒が集中することになっていた。しかも岩谷がいるクラス、つまり照義が教えに行くクラスは私文の一般クラスの中でも生活態度面で問題の多い生徒が集められたクラスだった。そのクラスの担任は体育科の若い教師だったが、学年会議で生徒のクラス配属が審議された際、その教師が面倒を見るということで、生活指導上手の掛かりそうな生徒の一定数を彼のクラスに集める措置が取られたのだ。だからそのクラスには岩谷の他にも教師を悩ます生徒がかなりいることが予想されるのだった。

 春休みが近付いた頃の教科会議の席で、来年度の担当クラス及び時間数を表にしたものを照義は教科主任から手渡された。彼はこの件について事前に何の相談も受けなかったし、何も知らされてはいなかった。突然決定を示されたのだ。それは教科主任が年長の教師数人に打診して決めたようだった。教科主任は表を渡しながら、「大変やろうけど、来年は私文の方で頑張ってちょうだい」とニヤニヤしながら言った。照義は「はい」と言って受け取ったが、自分の担当するクラスと時間数を見て胸の内で唸った。俺がクラス担任を外れたということで、苦労の多いところを固めて持ってきたな、と彼は教科主任の腹を読んだ。くそ! とその意図を憎く思ったが、どうする思案も彼には思い浮かばなかった。教科会議の席で、このクラスには苦手の生徒がいるから変えてほしい、などとは教師としてのプライドからなかなか口にできることではない。またそんなことを言い出せるような関係を照義は同じ教科の教師達との間に持っていなかった。むしろ彼は教科内で孤立的な存在だった。八名いる専任教員の中で、彼と気の合う教師は一人しかいなかった。教科の内部には教科主任を含めた年長の教師を上位に置いた序列制のようなものが出来ていた。年長の教師達には日本的な年功序列の慣習に乗っかって、若い教師をあごで使うようなところがあった。一方、若手の教師達にはそれを当然のように受入れ、その支配服従関係を冗談の種にさえしながら迎合する雰囲気があった。転校して後から入ってきた照義はその両者に馴染めないものを感じていた。四十代半ばで年齢的にも彼等の中間にいた照義は両者に対して疎遠だった。仕事上、互いを無視できない位置にありながら、感情的に疎遠な関係が続く場合、その人間関係は隠微な対抗意識を孕むものだ。自分がクラス担任を外れたことを知って、年長の教師達はこいつ楽をしやがったと思ったに違いない、と照義は考えた。それで代償として最も苦労の多いクラスを振当ててきた。それは日頃から俺たちに愛想よくしておかないとこういう目に合うぞという示威でもある。分担表を見ながら照義の胸に浮かんだのはそんな思いだった。だから尚更彼は変更を口にすることができなかった。自分の弱みを見せることになるからだ。

 私文クラスを担当するのは講師を含めた若手の教員というのが定例になっていた。一方、特進や私立の優秀クラスは年長の教師のテリトリーだった。

 一言も異議を挿まなかった照義だが、後になると色々な言い方ができたなと思われた。一人で九時限を持つのではなく、現代文と古文で担当を変えてはどうかとか、そんな言い方なら抵抗なく口にできたかも知れないと思った。しかし言ったところで結果は同じだったろうと思い直された。 二冊目の週刊誌をペラペラと捲り終ると、照義は喫茶店の女店主に中原中也記念館の所在を尋ねた。それは近くにあるようだった。女店主はまだ入館したことがないと言って笑った。

 記念館は喫茶店から数百メートルの距離にあった。しかし入口の前までくると、扉は閉ざされていた。その日は休館日だった。照義は舌打ちして溜息をついた。休館日などはまるで考えていなかった。一日ずれておればと思ってまた舌打ちした。これで今度の旅の目的は消えてしまったことになる。照義は少し考えて長門峡まで足を延ばすことにした。長門峡は中也の詩「冬の長門峡」を読んでから一度訪ねたいと思っていた場所だった。彼は駅に戻り、次の下りの電車に乗った。


   

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