第50話 朝食を食べる話



「ごめんなさいねェ、アタシ達ってば有言実行できないで!」


朝食の席に酷く疲れた顔をして出てきたマリオン……男の方なのでシグマリオンか。どうにも話し合いは難航しているらしい。その為、結論は彼曰く『珍しい事に』保留となってしまったそうだ。

昨日のディナーに使われていた部屋ではなく、風が心地よく吹き抜けるテラスに設けられたテーブルセットは華奢で美しい。


「一晩かけてメリットデメリット擦り合わせて大喧嘩しちゃったのよ」

「ひ、一晩中?」

「そーよう、一晩中、ね」


昨日よりは落ち着いた表情ながらやはりその口調は軽く、シグはげっそりと悪い顔色のまま困った様子で頬を抑えた。


「そういえば、顔を出す時間などの取り決めがあるのかな?」

「んん?――ああ。切り替えは自由にできるけど、基本的に午前中がアタシ。午後がエマよ。味覚は共有しているし意識も共有してる。眠ってる間は話し合いとかも出来るけど、そうすると眠ったわけではないみたい。ちゃんと眠ってるのに、徹夜したみたいな感じ」

「ふへぇ、大変ですねえ……」

「そーよ!大変なのよ!……ま、なんてことないんだけどねえ……」


元気な言い回しをする癖に気分悪げに額に手を置くシグの正面に、シルヴ達に出されたものと違うものが出てくる。寝不足の主人を慮ったのか、大きなボウルに入れられた豆を煮込んだスープとドライフルーツ、それに湯気を立てる色の濃いコーヒーと、ミントが多めのヨーグルトだった。


「デメリットはまあ、普段の生活環境が変わることね。今まで二人で一つを貫くしかなかったから、悪い事でもないとか言われそうだけど……調子が狂うの、苦手なのよねえ」

「あー、そりゃあ気持ちは分かる」


皿の上に乗った分厚いベーコンにナイフを差し込み、コーディは憐れむような顔をした。コーディも同じ部類なのでわかるのだ。自分の調子を崩して良いのは自分だけだし、習慣を変えさせられるのは腹が立つものだ。自分で決めたのなら良いのだが、例え自分にどれだけプラスになっても許せないことだってあったりする。


「メリットは、まあ、これも生活環境が変わること。結局分け合ってきたわけだから、気持ちとしてはおやつも半分こ、部屋も半分こ、洋服代も半分こ。好き勝手なんて生まれてこの方やったことないわ」

「メリットがデメリットになるわけか……」

「アタシとしてはメリットがでかいと思うのよね」


意外と感触の良い返事に、シメオンがおや、と片目を眇めた。


「これから先を考えると、兄弟が一生一緒に居るなんてそんなわけないじゃない?いずれはきっと恋愛するかもしれないし、この家の……セラフェン家のこれからを考えると結婚は最低でもしないといけなくなってくると思うのよ」


恋愛は『かもしれない』で結婚は『しないといけない』と言う言葉選びにヒューがうえっと紅茶を器官に運びかけて変な声を上げた。

しかしまあ、貴族としては結婚はほぼほぼ義務である。夫婦としてやっていけば、情は後からついてくる事だってあるし、そこはまあ多少の努力である。


「アタシ達ってば貴族なのよねェ。だから結婚は必須として、そうするとどっちが、誰と結婚するの?って問題になるでしょ」

「生々しい話そう言う話にはなるねえ」

「そォなの。大体戸籍が2人で一つなんだもの、義務である結婚を果たすのに問題が起きない様にするにはどうすればいいのか考える手間を考えたら、さっさとオワカレしといた方が良いとは思うのよねェ」


双子と言っても、肉体を共有しているとしても、結局は別人なのだ。この二人のマリオンが別の人間に恋をする可能性は明らかに高いわけだし、肉体的性別が違うのであれば、そしてその性別が表に出ている人格と同等であるのなら、尚の事別の人間に恋をすることはごく普通の話である。


「まあでも、アタシも『オワカレ』に気が進まないのもあるってわけではあるしねえ……あっちも『オワカレ』の必要性は分かってるから、お互いに譲歩し合っちゃってるところはあるのよ」

