第49話 バター菓子の話



懸念することも片付き、生野菜も美味しくいただき、いい具合に腹がこなされて人息を吐いた時に出てきたのが、最後のデザートだった。

手の平大の真っ白な円柱状のケーキに、黒のソースが交差してかかっている。


「相変わらず、うちの料理人のお菓子は可愛いね」

「勿体無いお言葉です」


エマの褒め言葉を受け取ったのは、料理の全ての肯定を終えて給仕の手伝いに回っていた料理人だった。


「今日のケーキはどんなものなのかな、解説してくれないかい?」

「は。今回はチーズクリームのケーキで御座います」


料理人がはきはきと答える。


「シャンティにクリームチーズを入れて作ったチーズクリームで、ベリーのソースを包んでおります。下地は砕いたナッツを混ぜ込んだタルト生地、ソースにはビターチョコレートを使っております!」

「聞けば聞くほど美味しいね!本当に美味しいよ!流石だね、料理長てば!」


滑らかで舌触りのつるつるとしたクリームの中から酸味の強いベリーソースが出てきて、下地になっていたタルト生地の芳しいナッツの香りと混ざり合って格段に美味い。

ソースをつけると苦みが合わさって甘みが引き立ち、思わずと言ったため息がついた。


「ふふふふふ、私はこういうものがあるからここが好きなんだ」

「ちょっと気持ちは分かります」


エマが得意げに胸を張り、ハミルも何度も頷いた。口にする物なんでも美味いのだ。正直、簡単に立ち寄れるような場所なら入り浸ってしまうかもしれないくらいには。


「タングラスケルドは食い意地が張った地域だからね。……涼しい気温は、これから寒くなる兆しだと体が判断するらしくてね。体を保温に適したものにしようと……まあ、いうなれば『食って脂肪を付けようとする』らしいんだ」

