第51話 見つかってしまう話



「ゴメンナサイね、無理に着いてきちゃって」


ミラベティからハミルが受け取った紙袋を届ける役目を負ったのは、コーディとハミルだった。それについていく形でシグも付き添うことになったのは、やはり彼がきちんとタングラスケルドの領主で、その上で父親の失態を恥じているからなのだろう。


「構いませんよ。シャル君も街に入らなければそれでいいみたいなので、多分怒ったりもしないと思うんです」

「そうなの?それならいいんだけど……」

「良いんだよ。あいつ結構そういうの判定がばがばだから。」


そう言って、コーディは街並みを眺めながら足を前に進めた。昨日来た時は午後だったが、午前の爽やかな風の突き抜ける街並みも中々に良い物だ。土地だけはあるのか建物の一つ一つが広々のびのびとしていて、街にいる人たちも朗らかな表情である。


「トルガストとは真逆だよなあ」

「そう、ですね。あそこは居住区がお城に付け足されてるような形ですから――狭苦しいわけではありませんが、こっちは風を感じます」

「城塞都市ねえ、アタシ達も知識でしか知らないから、例の魔法陣が出来たら今度訪問させてもらうわね」


きっとちょっとした小旅行みたいな新鮮な気分になれそうだ。微笑んで街の人たちに手を振り、シグは未知の街並みを思い浮かべた。


「お城、一本道で街門と繋がってるんだな」

「ええ。この街の大通りでメインストリート。一年に一度の大収穫祭と、週に一度の市場祭、それに毎日出てる店で、朝昼晩365日、いつ来ても賑やかなのがウリよ」

「店の入り口が広いんですね、出店みたいになってる」

「そうなの。何所も入口を広く開けててね、風通しが良くて店の中も良く見えるのよォ」


楽しげにプレゼンをして、シグは出店にコインを投げてフルーツの串刺しを四本買った。そのうちの二つをコーディとハミルに寄越し、残りの二つのうち一つに噛り付いた。それは薄緑色がかかった半透明の白っぽい果物で、甘くて酸っぱくて瑞々しい。噛り付くと滑らかなアロエの様な果肉が舌をぬるりと撫でた。


「あ、ありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして。この街では一日に一回は皆こうやってどこかで食事を買うのよ。本当は観光客を呼び込みたいんだけど、ちょっと難しいでしょ」

「まあそうだろうなあ。……これ、何だ?」

「フィストヴィティスっていうの。こう見えてもブドウの一種よ」

「へええ!?これが!?」

「これが」


切り分けられたそれは、形を想像すると赤子の拳を優に超えるだろう大きさだ。


「あれが収穫時の大きさ。大きいでしょ」


籠に乗ったフィストヴィティスとやらは、隣に同じように積まれた桃やリンゴと同程度の大きさの粒である。大きさもあってか販売単位は一粒ずつの様だが、リンゴや桃と比べるとやや安価だ。


「本当にちゃんとブドウでね、房になるのよ。だから一回で沢山とれて、その上気候の相性がいいのか、ほぼ毎日どこかで採れるの。この街では果物と言うと大体これ」

「へええ……ブドウってことは酒とか作るのか?」

「ドライフルーツにするのには向いてないけど、お酒は造ってるわ。皮が薄皮のオレンジくらいに厚いから、それを肥料にしたり砂糖漬けにしたりもしてる。この辺はまあ地方料理ね」


アタシたちは乾燥させたのを紅茶に混ぜるのが好みね。そう言いながら、シグはがぶりと果物に噛り付いた。齧った所からだくだくと果汁が流れ出て口元が汚れる。じゅるりと行儀悪く水音を立ててそれを啜りあげると、満足げに口元を拭う。


「タングラスケルドは湿原が殆どでしょう。ご先祖様たちがここに移り住んだ時、一番に植えたのがこのブドウなの。一般的には水が多いと良いブドウが出来ないと言われてるんだけど、この品種だけは水が過分に無いと育たなかったから」