「エマは『オワカレ』したくないけどその必要性はわかってる、アンタはした方がいいと思ってるけどエマの気持ちがわかるから強く言えない……ってトコか」

「その通りよォ。まさに会議は踊ってたわ」


寝不足の目元を擦り、シグはコーヒーを一口啜ってその苦さにぎゅっと顔を縮込めた。


「うわニガ……目が覚めるわ」

「それはようございました」

「今日のコーヒーはハーブじゃないのね。ちゃんと苦いわ」

「行商の方が生の豆をもってきてくださいまして、本日はそれを焙煎して挽き淹れたのですが……いかがでしょうか。寝不足のご様子でしたので、濃く淹れたのですが」

「うん、素晴らしいわ。美味しいわねェ」


甘いチョコレートの様な香りと芳しいフルーツの様な香りが混ざったような、甘いコーヒーの香りが口元に広がる。味気はバランスがとれており、どちらかと言うと苦みの強い物らしい。酸味はどちらかと言うと強く、甘みは薄い。

きちんと真面目に淹れたコーヒーはやはり美味しいのだが、タングラスケルドでは生育環境が整わないために中々にお目にかかれない物だ。だから行商が大量に仕入れてきたものを買い占めて保存魔法をかけた容器で管理するのだが、結構なお値段がするのだ。食道楽はマリオンの共通の趣味である。


「――そうだ、シグ。お願いが一つあるのだけど」

「お願い?モノに寄るけど……なァに、殿下?」

「このお城の周辺で、何か描き残しても良い庭とか建物とかってあるかな」

「……なァにそれ?」


きょとんとしたシグに、ああ、とシメオンがスクランブルエッグを口に運んでいたフォークを下に置いてシルヴを見た。


「ひょっとして、エデルヴェスに描いていた魔法陣ですか?」

「そう。とてもいい所だし、出来るなら気軽に来れる様にしたいなって思ってね」

「魔法陣?」


珈琲を一杯飲みほしたシグがスープ皿に手を伸ばしながら首を傾げた。コーヒーカップがさっと回収されていって、横のワゴンでパーラーメイドがティーポッドに水を入れた物に魔法をかけ始めるのが見えた。


「私も詳しい理解は出来ていないのですが――空間転移、でしたか」

「ええ。私が考案した物でして、これを描いた所であれば自由に出入りできる便利な物なのです」

「へェえ!便利じゃない!」


スープを食べる手を止め、シグは勢いよくヴィルジュを見た。


「でしょう。今は試験段階ですが、理論はきちんと構成しましたし、物を使った試験も問題なし。既に人間が利用する実験段階でして、これから一月は油断できませんが――」

「これが出来たらとんでもなく便利になるわね。此処みたいに立地の悪い、でも価値のある場所に焦点が当たるようになる。素晴らしいわ!」


少しばかり自慢げに開設したヴィルジュを、シグは手放しで褒め称えた。

タングラスケルドの良さと立地の悪さを日々痛感する彼には、中々に耳寄りな情報だったのだ。


「試験段階ではありますし大っぴらに利用するにはまだ難しいのですが、とりあえず今の段階で有ればトルガストの聖魔戦争戦線に利用できるくらいの物ではあるかと思いまして。出来れば室内に描かせていただきたいのです」