「ダラムも似たような理由で中々食文化は発達していますが、タングラスケルドは直産地でもありますからね。私もここに来るとどうしても食べ過ぎてしまって……」

「そうかいそうかい、嬉しい悲鳴だねえ」

「お嬢様が毎度嘆いておいでですよ。タングラスケルドは嫌いじゃないけど、ここに来るとキロで体重が変わってしまう、と」

「デリカシー」


コーディが半目で窘めると、シメオンがおっとと口を塞いだ。どうしてこんなデリカシーの軽薄な男にあの多感なお年頃のお嬢さんが惹かれているのか判断がつかなかった。


「でも、少し残念です」

「残念?――何か、不備があったかな?」

「えっ?あっ、いえ!そう言うわけではないんですが!」


小さな呟きに疑問を返されて一瞬たじろいだが、ハミルはケーキを一口口に運んで苦い顔をした。


「――連れがもう一人、護衛に来ているんです」

「うん?何か、問題があったのかな」

「ああ、なんでも彼はこの街に良い思い出が無いらしくてね」


ハミルの言葉を継いで、シルヴが続けた。下手な説明では失礼に及ぶと判断したのだろう、自然な顔をしてハミルが続けようとするのを引き取った。


「昔何かあったそうで。この街に立ち入りたくないと言っていたし、彼に頼んだのは護衛だったから、門前に宿があるだろう?あそこで待ってもらっているんだよ」

「それは……不憫な事だね。何か渡せるように包ませた方がいいかな。……ミラベティ、お願いしてもいいかい?」

「仰せのままに」


ミラベティがきっちりと頭を垂れ、薄く微笑んだ。


「――そうだ、どうせ色々包むなら、ねえ、ミラベティの得意なバターのお菓子を入れて差し上げたらどうかな。勿論、手間でなければだけど」

「宜しいので?」

「君の作るあれ、私は好きだよ。――確かに高級な味はしないかもしれないけど、それ以上に大切な味がするんだ」


ニッコリと微笑んで、エマはうふふと笑い声を漏らした。青年の様な立ち居振る舞いをしているにしては笑い方はきちんと女性らしい。


「貴方たちにも是非、ご賞味いただきたいんだ。小麦粉が少なくて、バターと砂糖がどっさり入ったケーキみたいなのなんだけれど、とても甘くておいしいんだよ」

「――と、申されましても、貧困していた頃の、苦し紛れのレシピですが……」

「それでも頑張って作ったんだろう?親の愛情を感じる味だと思うけど」

「…………勿体無いお言葉です」


ミラベティは物言いたげに幾度か口を開き、しかし喘ぐようにそれだけを口にして再び頭を垂れた。

まるでそれ以上は何も言ってくれるなと懇願するような苦しそうな様子に、エマは一瞬息を呑んでテーブルに向き直った。


「ええと、その護衛殿。何か嫌い物などはおありかな?」

「何を差し出しても口に入れるから、食べられるものなら何でも喜ぶと思う」

「乳幼児かな?」

「大体そんな感じだな」


比較的その通りの疑問にコーディが沈痛な面持ちで頷いた。正直彼はシャルに対してとんでもなく塩辛い扱いをするのが常である。それでもなんだかんだ仲がいいので、まあそれなりに上手くいっているのだが。


「でも、其れなら尚の事ミラベティのバター菓子はおすすめさ。日持ちもするし、腹に溜まるし、何より甘くておいしいからね」

「そんなに?」

「そりゃあもう!私も一番のご馳走だと思うんだもの!」

「あまり煽てすぎてしまいますと、天に昇ってしまいます」


頬を染め、ミラベティはまあまあ、と意味の無い呻き声を上げた。


「あのお菓子は、古くはこの辺りで小麦が取れなかったために小麦粉の値段が吊り上った頃に出来た、郷土料理の一つですよ」

「そうだったのかい?初耳だな」

「代わりにミルク壺がこの辺りでは必須になった頃でして。乳製品が沢山あったのです。それで、保存も兼ねて塩バターが普及して」


ミルク壺。何十年も昔に大流行りして、現在では一般家庭にも普及している魔法道具だ。

魔法技師の考案した道具の中でも高い評価を受けるこの技法は、壺の中に文様を描いてミルクが湧き出る様にしたという物だで、ミルク以外にも水なんかも一般家庭には必需品となっている。


「塩バターを使うんですか?」

「ああ。この周辺の食材だけで調理していると、どうしても塩分が不足しがちでね。だからバターを用いる料理では、塩を練り込んで保存した塩バターを基本に使うことが多いんだ」

「ああ、つまりタングラスケルドでは、バターと言うと加塩バターなんですね?」

「そうだとも。流通の多少発展した今はそう言ったことも少ないけれど、郷土柄と言う奴かな」


自慢げに言って、エマはふふふと満足そうに笑った。


「砂糖芋や砂糖ベリーからの生成で砂糖の値段も低く、これらを合わせて効率的に塩分と栄養を口にできる様に作られたのが、塩バター菓子の原型なのです」

「へえ、生活の知恵って奴か」

「昔からこの辺りは食欲に忠実で御座いましたから」


そう言うと、ミラベティは何かを思い出すように遠い目をして窓から外を見た。

もしかして、その塩バター菓子に何か思い出でもあるのだろうか。


「私が幼い頃……経済格差も中々に酷い物だった頃は、そのバター菓子を口にして飢えを凌いでいたことも御座います。力仕事に体力を持っていかれる者も、必ず昼食には小さくても一つそれを忍ばせて――懐かしゅうございますねえ」

「ミラベティもそういう思い出があるのかい?」

「そう……で、御座いますね。私は……よく家族に作っておりました。目でも楽しめないものかと形を工夫したりもしておりました」

「それで君のバター菓子はあんなに綺麗な形なんだね」


しみじみと頷き、エマは彼女のバター菓子を思い出す。塩が薄くもピリリと効いていて甘すぎるくらいに甘い焼き菓子は、大事に練り上げたバターの丁寧な舌触りとスパイシーな香りも勿論ではあるが、その花の形をした見た目が一級品なのだ。まるで高級店に並んで購入したマドレーヌの様なそれは、目でも舌でも楽しませてくれる逸品である。

硬く焼いたデニッシュ生地はパンのようで、一般家庭では沢山のバター菓子を保存も聞く様に作って朝食にも食されているらしい。


「あれは――材料が無かったために、が図と見た目で誤魔化していた産物で御座います」

「それでもミラベティの作る塩バター菓子は絶品だもの。アレを口にしてしまうと、どうにも買い食いでパン屋に入った時に手が伸びないんだよ」

「まあまあ。それではお世辞に乗って、明日までにお菓子をこさえておきましょうかねえ」

「ふふ、拝み倒した価値があったね」


にこにこと笑うと、エマはぎゅっと拳を握りしめた。




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