第8話


 年が明け、三学期に入ると、修学旅行が迫ってきた。照義の勤める学校ではこの十年来、修学旅行はスキー研修ということで、四泊五日の日程で長野に出掛けていた。照義にとって修学旅行は気の重い仕事だった。彼は今まで五回ほど旅行の引率をしていたが、毎回何かの事件が起きた。盗難や万引き、喫煙やケガなのだ。心理的な緊張が続く上に、不愉快な思いを覚悟しなければならないのが修学旅行だった。

 三学期が始まって一週間ほど経った頃から、村上という生徒が欠席を続けるようになった。二学期の終り頃から休みが増えていたのだが、風邪とか体調不良という理由だったので、照義は気にもかけず、そのまま冬休みに入ったのだった。冬休み中の課外授業も欠席が多かったが、歯医者に通院しているという理由が通告されており、本当の事情は隠蔽されていた。休みが二、三日続いた頃、家庭に電話を入れた照義に母親が村上の不登校傾向を告げたのだった。母親は、本人ははっきりしたことは言わないが、どうもクラスメートとの人間関係に悩んでいるようだと言った。照義はいじめの線を尋ねたが、それはないようだった。

 数日後、両親が揃って学校に面談に来た。その日も本人の欠席は続いていた。背広姿の父親は無口だったが、母親はよく話した。母親の話によると、村上は中学時代までクラスの人気者で、リーダー格だったらしい。それは無口でおとなしい生徒という現在の彼の印象と異なっていて、照義には意外だった。中学生の頃は周囲を気にかけず、好きな事をしていても友人は集ってきていた。ところが高校生になるとそうはいかなくなった。自分の好きなことをしていると孤立することになるようだった。どうすればクラスメートとうまく付き合っていけるか、ということに彼の悩みはあるようだった。かってクラスのリーダー的存在であったという理想の自己像と、現実の孤独な自分の姿とのギャップが彼を心理的に追い詰めているようだった。現在のような自分ではありたくないし、自分として認めたくない。と言って、周囲のクラスメートに対してどのように話しかけ、どう振る舞えばいいのか、彼にはわからないのだ。村上の欠席には修学旅行も大きな影を落していた。クラスメートの中での自分の振る舞い方が分からない彼には、四泊五日の集団生活は苦痛なのだ。欠席はその重圧からの逃避という面も大きかった。努めて明るい調子で話していた母親だったが、このまま学校をやめることになるのかと言った時には涙ぐんだ。照義は村上の抱えている問題を成長過程における節目に当るものと考えた。成長の一つのステップであり、これを乗り越えることで彼は大人に近づくのだと話した。そういう意味ではむしろ喜ぶべきことかも知れないと両親を励ました。そして、本人とゆっくり話をしたいので、明日は学校に来るように伝えてほしいと言った。少し明るさを取り戻した母親は、「本人は自分がこんな理由で休んでいることもクラスの人に知られたくないようです」と、少し笑いを浮かべて言った。自分の現状を否認したい村上の気持がそこにも窺われた。

 翌日も村上は欠席した。家に電話を入れると本人が出たので、照義はゆっくり話をしたいから出てくるように言った。君の抱えている悩みは成長するための大切な悩みなのだという話をすると、返事の声に少し明るさが加わったようだった。二、三日後、村上は約十日ぶりに登校した。照義は応接室で三十分ほど彼と話をした。自分と合わない人間とも話ができるようになること、しかし自分を失ってまで相手に合わせることはないこと、自分に完全を求めないことなど、照義は自分の経験も踏まえて、努めて気楽な調子で語った。表情に乏しい村上だったが、それでも時折微笑を見せるようになった。

 その後村上は休まなくなった。しかし、修学旅行の参加については保留のままだった。


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