「ええ、ええ!なんならうちのロビーに書いていただいても結構よ!エマも勿論構わないと言ってるわ!」

「ろ、ロビーに?いいんですか?」

「トルガストとは……殿下とは仲良くなれそうな気がするんだもの、気軽に来ていただいて結構よ。精一杯お持て成しするわ!」

「いや、しかしここは所謂個人邸宅だし……」

「あら、そーお?」


諸手を上げて歓迎されて、流石にヴィルジュも一瞬たじろいだ。ちょっとばかり使っていない小屋があれば、そこでいいのだが。


「――では、使用人小屋は如何でしょうか。正面玄関前の庭園の横に御座いますので、立地は宜しいかと」

「え……い、いいの?」

「ええ、勿論ようございます」


ミラベティが微笑んで口を挟んできて、一瞬シグは驚いた顔をした。まるでそんな提案がされるとは思っても見なかったようで、数瞬同様に目を瞬く。


「でも、片付けは」

「とうの昔に終わらせております。……ですが埃は溜まっているかもしれませんので、お掃除と建物の補強に一日ほどお時間を頂きたいのですが」

「構わないよ。もう少しゆっくりしていきたいし、むしろもっと時間がかかる物と思っていたよ」

「ありがとうございます」


そう言って、ミラベティは包みを取り出した。やや小さな紙袋からは甘い香りが漂ってくる。


「こちらは昨夜お話頂きました護衛の方への手配で御座います。こちらでお届けを手配しておきましょうか?」

「いや、それは私たちが持っていくよ。様子見もしたいしね」

「建物の掃除も、何なら魔法陣ついでに俺らがやっとくぜ?」

「いえ、それは……」

「ごめんなさァい、お気持ちは嬉しいのだけど、それはちょっとご遠慮お願いしたいワ」


何でも他人にまかせっきりが性に合わないヒューの申し出に珍しく御断りを入れて、シグは困ったような顔をした。愛想でも遠慮でもないらしく、心底の御断りの様だ。


「今言った建物って、昔ミラベティが旦那さんと住んでいたトコなの。今はウチの侍従たちと同じようにうちの城に住んでもらってるからうちの預かりなんだけどね、こういうのってやっぱり思い出って物があるでしょ?」

「ああ……そいつァ少々不作法だったな、失礼した」

「……いえ。お気持ちは本当にありがたいのですが、掃除と言っても多少の埃を払うだけで御座います。元々小まめに掃除はしておりましたので」


なんとなく浮かない表情でそう言うと、ミラベティは紙袋を誰に渡すか一瞬迷った顔をした。それに気づいてハミルがカトラリーを置いて受け取った。


「――うわぁ、すごくいい匂い」

「昨日の話題に上がっていた塩バター菓子が入っておりますので」

「こんな良い匂いがするんだ……」

「残りでよろしければ、少々余りが御座います。如何でしょうか」

「良いんですか?」


ミラベティは微笑ましげな顔をして頷くと、給仕用のワゴンに乗っていたバスケットを差し出した。バターの芳しい香りにハミルが思わずうっとりと溜息を吐き、コーディも鼻をひくつかせた。


「良い匂いですねえ……。お菓子と聞いていましたが、デニッシュ……みたいですね」

「本当に花みたいな形してんだな。このきらきらしたのは……もしかして砂糖か?」

「ええ。この辺りでは砂糖の原料が豊富にとれますので、手軽な栄養源なのです」


薔薇の花の形をした手のひら大のデニッシュを一つとり、ハミルが大事そうに両手に持つ。デニッシュと言うには可愛らしいサイズだが、その見た目とサイズに合わない重さだ。

ずっしりとしているのは、バターと砂糖の量が多いからだろうか。


「ねえねえミラベティ、アタシの分は無いの?」

「まあ、ご主人さま。寝不足のお腹にコレは重たくは御座いませんか?」

「重たいかもしれないけどォ……でもでも、こういうのってベツバラって言うでしょ?」

「仕方のないお方ですねえ。一個だけですよ?」


勿体ぶるようなことを言いながら、ミラベティは小さめの皿に一つ菓子を落とした。まるで母と子の様なやり取りである。


「……まるで親子みたいなやり取りですね」

「そーお?そう見える?だったら嬉しいわ」


シメオンの言葉に、マリオンはにっこりと子供っぽく笑った。


「アタシたち、ちっさい頃から良くしてもらってたのよ。お母様がこの家に嫁がされた、貴族の生活に馴染が無い小娘だった頃から。行儀作法とか、しきたりとか、そう言うのを教えてくれたのヨ」

「あのころのエリッサ様は本当にお可哀想で――放っておけなかったのです」

「アタシたち、母子二代にわたってお世話になってるの。だから、親……と言うか、アタシたちにとってのおばあさまみたいなものなのよ」


そう言って微笑むシグの顔は、どこか寂しそうだった。




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