「水が沢山必要な品種ってことですか?」

「そ。一粒にこれだけ水分を蓄えるからね、水の潤沢な場所でしか育たないの。昔は『水涸らしの実』なんて不名誉な呼び方もあったそうよ」


それはまあ、緩い地盤には特別馴染むだろう。きっとこの果実の木は、この街を発展させるのに役立ってくれたに違いない。


「これをね、ジャムにしたり、お酒にしたり。加工し始めたのがこの街の最初の産業だったわ。僻地だからね、そのまま流通させるには、すぐ腐っちゃったの」

「きっと御先達の方々は苦労されたんでしょうね……」


ハミルがしみじみと頷いた頃、丁度見えた街門におっとコーディが声を漏らした。


「こういう話しながら歩いてると、結構短く感じるんだなあ」

「でっしょォ?この街は歩きながら食べたり喋ったりするのがマナーなのよォ。余所じゃあお行儀が悪いけどね。……それで?街門前の宿にいるって言う方は?」

「お宿の中でじっとしてるような可愛い性格してるような奴じゃねぇし、ちょっと周り見てみるか?」


コーディとハミルは頷き合い三人で連れ立って宿の周りを歩いていると、森の方を見たシグの足が止まった。


「……あ…………」

「あいつだよ」


爽やかな風が吹き抜ける中、その手には剣ではなく斧が握られていた。

鋭く心地よい音を立てて叩っ斬られた薪が跳ね、横に飛びのく様に避けて行くのを眺めもせずに新しい木が置かれ、秒の待ち時間も無く再び斧が落ちて行く。


「人間だれしも特技ってあるんだなあ」


小山を築く薪の中で金の髪が跳ねるのを眺めて、コーディが感心したような呟きを漏らした。薪を切ると簡単に言うが、中々に重労働だしコツがいるのだ。下手に角度を誤れば薪は二つに折れず中途半端に斧を止めてしまうし、大きさだってまちまちになってしまう。

だから普通はこの辺にと最初に斧を軽く食い込ませ、それから薪ごと叩きつけて割るのだ。一般的な薪割はそう言う物なのだが、シャルはその一手間も無くサイズの揃った薪を量産している。


「あの、あの人って」


シグが酷く驚いた様子でシャルをじいと凝視しているのが不思議なのか、シャルは長い前髪越しに透けて見える瑠璃色の瞳を数回、ゆっくりと瞬いた。


「……あれ、コーディ、ハミル。それに、知らない誰かも。おはよう」

「お、おはようございます」

「どうしたんだ?出発はまだだろう」

「まだですが……シャルさんは、何を?」

「薪を切ってる」


見ればわかりますが。ハミルはそう言いたいのをぐっとこらえて、ミラベティから預かってきた紙袋を差し出した。


「此処のおじいさんとおばあさんには少し大変そうだったから、切れるだけ切ってるんだ。冷える時は冷えるから、薪はあればあるほどいい」

「ああ、そりゃあ良い事だわな」

「――そうだ、シャルさん。こちらの方ですが、この街の」


まじまじとシャルを上から下まで幾度も繰り返し眺めていたシグは、大股歩きで一気に距離を詰めると、シャルの両肩を掴んだ。ひょっ?頭のてっぺん、旋毛の真ん中あたりから出たみたいな悲鳴を上げたシャルは、しかし自分に害がなさそうだと判断したというか――手を上げてはいけない人だと本能で察したのか、手にしていた斧を慌てて地面に落とした。賢明な判断である。


「ねえ、ちょっと、あんた、その顔」


シグの頬に汗が伝った。酷く取り乱した顔をしたものだから、シャルは大人しくその手に捕まったまま彼を見上げた。シャルからすれば知らない人だというのに構わずシグはシャルを捕まえていた手を放して、今度は顔を両手で掴んだ。

いつの間に落としたのか、先ほどまでシグが立っていた所に果物が落ちているのが見えた。流石にこの湿原に落ちた物は口には出来まい。


「ぴ、ぎゃ、うぇ、う゛えぇええ」

「し、シグ様!!」

「ちょ、待て待て待て待て流石に待て!!」


頬や顎、目元や目蓋。首から上を思い切り捏ね繰り回されてむいむいと奇声を上げ始めたシャルに、流石に友人二人がシグを止めようとその腕に左右からとりついた。


「え、ちょっとまってちからつよいんだけど」

「こっちもゴリラかよ!!」


両腕にハミルとコーディをぶら下げたシグは、それでも真剣な顔をしてシャルの顔を捏ね回し、それから最後に片手で顔にかかっていた前髪もぼさぼさのざんばら髪もいっしょくたにわしわしと掻き上げ、抑え込んだ。もう片方の手は顎と頬を首元に固定するように抑え込み、今までの楽しげな表情を忘れ去ったかのように無表情でその顔を見つめた。


「……シグ、様?」

「どうしたんだよ、本当に……」


どうやら自分の顔を見たかったのかと気づいたシャルは、少しばかり苦しそうにしながらも大人しくシグの腕にぶら下げられることにしたらしい。

パッと見は両腕に一人ずつ少年をぶら下げた男が少年を一人顔を掴んでぶら下げているなんて言う事案も犯罪も何もないような体制ではあるが、張本人であるシグは意にも返さず手の中の子供の顔を食い入るように見つめていた。穴が開くほどと言う慣用句もあるが、それが本当に起こり得るならシャルの顔には五つくらいは物理的に穴が開いているくらいだろうか。


「…………」


何かを言おうとして、いや、言ったのだが、音にもならなかった。口の中が乾いていたらしい。

シグの手から力が抜けて行き、髪を強く抑え込んでいた手も顔を掴んでいた手も力を失っていき、撫でる様に少しだけ脱力した。

その変化にコーディとハミルはピクリとも動こうとしないシグの腕からそっと離れ、様子を見守ることにした。シャルに乱暴をするようなつもりはないらしいことがなんとなくわかったのだ。


「…………トリシラ?」


誰かの名前を呼ぶその声は、嫌に掠れていた。




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