第11話
修学旅行から疲れて帰ってくると、照義は人間ドックに入ることにした。この一年間のストレスで、身体的な変調が起きているような体感があった。いつにしようかと考えたが、学年末考査の期間を選んで欠勤届を出した。休むには授業のないその期間が一番支障が少ないと判断したのだ。しかし、考査の二、三日前になって、担任が考査の初めから二日間不在であることの危険に彼は思い当った。生徒の気分が浮ついて不祥事を起こしやすくなるのだ。だが今更ドックの日取りは変更できなかった。そんなことを考えていたら担任は何もできなくなるとも思った。
人間ドックを終えて学校に出た照義が、二日間代ってクラスを見ていた副担任に挨拶すると、副担任の顔が曇った。前日の日本史の試験時間にカンニング事件が起きていた。ああ、やっぱりと照義は思った。担任の不在がすぐこんな事件につながってしまうところに彼はクラスの不安定さを思った。彼は野中を思い浮かべた。カンニングをした者が野中であれば、二回の処分歴があるので、退学処分も考えられるのだ。カンニングは野中ではなかった。不幸中の幸だと照義は思った。
照義は朝のホームルームで前日のカンニング事件に触れ、野中を意識しながら、絶対にカンニングをしないように強い調子で注意をした。そして、これで大丈夫だろうと思って、一時限目の自分のクラスの試験監督に入った。
それは試験終了まで後五分という時だった。どうやら無事に終るな、と思いながら、照義が教室の後ろから教壇に向かって机間を歩いていくと、すぐ脇の生徒が掌の中に紙片を入れているのが目にとまった。「何だ、それは」と思わず照義は言った。周囲の生徒がその生徒を見た。その生徒は野中だった。照義は頭をガンとやられたような気がした。野中は「何でもありません」と答えると、ノロノロとその紙片を上衣の袖口に押し込んだ。照義はそれで見逃そうかと思った。〈そうか〉と言ってそのまま歩き去れば、それで済むかとも思った。しかし周囲の生徒が既に見ていた。見逃せば後で問題になるに違いない。そう思った照義は肚を決めて、「何か、その袖口に入れたのは」と言った。野中は黙っていた。野中も必死であるに違いなかった。照義は酷な気もしたが、今更引き下がれなかった。「出せ」と手を差し出した。野中はなおも黙って動かなかった。「いいから出せ」、照義が更に言うと、野中は怒ったように口先を尖らせて紙片を手渡した。そして机に突っ伏した。 試験終了後、野中を職員室に伴いながら、事件をこのまま自分だけの事に留めて表に出すまいか、と照義はなお迷っていた。しかし、カンニングをしていながら処分を受けないということは、目撃しているクラスの生徒に対して説明のつかないことだった。また、そんなことをしても野中のためにはなるまいと思われた。自分がした事の報いはきちんと受けさせた方がよいと思われた。問題を正直に出して、その代りに処分を決める職員会議では弁護してやろうと照義は心を決めた。
一、二学期の成績が悪く、欠点の教科が幾つかあった野中は、何とか進級しようとカンニングを思いついたようだった。照義が見つけた時は、これからカンニングを始めようとしていた時だったらしく、野中は答案にはまだなにも書き込んではいなかったと言った。
職員会議で、照義は野中の思慮に欠ける稚さを強調して、もう一度やり直す機会を与えてくれるよう求めた。野中を知っている二、三の教師からも弁護論が出た。しかし、退学という大勢は動かなかった。決定的な理由は、前日にもカンニング事件があり、朝のホームルームで担任から注意を受けた直後に起きた、ということだった。
人間ドックの結果、胃は精密検査が必要とされ、照義は胃カメラを呑んだ。十二指腸潰瘍が発見された。
こうして最後まで照義を悩ませた一年間が終ったのだった。
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